やはりプラマイゼロなのかもね。
最近の双子育児、結構ハードモードになってきた。
よく寝る子達ではあるが、起きている時間が激しい。結託して激しすぎる。
まぁ、この話は今度にするとして、先日病院に行った話。
定期的に婦人科検診をしているのだが、お世話になっている個人病院、先生自体はゆるーい感じなのだが、検査など処置が素晴らしく、予約しても人気で待ち時間が発生する病院。
20分前について余裕だと思っていたら、診察券が見当たらず、車の中で1~2分ほど探していたら、その間に一人患者さんが入る。(30分ごとの予約なので、きっと同じ時間の予約と思われる)結局その人が先の診察になり、その人との呼ばれる時間差は約30分。くぅー、診察券がスムーズに出ていれば…と悔やみながら帰る。
双子を親に預かってもらっていたため、実家に行くと、父に一緒にラーメンを食べに行こうと誘われる。久しぶりにゆっくり食べたいが、話を聞くと、人気店だが5台しか駐車場が無く、ほぼ満車なので歩いていくとのこと。私は、その気力はないので、車で行こうと誘い、なければ近くのコインパーキングに停めようと提案。しぶしぶ父がその提案にのって行ってみると、奇跡の1台空き!しかも、停めやすいところ!!
この時、ふと思ったのである。さっきの病院の30分の誤差が無駄したなと思ったが、こうやって駐車場が奇跡的に空くという、うまく帳尻が合うようになっているのかもなと。きっと人生も、プラマイゼロなんだなと。
別に何か宗教に入っているという訳ではないが、人生プラマイゼロ論だと思っていて、そんなに幸せなこともずっとは続かないだろうし、逆に、そんな辛いこともずっとは続かないだろうと思っている。ちなみに、自分の人生を折れ線グラフに表すと、結構ガタガタである。(良いこと、悪いこと、まんべんなく起こる)そのため、穏やかな日々が続くと、次は、何が起こるんだろうと怯えてしまう自分がいる(笑)
逆に、学生時代、「もう最悪だー」と思ったことでも、大人になると、あれがあったから、今こういう人生なのかと、なんとなく帳尻があっているような気がする。というか、“最悪”という言葉、安易に使いそうになってしまうが、実は最悪なことって、私にとっては死に関係することであって、普段の日常生活ではそうそうないので、使わないように心掛けていて、子どもにも言っている。
さぁ、今の私は折れ線グラフでどこらへんだろう。学生の時とは、ちょっと違うグラフの書き方。なぜなら、育児でキーーーっとヒステリックになる時と、子どものふとしたしぐさでほっこりする時と、そのプラマイが毎日コロコロ変わるから。ということは、そんなに今はマイナスではないんだな。
毎日育児で疲れていたけど、文字化したら元気になった。よし、頑張ろう。