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映画制作日誌|大監督、小監督。それ以前に、人間。脚本成立過程をじっとり眺める。
萌恵子です。役割は事務、監督観測部隊。
自分のことは、ここに書いています。
映画制作チーム発足から約3週間が経過。
今は、監督を中心に脚本を作っている段階です。
監督は、プロットを練ったり、壊したり、この世界に感謝したり、自分を「ゴミカス」と自嘲したりと、大忙しのようです。
一方の私は、そんな監督の話をうんうんと聞き、うんうんと聞き、ただうんうんと聞いています。
ここからは、寺尾都麦(つむ)への公開書簡です。
公開するようなものじゃないし、本人に許可も取ってないけど、まぁいいでしょう。
つむと出会って約2ヶ月。だんだんつむが、2Dから3Dになってきた感じがする。
告白します。
実は初めて会った時から、寺尾都麦の「伝記」を書いていました。自分のためにね。
「自分にとって、きっと大切な記録になる」と思ったので、当初は謎のこだわりで手書きを貫こうとしていたけれど、あまりにも筆記が追いつかないからドキュメントに切り替えた。
気持ち悪いぐらい溜まりましたよ。
元々は誰にも見せないつもりでしたが、少しだけ公開します。
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私はなぜ、寺尾都麦の観測者になりたいのか。
尊敬?
嫉妬?
羨望?
表現者には転げ回っていて欲しい的な発想に基づいた、つくる者の理想像がばちっと当てはまるから?
映画の主人公的な属性を持ち得る人だから?
いいえ。どれもちょっとはあるのかもしれないけど、いいえ。
恐らく、つむが徹底的に「人間」なんだというところに落ち着くと思います。
(私はまだ「人間」以外の形容の言葉を持っていません。つむが今、一番描きたいと思っている脚本に、私は新しい形容の方法を教えてもらえると思っている。信じている。)
寺尾都麦は「記録しておかなきゃいけない」瞬間を、ものすごく沢山作る人だと思っています。
監督の威厳、いや確信みたいなものを持って、自分の作品世界はこうあるべきだと語る言葉はもちろんだけれど、それだけじゃなく。
「自分は映画に本気じゃなかった」という自己嫌悪(叱責?)無限ループ大量チャットも。
案外恋愛面においては、好きな人のLINEに翻弄されるようなところも。
今この瞬間のつむはもう、1日前、1時間前、1分前、1秒前のつむとは違う人間なんだ、と何度も感じさせてもらっています。
ほんの少し前に言っていたことも、捕まえなければ、つむの中から消えていく。だから私は記録しています。
もっと大きな話をすれば、こんなことも言えるかもね。
たいていの発想や感情は刹那的なものだけど、何かに閉じ込めれば保存することもできる。文字や、音声や、映像、なんらかの記録媒体を介して。
あ……!だから私たちは映画を撮るのか……!
このnoteは、名もなき集団が一本の自主映画を撮り切るまでの過程をできるだけ生に近い形で記録する目的で始めました。
メンバー全員が持ち回りで毎日更新しています。
日誌も二周目に入りました。
映画のプロットも、脚本も、タイトルも、キャストも、なんにも決まっていないけれど、広報活動だけ走り出しています。
Instagramやってます。
勢い余って、Podcastも始めちゃっています。
制作自体は動き出していない。
けれど、自分たちの「今」を発信するルールを自ら課してしまった。
この奇妙な状況の中で、この後に続くメンバーはどんな文章を書くのでしょうか。
noteの更新を誰よりも楽しみにしているのは私です。