【哲学対話の記録】ありのままって何だろう?
ありのままの自分でいたい。
ありのままで生きていきたい。
そんな考えが頭をよぎったことはありませんか?
ちなみに、私の答えはイエスです。
ありのままのあなたが素敵よ。
なんて、無責任に自分を肯定されることもあるけれど、
ちょっと「何を分かっているの?」なんて言ってしまいたくなる時もあって。
ありのままってちょっと優しくないときもあります。
では、皆さんにもう一つお聞きします。
『ありのまま』のあなたとは何ですか?
はじめに
忙しかったイベントも無事に終了し、ホッとしたのも束の間。
私達はさらに新しい繋がりを求めて動き出します。
「対話空間創造社」についてはこちらから。
ぜひ、お時間のある際にご覧ください。
今日は、浜松市にある"黒板とキッチン"の皆さんと対話しました。
学生と大人の入り混じった空間。誰もが好きなように過ごせるフリーなコミュニティスペース。自由な流れの中で、自由な交流をしている。
黒板とキッチンさんのホームページはこちら。
ぜひ覗いてみて下さい。
どことなく空気感の似ている"黒板とキッチン"で、
少し甘いものをつまみながら。
今日も今日とてゆるりと、対話が始まります。
問いとその理由
最初に私達『対話空間創造社』のビジョンを説明し、自己紹介を済ませます。
そして、今回の対話のために用意した問いは3つ。
『ありのまま』ってなに?
「“黒板とキッチン”って誰でも好きなようにいていい場所ってことになっていて、それってありのままって言い方もできるんじゃないかなって思ったからです。じゃあ、『ありのまま』って簡単に言うけれど、どういうことがありのまま何だろう?って思って。」
平等は存在する?
「以前、対話空間創造社のメンバーだけで『平等をどうして求めるのか』という問いで対話をしたことがあるのですが、これは平等があるという前提で対話をしました。だから今回は、そもそも平等はあるのか、というところから、たくさんの考えが見られたらいいなと思いました」
食べ物の好き嫌いはいけない?
「"黒板とキッチン"という名前の通り、ここにはキッチンがある。だから何か食べ物に関連した問いがあればと思いました。昔から好き嫌いは良くないと言われるけれど、やっぱり納得出来ない部分もある。そこを少し深く話してみたいと思いました」
最終的な決定は多数決です。
ファシリテーターが告げると、「民主主義…」というつぶやきが。
独特なツッコミにくすりと笑います。
どれを話したいか40秒考えて下さいと言われながらも、
なんだかんだ1分半くらいみんなで考えてしまいました。笑
さあ、とファシリテーターが意気込み、
ひとりずつ話したい問いとその理由を挙げていきます。
問い決め
最初に、現段階でどの問いについて話したいか、
手を挙げて確認していきます。
ひとりずつ、問いを選んだ理由を聞いていきます。
『ありのまま』ってなに? を選んだ理由
「個人的にいちばん関心のある問いだからです。他の2つの問いは、最初に"はい"か"いいえ"で答えることが出来るけれど、この問いだけはそれが出来ないな、と。皆さんの考えが聞けたらと思います」
「この"黒板とキッチン"で対話をするにあたって、いちばん"黒板とキッチン"っぽい問いだと思ったからです」
「就職活動をしていると『ありのまま』の姿を見せて下さいと良く言われるのですが、それを見せたとしても落ちるところも受かるところもあります。今自分がいちばんそこを悩んでいるのもあり、話してみたいと思いました」
平等は存在するの? を選んだ理由
「個人の平等の自由、というのは難しいかもしれないですが、少なくとも力関係の平等は必要だと思っています。昔は左右でしたが、今は権力とコモンズの関係ですね。この平等に関しては権利だから、存在すると思います」
「前に対話空間創造社のメンバーだけで、"なぜ平等を求めるのか"という問いで対話しました。そのときは平等が"ある"という前提で話したのですが、そもそも平等に有無があるのかは触れなかったため、話したいと思いました」
「体感的にうらやましいと感じるのは、平等が欲しいからなのかなと思って。例えば、意思決定の場に来ない人とか、居ても寝ている人の意思をパスしてしまったとき、果たしてそれは平等なのかな、と。意思決定においての平等が気になりました」
食べ物の好き嫌いはいけない? を選んだ理由
「食べ物にしても人にしても、その好き嫌いは、その人が勝手にラベルを貼っているだけの行為だと私は思います。その好き嫌いも含めてその人なのだから、と考えたので話してみたいと思いました」
(既に面白いし頭がパンクしそう…)
と思いながら、参加者の皆さんのお話を聞いていました。
そして、それぞれの話を聞いて、話したい問いを最終決定します。
今回の問いは【『ありのまま』ってなに?】に決定しました。
対話スタート
そもそも『ありのまま』ってどのようなこと?
「それでは、『ありのまま』とはどのようなことですか?」
ファシリテーターが最初の質問を投げかけます。
「私は、我慢がない状態だと思います。天然でいる、自然でいる、そんな状態と言うのでしょうか…欲望に支配されていない、というか…なんて言って良いか分かりませんが…」
好きな芸能人がいたとしましょう。
その好きな芸能人が身につけているカバンがあったとして、それを心から良いと感じて購入するのは『ありのまま』、しかし、自分はさして良いとは思わないけれど、好きな芸能人が身につけているから購入するのは『ありのままではない』、という例を挙げてくれました。
「または個性を出せている、という状況なのではないでしょうかね。個性が出せる環境にあることが、つまりは『ありのまま』かなと思います」
「今環境という話が出ましたが、どういった環境や状況になろうとも、その環境や状況に適応・納得出来る状態が『ありのまま』かなと私は思います。個性も、その環境で生まれるような気もします」
確かに納得出来る状態かもなあ、と考え始める空気の中、
ひとりの参加者が口を開きました。
「私は『ありのまま』に納得が必要という部分に疑問があって。欲望とかそういうものを含んだのが『ありのまま』で、大きな枠組みにある…というか」
そうそう!という風にうなずきながら、
別の参加者も続けて話し始めます。
「私もそれは思いました。『ありのまま』というけれど、じゃあそれを客観視しているのは誰か。誰がそれは『ありのまま』だと納得したのか。そう考えたとき、納得が果たして必要なのか、と思いました」
いろんな話が飛び交う中、(なんか私の言いたいこととは違うな…)と考えながらお話を聞いていたのですが、まさに私のもやもやをスパッと言語化して下さったこのお話に、ものすごい勢いで首を縦に振っていました。笑
なんとなく見えていたきっかけがまた見えなくなったとき、
こんな話が出ました。
『ありのまま』と『個性』について
「『ありのまま』ということは分かりにくいけれど、『ありのままではない』というのは分かりやすいですよね。何か今自分苦しいな…生きづらいな…とか」
「少し話は変わりますが、個性はホルモンの配向によって変わってくるのですよ。だから個性というのは生まれ持ったもの。生体がもつ『ありのまま』が個性で、それが環境によって変わってくる。そして、個性を磨いていくには、個別最適化とベストプラクティスがあります」
ファシリテーターが質問します。
「なるほど…『ありのまま』と『個性』は一緒ですか?」
「重なる部分はあるでしょうね。個性の中から割といろいろなことが生まれてくると思います。例えば、辛い食べ物が好きだからそういう食べ物を求める。個性があるから、そのために『ありのまま』を求める、動いていく、向かっていく、のではないかなと思います」
ファシリテーターも、若干思考が混乱しながらも懸命にその参加者の話に追いこうとしています。
追加で思うのは、と別の参加者が話し始めます。
「『ありのまま』はどう頑張っても人によって異なるから、具体的にこういう形です、という風に出来ないなと思いました」
私もそう思います…
ファシリテーターの言葉に、参加者から笑みがこぼれます。
この世のすべては「ありのまま」?―「ありのまま」はだれが決めている?
「ずっと考えていたら、この世の全ては『ありのまま』だという結論に…」
ええ!どうしてですか?
興味津々にファシリテーターが聞きます。
「何が一体『ありのまま』ではないのか、と考えていたんだけど、化学反応とかも、意図的に何かがしたのではなくて、結局は全てが自然で、複雑に『ありのまま』が重なり合っただけなのかなと思って」
「『ありのまま』というのが実現できないということが、同時に『ありのまま』なのではないか、という…」
ひとつの考えをかみ砕こうとした参加者が発言するのと、
ファシリテーターが完全にパンクするのがほぼ同時に起こり、
"黒板とキッチン"が大きな笑いに包まれました。
「すごいですね。無限に螺旋を描いている気がしますね笑」
本当にその通りです…
対話はいつも螺旋状になっていて、見えては消えてを繰り返します。
「なんだか、『ありのまま』は実は大層なことなのかも、と思いました」
今こうやって向かい合って対話をしている状況は、自分にとっては『ありのまま』ではない。では家族のように信頼をおける間柄ではどうか?
それでも、『ありのまま』をさらけ出せない時もあるし、かといって塞ぎ込んでしまうことも『ありのまま』ではない。
「あとは就職活動とかも、『ありのまま』かと言われるとそういうこともなくて。最初にあった通り、やっぱりどこかしら"相手によく見られたい"とか"いつもの自分は控えめに"とか、無意識にでも思ってしまうんですよね。私からしたら『ありのまま』ではないけれど、面接官からしたら『ありのまま』の私を見ている。自分しか分からないのだろうけれど、それでも分からないのが『ありのまま』なのかな、と思いました」
「"real"と"reality"は違いますよね。会話では"ええと"とかが入っているけれど、文章にしたときには本質を掴むためにそれを除外しますよね。だから『ありのまま』を全て見ようとするときっと分からなくなってしまう、けれども本質を見ようと純度を上げていくと、自分の中で納得感が出ると思います」
「今のお話を聞いていて、外から見たら『ありのまま』なんて判断できないなと思って。毎日一緒に過ごしている人でもきっと分からないと思います。そう思ったら『ありのまま』は自分で決めることなのかな、と」
「ありのまま」はある?ない?
ファシリテーターが、一度場を整理します。
「今の皆さんのお話を聞くと、『ありのまま』はないのかもしれないとなっていますよね。でも、全ては『ありのまま』という話もありました。これは真逆の考えになりますが、いかがですか?」
ひとりの参加者が答えます。
「『ありのまま』が"ない"というよりは、捉えられない。存在はしているけれど、自分では分からないし、他の人から見たらそういうもの、と見られているもの。全ては『ありのまま』というのは、みんなが分からないから『ありのまま』のように見えている、と思います」
「物事はカオスなのです。全てが連動して複雑なカオスになっている。その中からいろいろなものが生まれている。全てがカオスという前提に立つと、全てが『ありのまま』なんですよね」
「ひとつ疑問に思ったのが、面接とかで自分を出せないみたいな姿も、『ありのまま』じゃないのって。それが性格でしょって。『ありのまま』でいるからこそそうなるかなって」
「自分が納得出来ていなくても、表に出た姿が『ありのまま』ということですか?」
「そうですね。必ず自分の解釈と一致するわけではないと思います」
『ありのまま』は良いことな気がするけれど?
今の流れの中で、ふと、思い当たることがありました。
「かじった知識で申し訳ないのですが、心理学の授業で"ジョハリの窓"を習いまして…」
ああ!と皆さんがうなずくのを見て、やっている分野が異なれば、私のかじったことは皆さんの常識なのだと当たり前のことを改めて感じました…
「そこから、私達が考えている『ありのまま』は、自分からも相手からも見えない部分という風に捉えがちなのかもしれないと思いました。自分から見た自分も、他者から見た自分も全てが自分という考え方が、今の皆さんが仰った考えに当てはまるのではないかなと思います」
「…なんだか、アンジェラ・アキの"手紙~拝啓 十五の君へ~"のようですね」
15歳の自分との手紙のやり取りを模した名曲です。
確かに…!!
「『ありのまま』がとてもポジティブな印象に捉えられがちだな、と、今までのお話を聞いていて思いました。何かそこに理由があるのかな…」
盲点を突かれたような感覚でした。
確かにどこか良い印象はあるけれど、なぜポジティブよりなのかは今まで誰も触れてきていない考え方でした。
「私は少なくとも良い印象がありますね」
ファシリテーターには良い印象で映っていたようです。
「万物は流転する、と言いますよね。変わっていくことを受け入れるということは変わらない。まあ、受け入れるのは良いことですよね」
「『ありのまま』でいる方が良い、というイメージがあるのは、見られている自分にギャップがあるからかなと思って。ジョハリの窓ではないですけれど、そのギャップ、皆誰しも誰からも理解されない部分があるよね、みたいなニュアンスを含んでいるのが『ありのまま』というか…」
「私も、最近のはやり言葉から『ありのまま』はポジティブなのかなって。その当時の当たり前と今が異なるみたいに、今はその言葉をポジティブに捉えたがるのかなと思います」
「私は何かしらの圧をみんな感じているから、縛りから逃げたい、解放されたいという気持ちが無自覚にでもある人が多いから、ネガティブよりもポジティブになると思いました。
「ありのまま」を原子レベルで考えてみる―流れの中で「ありのまま」自体が揺らぐ
それぞれが『ありのまま』の印象について考える中、
ひとりの参加者がひとつの疑問を挙げてくれました。
「方程式通りに動くことと、『ありのまま』に動くことは違うのか、ということです」
全員にクエスチョンマークが浮かぶ瞬間が確実に見えました。
「ええと、原子レベルで見たら全てが方程式通りに動いているからこの世の全ては『ありのまま』という感覚があるんだけど、でももうひとつ『ありのまま』がいいとして動くのは、なんか感覚的に異なるような気がするんです」
「そうですね。方程式通りに、上手くいかないことがあってもそれが『ありのまま』だけれど、人として、それが『ありのまま』と考えたときに、全員に同じ教育をしたとしても違ってくると思うんです。」
例えば、寝ずに面接した場合も寝てから面接した場合も、どちらも『ありのまま』。だけれども、その『ありのまま』は異なってくる。
細かい条件で見たとき、それぞれが力量を発揮出来る『ありのまま』を定義することが出来る。
「実力の100%の発揮も80%の発揮も、どちらも『ありのまま』だけれど…ということ?」
「そうそう!大きく見たらどちらも『ありのまま』なんだけれど…条件を付与するとまたその定義は変わってくるのかなって」
「私達は今『ありのまま』を掘り下げていったけれど、そこにはポジティブ・ネガティブの印象はなくて。けれど、実力の100%の発揮が『ありのまま』というのは、私達が最初に描いていた印象、そして他者が求めている『ありのまま』のニュアンスですよね」
「そうですね。だから、同じ価値観の『ありのまま』ではない『ありのまま』が今ここにいると思うんですよ。たくさんの話を通して分裂した『ありのまま』が今ここにいて。たくさんの意味が含まれてしまっているんですよね」
全員が同じ『ありのまま』に向かっていると思っていたけれど、
いつのまにか、少しずつ、それぞれが考えた『ありのまま』が変わってきている。
どうして全員同じと思っていたんだろうか。
はっとさせられた瞬間でした。
「あ、それと思い出したことがあって、聞いた話ですが人の身体って3年で全細胞が変わると言いますよね。だから、『ありのまま』でいるはずだけど身体はずっと変わり続けていて…」
「『そのまま』と『ありのまま』は違うのか、ということだよね」
「そんな感じです!『そのままでいる』のと『ありのままでいる』は全然違うと思うんです」
「それこそ、『そのまま』と『ありのまま』の違いは、最初に言っていた、影響を受けるか否かという感じがします」
「影響に逆らっている感じがするよね、『そのまま』って。海にいるワカメは『ありのまま』という感じがする、よく分からないけれど」
「何か影響される前のある時点と影響されたある時点で、何も変化が起きていないのが『そのまま』のような気もします」
「『ありのまま』は変わって良いということか」
「『そのまま』と『ありのまま』は似ている言葉だけれど、レイアウトした『ありのまま』の世界に『そのまま』がいるかもしれないしその逆かもしれないし…」
「"ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず"とありますが、水は絶えず入れ替わっているけれども川の流れが変わらないということですね。これに近いのかもしれません」
対話を終えて
やはりあっという間にやってきた終わりの時間。
きっと皆さんこのままいけば朝まで語ってしまうので…
そう言いながら、ファシリテーターが感想を聞いていきます。
難しかったなあ、でももっと話したいなあ。
そんな表情を浮かべながら感想を話している参加者の皆さん。
その表情を眺めながら、
改めて対話が繋げる世界は広いのだと思います。
掴めそうで掴めない。それが対話の面白さ。
それを少しでも共有することが出来たのかもしれないと思いました。
こうして、新しい出会いを求めて行ったイベント後初の対話は、
いつものように霧の中に居続けはしたものの、
胸いっぱいの不安はなく、出口を見付けたようなどこかすっきりとした気持ちで、無事に終了しました。
終わりに
『ありのまま』のあなた。
今この記事を読んでいるあなたは、
あなたから見て、私から見て、『ありのまま』でしょうか。
『ありのまま』という言葉を見つめることは、
自分自身を見つめることにも繋がっているのではないかと、私は思います。
何かを好きな自分、何かを嫌いな自分、
何かを愛する自分、何かを恐れる自分…
どれも同じ自分なのに、
どうして私達は本当の自分ではないと思ってしまうのか。
『ありのまま』とは一体何なのでしょうか。
今日はここまで。
読んでくださり、ありがとうございました!