熱さと冷たさ
ソーシャルビジネスを考えるにあたって、最近思うことがある。
ソーシャルビジネスを実現しようと奮闘している人は基本的に「熱い想い」をもっている場合が多い。
社会を良くしたい。
社会的弱者を救いたい。
もっと豊かな日々を実現したい。
等々
社会的には疑いもなく必要なことで、誰もが善とするその「想い」であるが、なぜか上手くいかないことが多い。
それがソーシャルビジネスの面白さでもあると思うのだが、社会的に善とされていることが可能な限りたくさん実現し、その善を享受できる人が増えれば増えるほど、社会が豊かになるとも思う。
どうしたら、ソーシャルビジネスは達成されるのだろうか。
そんなことを考えながら、現在私はまさにソーシャルビジネスを達成しようとしている起業家の伴走支援をしている。
以下、私の持論。
想いは重要である。
一方で、想いが先走るだけでは上手くいかないこともある。
私自身、祭りが大好きで、人一倍祭りへの熱い想いをもっていると自負しているが、熱くなりすぎて視野が狭くなり、たくさんの人を巻き込んで大事故寸前みたいになることが多い(いや、常に事故ってる)。
まさに猪突迷走みたいな…笑
(上手いこと言えてるのか、これは笑)
想いを伝え、言葉にしていくことが重要であることを大前提として、”一般的な”人々(=熱い想いをもっていない人たち)に対して、いかにしてその意義や魅力・良さを理解してもらうのか、冷静に順序だてることが大切なのではないかと考える。
強い想いが逆に色眼鏡になってしまい、自分では何の疑問もなく行ける!と思っていることでも、”一般的な人々”にとっては非現実的に映り、理解不能で拒絶されることがある。
想いを大切にしつつ、いったん想いを忘れて冷静に考える視点も忘れてはいけない、絶対に。
また、ソーシャルビジネスを行うにあたって必ずぶち当たる壁、「マネタイズ・ビジネス化」について。
再び祭りの話を登場させると…
祭りも本来的には収益目的は一切なく、マネタイズされていない・ビジネスモデルが一切確立されていない領域である。
そんな中でも、私は祭りでビジネスモデルを確立しようと日々奮闘している。
理由としては、
(1)お金がないとできないことが多すぎる
(2)お金が動くことでつく価値
の2点があげられる。
(1)について、祭りを盛り上げる活動を行うためには、当たり前のように諸費用が掛かる。
私は今、基本的に別のところで稼いだお金を使用して、祭りのためにお金と時間を費やしているが、これでは持続可能性は低い、普通にしんどい。
大前提として、社会にとって良い活動を行うためにはお金が必要。
(2)について、お金が発生することでつく箔があると信じている。
具体的に私は、「祭りの担い手になることに参加費を発生させる仕組みづくり」をしている。
地域の人たちが超自然的な存在への信仰心に基づいて自分たちのために行う、決して見世物ではない祭りに参加費を発生させるというのは、一見イベント要素を強め、祭りへの敬意が無さすぎる…というように映るかもしれないし、実際にそのような批判もたくさん受けている(現在進行形)。
しかしながら、お金を支払うことによって、払う側にも払われる側にも責任感が生まれるわけで、お金が祭りの価値・担い手となる意義への指標にもなる。
ソーシャルビジネスを語る人々にとって、マネタイズというのは必ず葛藤するポイントであり、お金が不純なものに見える、それだったらボランティアで構わない。
そう思ってしまいがちである。
しかしながら、最終的にお金は汚いものではない、社会に対して良い活動を行うためには必要なものである、
そう開き直って思い直せた人ほど、成功する確立が高いと感じているのは私だけだろうか…。
社会に出たことが無いポンコツ大学生の私に語れることはあまりないが、少なくとも現段階ではそう思っている。
熱さと冷たさ。
その両方を持ち合わせた生き方をしたい。
起業家の伴走支援なんて烏滸がましすぎるが、大学生の私だからこそ語れるソーシャルビジネスがあると信じて声高に叫びたい。
以上!