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端島(軍艦島)
軍艦島行ってきました。青天に恵まれ上陸!
軍艦島とは
軍艦島は正式名称端島(はしま)。長崎港から船で18.5kmの距離に浮かび、伊王島、高島、中之島の先に位置しています。付近の海域は潮の流れが荒く、僅かな風でも波の様相は一変する事もあり、慎重且つ安全な航行が必要。軍艦島の桟橋も、台風によってコンクリートごと根刮ぎ吹き飛ばされ,流出してしまった経験を踏まえて数回の改良の後に「ドルフィン桟橋」が出来上がりました。1983年(明治26年)から1941年(昭和6年)まで埋め立て工事の末、自然の岩礁から現在の人口島の形になりました。
たくさんの1番
軍艦島は思っていた以上に色々な1番,初めてがあるようです。
恥ずかしながら鉄筋コンクリート,人口密度以外は初耳ばかりでした。ここに忘備録も込めて。
①世界一の人口密度
軍艦島の人口密度は、1960年当時、最盛期には東京都の17.5倍。
②日本初の「高層鉄筋コンクリート造アパート」
国内最古30号棟は有名。今もその姿を遠位から見ることができる。
③日本一の「テレビ普及率」
軍艦島の鉱員はその仕事の危険性から給料は高く、各家庭では当たり前のようにテレビが置かれていた。1960年当時、全国10%のなか、軍艦島ではほぼ100%所有していた。
④世界一長い「海底水道敷設」
安定した生活水を得るために、1957年10月に日本で初めての海底水道が開通。工事期間は1年5ヶ月。
⑤日本初の「屋上農園」
アパートの屋上では緑と接する機会を増やすため、屋上農園が設けられた。
⑥日本一の炭質「瀝青炭(れきせいたん)」
粗悪な炭が少なく、日本一の品質瀝青炭が採掘された。瀝青炭とは、火付きがよくかなりの量と煙と独特な匂いがする。光沢のある黒色をしている。
⑦日本一高層の「小中学校」
面積の狭い軍艦島では、日本一高層の小中学校が建築された。最盛期の生徒数は1,169人だった。
⑧日本一高所にあった「保育所」
9階だての65号棟の屋上にある保育所まで階段で通所。海抜27.5m。定員150人
⑨日本発の「ドルフィン桟橋」
初代は1954年に完成。当時は波の高さ3mに耐える設計だった。そのご台風により流出。3代目は1962年に再建。軍艦島より15m対岸の岩盤を3m掘り下げ長さ25m、幅12m、海底からの高さ15mの人工島を作ることで耐久性の高いドルフィン桟橋が誕生。現在は軍艦島上陸クルーズ船の接岸場所として使用。
⑩定期船、日本一の運行年数
定期船夕顔丸の進水は明治20年。そのごしばらくして軍艦島への寄港を開始。昭和37年の航路廃止まで1日3往復していた。
島民の生活
①島内の移動手段
道路は狭い。移動は徒歩が中心。荷物を運ぶ際は自転車やリヤカーで。
②軍艦島での遊び
青天時は野球や縄跳び、雨天はボール投げやまま毎
大人たちは男性は飲酒、パチンコ、麻雀、ビリヤード、囲碁、将棋、釣り、女性はショッピング、ファッション、井戸端会議など。遊郭まであったとか。
③軍艦島の医療
医療体制は医師9名、看護師14名、薬剤師1名。炭鉱特有の病気である塵肺や炭鉱事故などの負傷者に対する処置が行われていた。各種診察室、手術室、レントゲン室、分娩室があった。隔離病棟もあり、赤痢などの伝染病にも対応していた。
④プールやお風呂
プールや鉱員専用浴場では海水が使われていた。高い護岸に囲まれた軍艦島では海での遊泳が禁止されていた。島には海水を汲み上げたプールがあった。鉱員専用浴場には炭塵で真っ黒になった体のまま汚れを落とす浴槽と温水浴槽があり、あがり湯には真水が使われていた。
⑤端島手当
家賃は約10円、水道代、光熱費はタダだったが、出費の多い離島での生活補填を目的に労働組合が要求し、人員構成1単位につき暫定額25円を獲得、翌年の協定締結後には出勤1日につき32円の端島手当てがもらえた。
生活費や必要経費以外にも使えるお金が多かったため、軍艦島島民は流行に敏感で装いも贅沢。週に1回、島内の美容院に通う女性たちもいたとか。
⑥島内のイベント
🔳山神祭(さんじんさい)
会社が主催するビックイベント。毎年4月3日頃に開催。奉納相撲や奉納踊りなど、昭和館(映画館)ではアトラクションが催された。また,お神輿は端島神社で祈祷を受けた後,島中を練り歩く。
山神様を祀る端島神社の神殿の下には拝殿があったが、倒壊。現在は祠だけが残っている。
🔳運動会
会社主催の運動会は11月3日に学校のグラウンドで開かれ、アパートの立地場所にしたがって決められた地区別と、職場別のチームによる対抗競技に熱狂した。
🔳文化祭
会社主催の文化祭は11月に4日間、体育館と公民館で開かれ、絵画、生花、書などが展示された。
⑦天川(あまかわ)
天川とは石炭で赤土と混ぜ合わせた凝固剤であり、凝固された石材を使用し作られた護岸を「天川工法」とよぶ。天川造莉乃護岸一部は現存しており、軍艦島上陸クルーズではその姿を見ることが可能。天川を用いた護岸も軍艦島の世界遺産登録の対象になっている。
出典元:軍艦島コンシェルジュ
https://www.gunkanjima-concierge.com
いざ軍艦島へ
軍艦島へ入島するにはツアー申し込み必須。
朝,集合場所へ。
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長崎防衛支局の前を通りました。このヘリコプターは雲仙・普賢岳災害で活躍したそう。パシャリ📷
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軍艦島へ入島するのにツアーを申し込みをしていましたが,何を間違えたかうっかりこちらの記念館に入ってしまった黒歴史。
なんだか後光がすごい。
そもそも旧香港上海銀行って何?なんですが,香港に本社を置く外国金融機関の一つです。長崎支店は開港して間もない幕末の長崎から活動しており、1904年(明治37年)に竣工しました。1991年(昭和6年)に長崎支店が閉鎖された後は警察署,歴史民俗資料館として利用されていましたが,1991年(平成3年)に復元,1996年(平成8年)10月に記念館として開館したのが始まりです。
では軍艦島へ入島する前に軍艦島デジタルミュージアムで事前学習。
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最盛期は様々な間取りをした30棟以上のアパートが林立していたそうです。
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給与書を見ると高待遇なのがわかります。技手85円と書かれています。1941年(昭和16年),戦時中は食ぱん一斤約20銭でした。
※1円=100銭
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"三菱の下請会社で抗外作業員として働く"
雨天時に膝頭を打ちつけ,端島病院へ行き治療した際に調剤された炎症止めと痛み止め薬の内服薬袋が残されています。母子健康手帳には子の保護者欄に「抗内夫」と記載され,出生場所には端島とわかる住所が記載しています。
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まず見えてくるのが三菱重工株式会社長崎造船所です。
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1853年(嘉永6年)のペリー来航により開港に向けて動き出した江戸時代末期,幕府は列強からの侵略を防ぐため,長崎海軍伝習所を開設し,1857年(安政4年)に我が国最初の本格的洋式工場「徳川幕府 長崎鎔鉄所」としてオランダ人のH・ハルデスらを招き,「長崎鎔鉄所」の建設に着手。これは長崎造船所の全身である「長崎鎔鉄所」です。
その後,1884年(明治17年)に郵便汽船三菱会社が事業を継承。130年以上の歴史を積み上げてきた造船場は現在も「三菱重工業株式会社長崎造船所」として活躍しました。
そして長崎造船所関連施設5つの資産(小菅修船場跡・第三船渠,ジャイアント・カンチレバークレーン,旧木型場,三菱が誇る迎賓館「占勝閣」)が「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されたそうです。
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長崎港から船で約40分。幅160m,長さ480m,東京ドーム5個分の小さな海底炭鉱の島は岩礁の周りを埋めたてて造られた人工島。
軍艦島の名前の由来は岸壁が島全体を囲い,高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることに起因するとか。この島には最盛期の1960年に約5300人の人が住んでいたそうです。当時は上記説明にあった通り様々な娯楽があり,生活の全てを島内で賄うことができていたようです。天空の白ラピュタのよう!
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端島炭鉱の石炭はとても良質。しかし主要エネルギーが石炭から石油へ移行したことにより衰退の一途を辿り,1974年に閉山し,以降無人島となります。
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2009年に一般人の上陸が可能となります。2015年7月に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」として正式登録されました。ジェームスボンド主演の「スカイフォール」の一部,「進撃の巨人」の撮影地でもあります。
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鉱山の中枢であったレンガ造りの建物であり,この島の司令塔的存在の場所でした。軍事機密もあり,子供達は入れなかったそうです。会社職員を70〜80名詰め込み,島内の指示を出していたとか。現在は周囲の建物はほとんど崩壊しています。
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主力坑であった第二堅坑を含め,鉱山施設はほとんど崩壊。かろうじて第二堅坑へ行くために造られた桟橋への昇降階段部分が残っています。第二堅坑の遺構は現在はこれのみ。
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実は軍艦島がユネスコの世界文化遺産として登録されたのは軍艦島単体ではなく,「明治日本の産業革命遺産」(以下「産業革命遺産」)を構成する23の資産の一つとしてでした。その理由として、遺産登録の対象期間です。「産業革命遺産」は幕末の1850年(嘉永3年)から1910年(明治43年)までと時代を区切っています。それにより軍艦島の景観の重要な要素である鉄筋コンクリート高層アパート群や学校,炭鉱施設の大部分は1910年以降に建設されたため,遺産対象から外れてしまったのです。その結果,登録資産の対象となったのは,炭鉱の坑口跡と,コンクリート護岸の内側にある石積み部分だけとなったそうです。
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四角い枠がドミノのように立ち並ぶのが特徴的。このうえにベルトコンベアーが乗っていて,精製された石炭がこの上を移動。貯炭場に蓄えられ,石炭運搬船に積み込まれたそうです。今はその支柱が残っています。この景色は以前から写真や映像で見ていたので感慨深い・・・。
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船から見えます。船舶の安全を願って海を向くモアイ像。観光振興のため地元企業が建てたそうです。
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長崎港によって分断されている長崎市南部と西部を最短距離で結ぶ大橋。斜張橋としては国内で6番目の長さを誇る。夜間にはライトアップされ,香港・モナコと共に「世界新三大夜景」のシンボルとなっている。その美しさは「日本夜景遺産」にも認定された。有料道路だが,歩行者は無料で通行できるそうです。
旅の終わりに
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