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2.虚弱体質

「また見学か?」
 小学校の友達がそう言った。
 1958年生れの私は小さいころから俗にいう虚弱体質と呼ばれた子供だった。体重が平均より重いと健康優良児などと呼ばれた時代、当時では珍しかった。アトピーと言う言葉は当時なかったと記憶しているが、ひどい蕁麻疹(じんましん)や喘息、扁桃腺、アレルギー性鼻炎に蓄膿症併発、病気のオンパレード、今でいう自己疾患に悩まされた。あえて自己疾患と書いたが「自己免疫疾患」や「アレルギー」を総称して、同じ原因だとの考えから、あくまで自分の体に起因する反応として自己疾患と書いた。この意味ではガンなども自己疾患と私は捉えている。感染症など外部生命起因の病気とは違うと言う意味だ。もちろん自己疾患も外部生命との関係性で起きることもある。医学会のエビデンスでどの様に定義されているかは不勉強で判らないが本書の趣旨としてこの様に書いている。
 医者でもない私が勝手に書くのだから乱暴だとのご指摘もあろうが、希少な体験談と体験から確信となって行った考え方として捉えていただきお許し願いたい。

 さて喘息の発作が出たときなど、楽しみにしていた体育の時間は見学になることが多かった。
 こんな病弱な幼少期でも父の転勤の関係で九州内を2年置きに点々と転校していた。幼稚園2回、小学校は3回、中学校も3回、さすがに高校、大学は1回で済んだが、転勤先は決まって都市と田舎を行ったり来たりだ。父の会社の都合だった。本社と地方を行ったり来たりで出世すると言うやつだ。大人になってから理解できたが、地方では、発電所を建設する現場仕事の関係で、何時も田舎に住むことになった。
しかし、なぜか田舎ではあまり病気がひどくならない。つまり病院のお世話にならなくて済むのだ。嬉しくて自然の中を走り回っていた記憶がたくさんある。
 また母方の実家である宮崎県は都城での夏休み、外にあるお風呂が五右衛門風呂。子供は何時も一番風呂だが熱めに沸いている、冷めるので後から入る人のことを考慮してのことだが、子供3人くらいが入れる湯舟に浸かる時が大変だ。小さい子供の体で浮いている底板の上に乗って底板を沈めながら浸かるのだ。踏み外そうものなら熱い熱い風呂釜が待っている。子供にとっては大げさではない、勇気とバランス感覚がものをいう。従妹同士子供3人くらいで良く入ったが、誰が最初に湯舟に漬かるかでもめる。また寝るときは、蚊帳を吊った開け放たれた部屋で、遊び疲れて死んだように寝たものだ。朝を迎えると多くのカブトムシやクワガタが部屋の中で簡単に取れた。
 また父方の本家が伊勢の海沿いの田舎だった。毎年九州まで迎えに来るおじいちゃんに連れられ伊勢に行った。ここでは夏休みの大半を家族と離れ一人本家で過ごすことになるのだが、とにかくたくさんの従妹同士、海で良く遊んだ。お蔭で何度かおぼれかけ、泳ぎが嫌いになり、何となく海より地に足が付いた山が好きになった原因だと感じている。本家は海産物を取り扱う会社で、伊勢味噌の味噌汁にはたくさんのワカメが入っていて、味噌汁というよりはワカメを食べている感覚だ。伊勢では汁物の具が泳いでいてはいけないのだ。泳げないほどたくさん具が入っていることが文化。伊勢うどんが汁の中を泳いでいないのはこのせいかもしれない。とにかく伊勢から福岡の家に帰った時、駅に迎えに出た母が、真っ黒に日焼けし、体重も増え、ワカメの噌汁のお蔭で、ふさふさになった髪の毛、こんな私を、私だと気づかなかった。何度も目の前で「ボク」、「ボク」と言ってるのにだ。
「え~~~」・・・ほんと笑った。
 こんな田舎の生活に対し、福岡の小学校の都市生活は、ほとんどと言っていいほど思い出が出てこないのだ。

 さて、こんな2年おきの都市と田舎の生活。決まって夏休みは実家の田舎に帰ることで、次第に病気は出なくなり病状も軽くなっていった。今思うと母が体を気遣い極力田舎に行かせたのだ。小さい頃はよく大きくなったらお医者になると言っていたのも、当時の薬があまり効かないことや、自然に症状が軽くなるに連れ、お医者さんにも次第に興味が無くなっていった。このことは学校の成績が、ほんとうに全くと言って良いほど上がらない私を見て、母から良く揶揄されたものだ。

 そうこうするうち、それ以降はアレルギー体質も年を重ねるごとに軽くなっていった。鈍感になったと言う感じだ。現代医学でも良く言われる様になった話だ。ただ大人になっても、アレルギー性の鼻炎や扁桃腺、また花粉症を持ったまま。くしゃみが出ると必ず3回は止まらないのだ、必ず3回。社会人になってからは、くしゃみが出ると良く回りに笑われた。はい1っ回、2回、3回って。これが大勢の人が集まる静かな会場、図書館などでは大変だ。
 
 月日が経ち、娘の病気が完治した調度そのころだ。私は持病の扁桃腺が繰り返し悪化するのを何とかできないかと漢方を試してみたのだ。医者に言われた訳でも無く、考え方も次第に変わり、漢方を幾つか試した。結果「駆風解毒湯」に出会った。即効性は無く、非常に苦いのだが「駆風解毒湯」だけで治ることを経験した。この経験を何度も繰り返すうちに次第に扁桃腺が強くなったのだ。ほとんど再発しなくなっていたし、再発する間隔も次第に広がって行った。それまでは扁桃腺が悪化すると必ず処方されるのが抗生物質。非常によく効くのだが、また再発してしまう。その内、何時もの抗生物質では効かなく成ったりしていた。

 それからもう一つ花粉症について。今や国民病とまで言われる花粉症。花粉の飛散量をニュースで伝えられ、花粉の量を強調した図などで示されると「うわーいやだ」 と心のそこから拒絶したくなるはずだ。これも自然な反応だと思う。無理もない私もそうだった。
 いまでは杉の生産量日本一の宮崎県に住んでいる。でも大丈夫。
 多くの人が悩まされる花粉症、私もその一人で、今まで治ることもなく永年付き合っている。もちろん薬を飲んだこともないのだが、症状が進むわけでも、悪くなることもない。花粉の季節になると周りの誰よりも先に敏感に反応し、認識できる。しかし、毎年数週間で症状を抑えることができ、その年はそれで花粉に体が反応しなくなり私の花粉の季節は終わる。
 この抑える方法については後述の意識の項で紹介する。一言で言えば、心から意識すれば、だんだん反応しなくなるということだ。その内鈍感になってくる。
 
 さて、こんな私は、小さい頃から、なんで自分だけこんなに病気になるのだろう。病気はどうやったら治るのだろうか。こんなことばかり何時も考えていた。しかし明解な処方箋があるわけでも無く、答えが出ないまま今に至るのだが、本書の趣旨に沿った考え方を持つことで治ってしまい、今では健康に生活を送ることが出来る様になった。それでも、今もずーっとこの体験について考えている。
 当時は、ただ田舎に行くことと、食事を変えると、病気は治るんじゃないか?と、当時‘何となく感じていた’ことは間違いない。今思うと、あたりまえのことだが、当時はまだ気づかなかったし確信も持てなかった。なぜなら、頭で考えて、わかっているつもりだった。しかし、わかると言うことがわかっていなかった。
 頭でわかったつもりになり、それがあたりまえになると、もう‘感じる’ことができなくなっていたということだ。この事、少し判りにくいと思っているが、本気でというよりは、否が応でも農業に取り組まなければならない環境に自分が置かれ、那須塩原での半農半X生活以来、久しぶりの百姓経験に戻るまでは、感じることが出来ず、頭で考えて、わかっているつもりになっていた。と言うことをここでは理解頂ければと思う。
 
 今まさに、これを書いている宮崎県立図書館
「土呂久公害の教訓を次世代に引き継ぐための環境教育パネル展」
2024年7月18日(木) ~ 7月28日(日)
が開催されている。
2021年から3年間、高千穂町は天岩戸神話の天岩戸神社のある岩戸地区に住み、またその隣の川登地区で農業を営んでいた。
当時は土呂久公害という名で騒がれた高千穂町土呂久地区、土呂久公害は当初の被害から100年以上が経過し、今ではエビデンスを基にテクノロジで乗り越え、同じような公害は起きていない。最高裁まで争われた被害者とは和解が成立し、公害を乗り越え、この間違いを後世に、また世界に伝え様と関係者の方々の努力は今も続いている。日本では他にも、イタイイタイ病や水俣病など、その後、同じ様な公害が原因の病に多くの方が苦しんだ。
 さて、ここで感じていただきたいのだが。
 被害者たちは自然の変化や体調不良を、当初からおかしいと‘感じて’訴えていたのだ。100年以上も前から。
現代ではどうだろう。土呂久地区とは比べ物にならない規模となった地球温暖化をはじめとする、様々な自然の変化を人々は訴えられるほどに‘感じて’いるのだろうか。
 その自然の上で安全・安心に暮らそうと自然を排除する様な形で都市を築き、テクノロジを進化させ、エネルギーを使い、自然をコントロールしようと必死に努力している。正に現代的考え方で生きている。私も間違いなくそのひとりだ。

 そう、私はわかると言うことがわかっていなかった。
 常に変化する自然に対し、基本的な考え方が何も変わっていない不自然さに気が付いていなかった。このことは、現代社会が‘感じる’必要性までも、考え方として排除している様に今や感じている。
 まるで現代に生きる都市的生活者であった私そのものの考え方がそうであった様に。
 これは悪いとか間違っていると言っているわけではない。
 いま、私は自然の摂理には小さいも大きいもないと感じている。万物に降りかかり作用する、同じ自然の摂理があるだけなのだ。
 いまの私には土呂久の公害と、地球温暖化は同じ様に映るし、同じ様に痛みを感じる。
 また、都市的生活者は、がんをはじめ慢性病や精神疾患、子供の発育疾患、若者の自殺、はたまた自然の摂理に逆行する少子化でも苦しんでいる。
この様子は土呂久公害と同じ様に映り、同じ様に痛みを感じる。一次産業の命が育つその地に生きていると感じる。
 みんな根っこは同じ原因の様に私は感じるのだ。
 次世代に引き継ぐ考え方を、ボキャが無い馬鹿な私だが、出来る限り伝えられる様に次項に進めたい。
 


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