ニーチェその5
道徳の系譜学(1887)
今回もFOR BEGINNERS ニーチェ(竹田青嗣)より
ニーチェの言うルサンチマンとはなんなのか考察してみる
→ニーチェによれば、ヨーロッパの理想が本質的なニヒリスティック(虚無的)な性格を持つことの根本原因は弱者の《反感》(ルサンチマン)がキリスト教を介してその理想の中心軸となったためである。
なぜそういうことが起こったのか、またこの《反感》がヨーロッパ文化をどのように犯し、奇形化させたか。そういうことが『道徳の系譜学』の主題にほかならない(本書79ページ)
神を信じるという
クリスチャンの精神は日本人には馴染みがないが、アメリカで大工をしていた時、同僚の黒人のおじさんは『人間は馬鹿で何するか分からないから、神の言うことを聞かないといけない』と笑いながら話していたのを思い出した
これが反感の精神【ルサンチマン】を植え付けられているということなのか
ルサンチマンを理解する上で、ニーチェは人間が決めつけた《よいこと》の前に《起源的なよいこと》の話を展開している
それは
→『力強い肉体、若々しい、豊かな、泡立ち溢れるばかりの健康、並びにそれを保持するために必要な種種の条件、すなわち戦争、冒険、狩猟、舞踏、闘技、そのほか一般に強い自由快活な行動を含む全てのもの』を前提とする
これをニーチェは『騎士的・貴族的評価様式』と呼ぶ(本書80ページ)
これはギリシャの英雄たち=カリスマ達の持つ価値評価だろう
ここから思春期からずっと何かに抑圧されていることに不満を持ち、闘い続けたニーチェの鋭いキリスト教批判が始まる
このカリスマ達の価値評価に対して、もう一つの価値評価をニーチェは『僧職者的評価様式』と呼び
その起源は、『弱く、卑怯な人間』から出たものだという
→あの猛禽は《悪い》、したがって、猛禽からなるべく遠いもの、むしろその反対ぶつが、すなわち子羊が《善い》というわけになる
この評価の原理は反動的である
まずあれは(力を持ったもの達は)《悪い》という否定の評価を基礎に置き、つぎにその反動として《善い》を置くからだ
そしてこの反動的な評価を支えるのは『弱い人間』の『強い人間』に対する【反感 ルサンチマン】なのである(本書81ページ)
これを歴史的に果たしたのがユダヤ人と、イエスの教えを信じた信徒やパウロたちだとニーチェはいう
パウロといえば、新訳聖書に出てくるパウロのことだ
ある日突然キリストの教えに目覚めて、いろんな信徒へ手紙を書き、牢獄からも手紙を送り、イエスの教えを広めた人物
新約聖書を読み進めてパウロの書簡にはいると『あれ?そういう設定だっけ??』と疑問に思う
パウロが手紙の中で【イエスは神の子である】と何度も連呼するのだ
偶像を崇拝してはいけないと言いながら、イエスは偶像化する
そこが新約聖書の中で一番つっかえていた部分だったのを思い出した
イエスを弱者救済の【神の子】として偶像化し教えを広めたパウロ
ニーチェはツゥラトゥストラの中で
『神は死んだ』と言う
次回は、ニーチェがなぜそこまでパウロ以降のキリスト教がヨーロッパに蔓延させたルサンチマンが人々を屈折させると訴えたのかを読み解いていく