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【画廊探訪 No138】児戯こそが明日への余白――矢野静明展『毛玉と糸くず――Pill and Lint――』(GALLERY FOLI)に寄せて―――


児戯こそが明日への余白
―――矢野静明展『毛玉と糸くず――Pill and Lint――』
(GALLERY FOLIO)に寄せて―――


 襾漫敏彦

 中央線の駅前のロータリーは、戦時中に駅舎への延焼を防ぐために周辺の家屋を引き倒した跡の空地がもとになっている。
 高いところから眺めて、人々の生活に指揮を振るわんとする者は、人々をひとつの枠組みの中に配置しようとする。それは算出された無駄のない美しい世界である。けれども、未だ来たらぬ出来事があらわれるや、その計画は陳腐なものとなる。未来は予想外の傷口と共に展開する。


 自ずと現れた線が、呼びおこす画像が、矢野静明の表現となる。運動場の土や砂をはらった後の固い地面に棒で線をひくように、キャンバス(画布)に油絵具等で、下地を整えたあと、矢野はインクで線を描きはじめる。
 ペンや筆では、書く時の方向性に、道具の惰性が働く。心の趣きが道具に影響されないように矢野は、焼き鳥の串や木の棒を絵筆とし、インクで線を引く。自在でありながら、己れのこだわりに縛られぬようにキャンバスの大地の上に、色を限った極細の線を縦横無尽に描いては、画像をひろげる。時を経て、そして浮かびるのは、遠くへと引き離してこそ現れる細密画である。
 個展では、余白のように上が空いているものが多い。そのため線で構成された図像は、貼りつけた紙のようにも見える。地図のようでもあり、織物のきれのようでもあり、病理標本の写真のようでもある。縦横無尽に描かれた線の所々にはドットのような色だまりと、泡や水滴のような自然に生じた余白の空間がある。少しはみ出した境界と共に、そこが、いい。

 行進がはじまった途端、足並みが乱れ、間隙が生じる。無駄な空間を抱えながら、我々は明日へと進む。計画は過去にある。現在は乱れてこそ、明日へ踏みこみができる。



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noteに掲載されている矢野さんの文章です。

矢野さんは、いろいろと文章も書いていて、本もあります。

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