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映画制作日誌|ダサい魔法は強力だ。

永遠に続けば良いと思っていた2021年。何故なら、初めて映画を撮ったからである。その上、大学四回生と言うのもあった。しかし、映画を撮る事は『ファンタスティックビースト』よりも「魔法」に感じたからである。

それまでの「映画」は小説の様に観ていた。

と言うのも、私は一人の作家に集中して映画を観ていたからである。では、映画は一人で作るものなのか?

そんな馬鹿な。物凄い人の手をかえして映画は完成しているのだ。しかし、私はびっくりした。映画制作に協力し、映画は一人では撮れないと言う事に衝撃を受けたのだ。

 考えれば、一人で出来ない芸術て変ではないか??

絵画や小説は極めて個人との対話である。しかし、『他者性』が必要になるのは映画である。変だ……なんで製作者がメッセージを訴えてるのに。エンドロールに10分以上の人の名がが並ぶ!?その答えは未だに分からない。

しかし、私が映画が撮りたいと思ったきっかけがある。

それは、クエンティン•タランティーノ監督の『イングロリアスバスターズ』をTSUTAYAでレンタルして、何気なくメイキングを観ていた時である。

彼は、「ヨーイ、アクション!」と叫ぶ代わりに、合言葉の様にこう叫ぶ….

『僕達は!映画を撮っている!!』

ダッサイ。正直痛い。これ日本語字幕で観ると小っ恥ずかしい。

でも、これは間違いなく「魔法」だ。映画を面白くする為の「魔法」をかけている。

タランティーノはレンタルビデオ屋のアルバイトから始めて、親に散々馬鹿にされながら、映画監督と言う『魔法使い』になった。

魔法の呪文の様な『僕達は!映画を撮っている!!』と言う合言葉は、僕を『観る手から作り手』へと変身したいと思わせる「魔法」をかけてきた。

そこから縁があって2021年に映画制作に関われた。

ここで私は気がついた。自分の実力は『魔法』では無く、『インチキ占い師』であると。知識の集積があったとしても、それを表現できる呪文がない。どこまでも『インチキ占い師』なのである。

『自分は映画に詳しい。』『死ぬ程、映画が好きだ。』

 だからどうした?お前は誰からも評価されてないのに。 2022年になり決めた。『他人に愛されるモノを作りたい』と。それがどんな形でも良いから、人に対して僕の様に、『魔法がかけられる映画が作りたい』と。

 映画を作る為に、ホグワーツのロンドンのキングス・クロスにある9と3/4線を乗り込んでやる。僕は壁にぶつかる事を決めた。

ロンドンの有名な観光地。魔法の世界に入るための入り口

次こそは誰からも『凄い』と言わせるモノを作ってやる。

一人で作れない芸術。『映画』なのだからこそ。僕が、輝いて魅せる。

2022年4月26日 響



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