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【音楽(旋律)+歌詞=歌!だと思うが…】


先日のNCBプロムナードコンサート後の二人のイタリア人ティツィアーナとシルヴィアさんの話が興味深かった。

ティツィアーナ、日本で歌ってほしいと言われる歌は、祖国イタリアではテノール(男性)が歌う演目が多く、「何故、男性が歌う歌を女性の自分に歌ってほしいというのだろう」と思っていたらしい。

実際、今回のコンサート後に知り合いの日本人男性からリクエストされた歌も、イタリア人二人からすると、まさに男性が歌う歌!というものだったらしい。
なので、その方には「男性が歌う歌だから…」と断っていたようだった。

私の想像の域だが、例えば1960年、1970年代に日本で流行ったイタリアのカンツォーネ、イタリア語で歌われていた場合、その旋律はしっかり記憶に残り、しかし、歌詞はイタリア語だったので、意味はよくわからず、歌詞も音楽みたいに聴いていて、歌の内容より旋律の記憶が残るのではないか?

私にしても外国語の歌は、歌詞はそれ自体、旋律と一体化しており、意味はよくわからず、"旋律と声の美しさ"で聞き惚れているように思う。

が、歌詞の"意味"が理解出来る場合、「歌の内容」と「歌手」のイメージがチグハグになってしまうと気分良く歌を聴けないらしい。

その事例の一つ。
リクエストがあった曲の一例であるが、その歌は平たく言えば、男性が女性をナンパしている内容で、「ヘイ、その彼女、イエーイ」みたいな感じの歌の内容だった。
女性であるティツィアーナが男性形のままその歌を歌うのは変。 
しかし、だからといって、男性形を女性形に変えて歌うと、女性が、男性を口説く感じとなり、「ヘイ、そこのお兄さん!」となってしまい、何とも品が悪くなってしまうらしいのである。

シルヴィアさん曰く、「うーん、ティツィアーナは、歌わない方が良いと思います。意味(イタリア語)がわかっている私からすると、ティツィアーナがこの歌を歌うとイメージダウンだし、合っていない。」
が、一方で歌詞の意味がわからない方々からすると、昔懐かしい歌は、歌詞の意味にかかわらず、戦慄で聴きたい!となるんだろうな。

母語で聴く歌と外国語で聴く歌、
同じ"歌"ながら、歌詞の理解に齟齬が出てくるような…。  
#歌 #母語 #外国語 #ティツィアーナドゥカーティ #ソプラノ

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