ゆりこ施設保育士への道のり
こんにちは。ゆりこです。いつもありがとうございます。初めましての方へゆりこのプロフィール も載せておきますね!ぜひお読みください。→ https://note.com/2021yukidaruma/n/n44187fedf3b6
今日は前回の続きとして書いていきたいと思います。施設保育士になった経緯を書いていきます。
ゆりこ保育士を目指すはこちら→ https://note.com/2021yukidaruma/n/nf24ad2a4477d
色々な経験をしていく中で保育所保育士ではなく、施設保育士になることに決めました。
それは私の成育歴•生育歴も関係があると思いますので、こちらも併せてお読みいただけると幸いです。
★ゆりこ誕生まで→https://note.com/2021yukidaruma/n/nf4b4351b6c12
☆父の生育歴→https://note.com/2021yukidaruma/n/n1acc7d6a5874
★母の生育歴→https://note.com/2021yukidaruma/n/n3d7fde7869aa
☆ゆりこの子ども時代と母の気持ち→ https://note.com/2021yukidaruma/n/ne90cc6cb7a85
①拠り所を探して
私は中学生の頃からボランティア活動を始めました。拠り所を探して、認められたい、家に求めるな!外なら認めてくれる人がいる。世の中のために頑張れば愛される、感謝される…最初はそんな動機でした。高齢者、障害者、障害児、非行防止、募金活動…本当に様々なボランティアを継続的に行ってきました。
高齢者→父方の祖母が大好きで、近所のおじいちゃんおばあちゃんも大好きだったから。よく近所のおじいちゃんおばあちゃんの家にお茶飲みに行っていました。基本、ジジババ大好き❤
障害者•障害児→幼少期から父の叔母の入所していた救護施設に面会にいつも行っていました。事務所までの道のりがいつも怖かったのです。ヘッドフォンをしてる人、特殊なヘルメット、大きな声をあげている人、意味の分からないことを言っている人……小2くらいまでは正直怖かったです。施設に入ると違う世界で早く帰りたかった。ですが、知らないから怖かったことに小学生の頃に気付きました。そして、小学校内のきぼう学級とあゆみ学級という通級に通う子たちに関心を持つようになったのが3年生からだったかと思います。もっと知りたいが強くなりました。そんな動機もあります。ボランティアを継続していく中で出来なかったことが出来るようになる過程に立ち会うと私自身が嬉しかったです。
非行防止活動→中3の時に中学校に夜回り先生で有名な水谷修さんが講演に来ました。そして、高校生の頃もたまたま市内に来ることを知り、聞きに行きました。あの時に家庭環境の話が沢山出てきました。非行と家庭環境の関係を中学卒業前や高校の時に知ったのです。「田舎は引きこもり、都会は外へ。」が印象的です。もしも私が都会に住んでいたら家に居られなくて、外に出ていたかもしれません、帰らずに非行の道にはしったかもしれません。そんなことを思ったら、ただごとじゃない。他人事ではなく、自分事だと思ったのです。あの後、沢山漫画も含めて水谷修さんの本をとにかく読みました。それで始めたのが短大時代に警察のサポートセンターの少年との交流。少年サポーターでした。身近なお姉さんとして。現在も社会人になってから更生保護のある団体に所属して活動しています。8年目です。
②社会的養護施設の存在と水谷修さんの影響
様々なボランティアをしている中で障害児への支援についてすごく関心を持ちました。「できなかったことができるようになる」ここまでの過程はどれだけ支援者が働きかけたか、どんな働きかけをしていくか考えることやその過程に感銘を受けました。それが高校生。だから障害関係の道を高校3年の時までは考えていました。
短大入学後、障害系科目の教授からいつも指名され発言していました。いつも前列に座っていました。「障害者博士」と授業中に教授に言われるほど、障害については他の学生に負けないくらい高校の頃から勉強していました。
しかし、社会的養護の授業や家庭関係の科目、人間関係の科目を受けている中で自身の過去とリンクし始めます(過去の記事を読んでくださっている方は分かると思いますが… https://note.com/2021yukidaruma/n/ne90cc6cb7a85 )。そして、水谷修さんのお話がいつも浮かんでいました。田舎暮らしで私ができること。私の経験(生活•過去)をフルに活かすこと‥私にしかできないことを考えるようになりました。
とにかく現場に行ってみないと分からない。机上だけでは物足りない。自身のこととリンクするから余計に気になりました。そして、非行防止の活動を通じて家庭環境について深く考えるようになりました。障害児と社会的養護の科目の教授に相談しました。1度施設に行きたいけど、チャンスはあるか?と。就職も自立支援ホームと児童養護施設どちらかで考えていました。
相談した教授から2年生になったらちょうど施設長してる人に授業もってもらうから、繋がるように。お前ならできる。そう言ってくれました。
社会的養護IIの科目の先生は県内の児童養護施設の施設長でした。私は講義が終わるといつも質問に行ったり何か荷物を持つなど声をかけたり挨拶しました。とにかく大勢いる学生の中であの週に一度のたった一コマの時間に顔を知ってもらう名前を知ってもらうことに必死でした。良い印象をとその授業の日は友達とは別行動していました。
施設実習は希望が叶わず、障害者就労支援施設と病院(重心、筋ジス、小児慢性、postNICU)でした。そのため、授業担当の施設長に自分でお願いして、ボランティアとして自主実習として、数日間お伺いさせていただきました。
私が過去にあったこと、マイナスのままで人生を終わらせたくない、私は逆に言えば子どもの気持ちは理解できるのではないか?そう強く考えるようになりました。それと同時により一層勉強もしたいと思いました。周りで学内の大学に編入する友人たちを見て私も心の中で希望していました。
そういえば短大入学試験の面接の中で幼児教育ではなく、社会福祉学科であることを強く言われたことを思い出します。
資料は沢山取り寄せたものの、学費をどうしていくかがどうにもならず、身内にも相談できず最終的に時間が過ぎていきました。取り寄せた資料がたまり、言い出せない私。どうにか学費をしていく方法も見つからない私。複雑な気持ちになりながらも諦めました。
県内で児童養護施設は基本的に県職員しかなれません。私が希望するところはどこも県職員である必要があり、大卒ではない私には受ける対象ですらなかったのです。唯一ひとつの法人だけ民間に委託という形で民間が運営していました。私はその法人がたまたま授業をしてくださっていた先生の法人であることを知ります。
そこの法人就職をし、先生の施設を希望していましたが、乳児院配属になりました。
私には生育歴•成育歴、ボランティア、授業、様々なことから保育所保育士ではなく、施設保育士である社会的養護施設に携わることに決めました。子どもの最善の利益の追求のため、そして私のために。私の過去を無駄にしないために。。。
2021.11.15