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ほんのしょうかい:立川昭二『明治医事往来』〈『思想の科学研究会 年報 Ars Longa Vita Brevis』より〉

立川昭二『明治医事往来』(講談社学術文庫)


この本は、『東洋薬事報』に昭和五十七年から六十一年までの五年間にわたり連載していたものを、修正加筆したものである。筆者本人も語っているように近代日本の医療史の概説でなく、むしろ明治医事世相史とでもいうべきものである。けれども、それゆえにこそ、落穂拾いのように描かれたエピソードの数々は、海面が太陽の光を浴びて、空の星のようにキラキラと瞬くように、さまざまなことに思いを巡らせるきっかけを与えてくれている。病に対する人々のいとなみというものは、歴史が刻まれるもっと以前から始まっている。それは、共に暮らす人々の経験や、祈祷や薬師、また医に携わる人の様々な行いが絡まり合いながら進んできた。西欧との接触は、さまざまな可能性を、この国の<医>の文化に影響を与え得てきたが、制度としての<医>、学としての<医>、そしてそれに携わる人の管理が始まるのは、明治の文明開化における西洋医学の導入からであろう。 その後、枠組みの中で<医>というのは、国の機能として、産業として、政治・行政的な部分として、発展して、今日の形にいたる。けれども、今日の文化としての<医>の潮流、その開始点、もしくは変換点にあたるのは、制度が変換する明治期に由来するものが少なくない。今日の姿の原点として、明治期の<医>に関わるエピソードを多く含んだこの一冊は、現在の様相を考えるのに大きな助けとなろう。明治二十年代前後のコレラの流行は、それまでの村落単位の共同体の枠組みの再編成におおきな役割を果たしているし、また、疫病にたいする避病院や医学的な見地からの介入に対する反応は、今回の新型コロナウイルス流行による混乱の様相に通じるものも少なくない。また、性病予防のための検梅制度というものが、船員を始めとした日本を訪れた外国の軍隊の防疫のための要請から始まったものであるというのも、日本における感染予防の考え方、その後の進展を踏まえて検討するのにも役立つのではないか。上からなされるものでない地域の努力による様々な病院の設立は、地域の経験として、今日にまでつながっているものも少なくない。さらに、助産師、看護師は病院に付属した職業の如くに考えられがちではあるが、明治期での事象を検討すると、むしろ病院から自立した存在として活動していた部分が少なくないようである。これは、現在の訪問看護にも通じるものでもある。 今日の医療のあり方は当たり前のもののように考えている人も少なくない。そうであった由来もあるが、そうでなかった医療のあり方の可能性もある。加えて、伏流水のように流れている医療のエートスもある。開国を行い、諸外国と接触がはじまる。その明治期、<医>は、新しい<病>と<社会>そして、<制度>と出会い始めたのだろう。その後の発展をどう評価するのか、それは、これからのことだと思う。(本間神一郎)


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