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映画制作日誌(撮影期間編・名無し)|人間味
11月6日は良い1日だった。
エンドロールの撮影に行ってきた、ざっくりこんな日。
何がそんなに良かったんだろう。
撮影と作業を終えた制作メンバー6人、終電はもう無い。
唯一の足である車が故障した。手の方で直してはみたけど。
壊れた車で走り出す、20の夜~ と尾崎豊を思う。
エンジンをつけると、マフラーから香ばしい煙がモクモクと。
とりあえず車が爆発して死ぬ前に、みんなで遺書を撮影した。
「や、まじ楽しかった。映画作れて幸せだった」
監督のこの言葉に、頷き微笑むみんな。
正直、私は頷けなかったけど、そんな君たちが好きだーと思った。
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5月24日(日記抜粋)
映画監督の寺尾ツムギはいつも苦しそうだ。でもそれが好きなんだから仕方ないのか。
”つくる”人への愛を伝える映画を作る。
つくる人ってなんだ。
苦しそうだ。
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撮影前は、人生で初めてカレンダーに空白がなかった。
手を出しすぎて、全てが手に負えなかった。映画制作もそのひとつで。
撮影期間は、みんなと京都、ではなくアメリカにいた。
つまり「制作」メンバーと名乗ることは、できない雅なのです。
しかし、9月某日、日本に帰国した私に監督から、11月のエンドロール撮影に来て欲しいと連絡が来た。嬉しくて笑った。ちょっと気まずいと思った。
11月6日
秋晴れの京都、黄色をこよなく愛し美しい文章を書く助監督と再会。横断歩道の向こうにはF80号のキャンバスを持った妖怪皿洗いの称号を得た彼女と、素敵なカーディガンを着た音楽担当の彼女。その前には、近くて遠い存在の監督。遅れて登場、個人的一番の変人カメラマン。続々と現場に集まるこの映画を作り上げてきた人たち。みんな会いたかったようううううう、と溢れる感情。
映画をつくる人たち
撮影現場入りの前、近くの河原で早速絵コンテを開き、撮影の構成をねる人。現場に入るなり、養生テープ、ボールペン、メジャーまでをも鞄から取り出しサポートする人。踏み台に登り、絵を取り付け、ライトを調整する人。大きな三脚を取り出し、コードを引っ張りカメラをセットする人。マイクを持ち、音を聞く音響班。カメラで現場をパシャリしている撮影助手班。カメラの前で、監督とカメラマンを悶絶させる演技をする人。脚本を読み込み、映像を見ながら作中音楽を考える人。みんな普通の顔で、でも良い顔で、慣れた手つきで、それぞれの仕事をこなす。
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最初に言ったように映画制作において何かしたかと言われれば何もできていない。
けど、何かを作り上げる人たちを間近で見た。
苦しみ悩みもがき、時間に追われつくることなんてやめたいという姿を見た。それと同時に、興奮しながらやっぱりつくるって最高だと笑っている姿も見た。かなり繊細で・かなり大胆で、かなり素直で・かなり頑なで、かなり人思いで・かなり自己中で、かなり変態で、かなり泥臭くて。
つくる人はとても人間らしいのかも
日常においてこれほど多くの感情や表情を見ることはあまりない。でもつくるという行為を経てそれを見た。性格を六角形で表した時、全てのつくる人に共通するか知らないけど、少なくともこの制作メンバーはどこかが突き出し、どこかが欠如している。前者は尊敬を生み、後者は親近感を生む。分かるかな、突き出し凹んでいる部分が面白くてもっと知りたくなる、突き出しすぎて凹みすぎて時に理解できなくて怖くなる、でも最終的には好きだなと思う。何故か。
サクヒンもヒトも、いつも完成した良い部分しか見ていないのだなと思いました。
それが普通で、そうなりたくて、それを受け入れているのだと思いました。
でもそれは、綺麗だけど、時に綺麗すぎるのではないかと思いました。
そうじゃない作品と人は、綺麗ではないけどより人間味を感じました。
よく分からなくなってきたけど、こんなもんだよね^ ^
11月14日 雅