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さいきん

いつものデウバンスの 美容室は、
このあいだ、 ヘアキャップのようなごわごわとしたものをつけああとに
おでこの 真ん中に しわが 履歴としてふえたような感じが
うっすらとしたので

なんとなく さけて 美容室を探して パーマをかけようと思った。

ら 一度だけ ほかの アトピーとか 大丈夫みたいなことが ネットに宣伝してある
去年の年末にいったところは
それよりまえに 気が向いたとき電話をしたときに一度施術してもらっときに 扱いやすくしあげてくれた担当の人が、やめたという情報を得ていたし。ちがうひとだとしても ねっとで 明日には予約もとれなそうなので。

八月 急に 明日 とかでも 予約のとれる美容室に いったら。


なんだか 前髪が扱いにくくなりどうにもならないのでかけるためにいったのに まえがみが 
かかっていないので 
そういえば 前髪 三回三か月間カット無料

と せんせいがいっていたので

なんにちかあとに

まえがみが どうにも あつかえないので 
すこしだけ 左がわのところをカットしてもらおうかと行ったら

「きってもいいですか?」

と 担当だった せんせいがいなかったので
ちがうせんせいが いってくれて
かけなおしながら カットして てなおししてくれた



けど 

どうにも そこから 一週間

右側も 結構 バッサリと 前髪をきった
はじめの仕上りも 手直しの後も
すこし 中学生のような 雰囲気の きりかたなので。

でも はじめていった日にいたお客さんは イケメン 高校生 か 二十代男性が なんにんか

また、一人みかけた 女性も 美しい。 と 

髪を大事にしている きにしている 人たち。

せんすのいい。のようなひとなので

お店の 先生の うでは わるくないのかもしれないけれど

なんとなく じぶんは そのお店に むいていなかったのか。


パーマは じかんもかかるし 薬品みたいのもつかうし、とても面倒。

だから きがるには かけるきがしないから

どっこいしょ よし どうにも かみが いうこと きかなくて へんだからいこうか。

と ぱーまかけたあとに なんどか にどくらい カットした後に
かけにいくけれど。

こんかいは てなおししてくれて

まるで 中学生だったときのような かみの ながさというか
に なったものの

前髪が じゃまだ。

だから きのうも、、、。

かわかしても 

うん。
という しあがりではなく。


じゃまで どうにもならないから 
いったら さらに きられて 

なんだか よくわからないかんじになり
しかも パーマ依存のかみにもかかわらず

なんしゅうかんかで あつかいずらく 顔に当たるし
へんな ながさのいち。

これはこれはまいった 。

と おもっているところ。

クリニークの ポップリップ。荒れなかった。
荒れない口紅を探していて

もう 10ねんくらい ノブの 口紅しかつかっていなかったし
この なんねんかは

おそらく アメリカの きえない 口紅 を 20頃しようしていたり。

かねぼう テステイモ を 使ったときから

唇が 水泡みたいに あれる体質にかわり。

テステイモは 会社の 同じ年の女子も、
テステイモで荒れた話をしていたから。

なんだか テステイモは けっこうな 女性を 
唇 水泡ただれる 体質に
かえる 商品であったとは おもうけれど、
それは 勘違いであるのかもしれないけれど。


もちろん その同じ年の女子は
わたしほど 唇が あれやすくはなくて 
普通にすごしていたから。

話を合わせてくれただけなのかもしれない。


午後の塗りなおしを のぶでしても

もちろん ひふかで あれたときに ワセリンを処方されたから。

あれてないときも 口紅をぬるときには 下地に ワセリンをぬる。


おもいだすのは 短大のときに。 医学部のひととつきあっていて
結婚した友達は。
結婚式のあとから いちどしかあっていなくて おつきあいはないけれど。

口紅のしたに 下地となるリップをぬっていた 。

そのように 美意識のたかいひとは。
おこさまのような むちゃとか 自分をいじめるような
肌手入れを わかいころから がさつに しておくとかではなくて。

あれない?

のように 
唇を 口紅を直接つけないで、下地にリップをぬる。

というようなことを していた。
から

くちに 水泡ができてしまう 。荒れやすい体質。というのも

なにかの 口紅に であったときに 荒れやすい。

荒れにくくする。という ちえとか 自分を大切にする愛情を自分の身体にむける。

だとかいう いしきが。

わたしは欠如していたのだなと。

あの たんだいの 友達を、くちがあれるときに

ていれのいい あたまのいい 雰囲気。というかを
おもいだし

くちべにのせいにはできないな。と 思う。


あの友達は お母さんが ウエドィングドレスを お母さんのドレスと 友達のを手作りしてくれていたな。

色白だった。

そういえば 5、6年前 、偶然 道で見かけたら。お互い車にのっているときに。

白いベンツにのっていたっけ。
目合図 こんにちはしたかな。

あの娘らしいや。

王道というか いい といわれているものを いいと する。

知り合いになる前から 色白で きりっとした すたいるで 大柄ではないから。
綺麗で雰囲気のいい子だな。とはおもっていた。
県外から 車で来ているようだった。

失恋経験も とうじあったみたい。

こんなこと ここにかいていいのかわらかないけれど
大病院の あととりのひとと 病院の事務をしていてつきあったみたいだから。

いい。ともったひとと。
自分の 納得いく いい。とおもったことを 
いいとおもった 心地よさを もとめて いきている

ひねくれていない、色白の うつくしい 女性だ。

超美人というかんじでもなく いろじろで 
きりっとしたセンスの かわいい ふんいきもする女性。

きっと いまでも いい。とおもうことを 
行動を すすんで ここちよさを もとめた

素直な 生き方をしているに違いない。


一人っ子だということで。

まえ 学食のところで じかんのあった ゆうがた お茶をしていたら。

てもとにあった なにかの かみで おった 彼女の折り紙のミニ鶴が、
わたしの お財布の 小銭入れに入っていた。


ああ もてるというか 面白い女性だなと。

あとから 一緒にいない時間に おさいふに ミニ鶴が はいっているときに
きがついたときに 思った。


まず 

わたしは 自分も きもちからはなれて

いいとおもわれている 価値観 

ヒエラルキーの うえ した 

などを いっさい けしてみて。
価値観をうたがうところから 始める。

そして いきあたりばったりという なりゆき。
と 
親のしつけの影響。だけで

恋愛 というか そいういうのは 

告られた人 とする。ことくらいしか 出来なかった。

告らせよう。としたことも ないし。

ぐうぜん わかい 若さに 一目ぼれのようなことをしてくれた

名前も知らなかった がっこうが おおきいから はあくもしていなかった
告ってくれたひとと つきあって

そのまま なんとなく それいがいのひとは 人間。
そのひとだけ つきあっているひと。

というような 男性も 女性も 意識しない 人間。という 把握しかしていなかった。

好き嫌いも あまり とりいれない 
受け身的 主体的のなさのなかに すごしている人生では

セクシャリテイーというようなものも
メデイアのものを さけたり その たんだいの 友達よりも まえからいる
友達の うわさばなしや すごしかた から あまりはずれないようにしたり

あとは すこしだけ 自分の すごしやすい こだわり 好みを
自分に こくってくれたひとだと
ノールールに 坊弱無人もしくは

いや ひとまえにはでずに

ふたりですごす 幼稚園じの 母と子。

のような 

なんだか セクシーなかんけいではないような おつきあいのような
でも つきあった あいてにも 美意識はあって。

その あいての 美意識から 外れない程度の。
偶然 告ってくれた そのひとの お母さんが
とても バランスの取れた 美しい 一度だけ お見かけしたことがある
放送大学などでも 勉強をしている
という バランスの取れた 三人息子をそだてている
愛情もあり 
いっさい うるさくなく 育てるという。

わたしは あのひとと あのひとの お母さんとかにより

とても 嫌な思いをせず、

学生じだいの  息子に 彼女ができたのね。という程度の認識で

親というのは 貫禄になる。

わたしは 口紅の下地もなくすごしていたことを

まるで 自分の しんたいを 大切にしていなかったかのような

すこし このあいだ かった カードリップ。
これは ファンケル。

ファンケルの ねっとでは 

水泡ができてしまうたいぷであるけれど、これは大丈夫でした。
という うたい文句が書いてあり 
ぽちっと かってみた。けれど。

やはり ファンケルは クリニークの ポップリップカプチーノのりも
ノブの 口紅よりも ダントツに

あれてしまい 水泡のようなものも うっすらとできてしまう。
体質に 私はあわないものだった。

これほど 発散したいほど、あれてしまっただけで いろいろと 
おもうのだから。

そういえば ぐうぜん ずぼらという 私の性格で
口紅の下地を ぬっていなかった。


という 事実であって。

友達は いい。とおもうこと。いい と思うものを 取り入れた生活をしている人生なだけで。
おしゃれなものも すきみたいで

あかちゃんが ひとりめ 

そうか いちどだけよりも もうすこし 彼女とは 結婚式のあとには あっていたかな

うまれたあとに 遊びに行ったときには
見たこともない  あしで ゆすらごというか
ふむと あかちゃんの ねている かごのようなものが  ゆれるような
ベットのようなところに 寝かせて
椅子に座りながら 本でも読みながら 足で 赤ちゃんをゆすれるような家具? 道具? 
などに ねかせて いたっけ。

面白い話もしてくれる 
おとうさんが あほの さかたを シュッとさせて おとなしくさせたような やさしそうな ひとで おかあさんは 美人な 派手な感じのする 色白のひとだったから、

彼女は 頭もいいし 
ちゅうがくのときには ふとって いた というはなしもしていたから

美意識も高いのだろうな~。


やはり 上を目指す。ようするに
自分の母に おまえは 向上心というものがないのか。

だとか 

そんなようなことは ほかのだれかにも いわれてことがあるような きおくもうっすらするけれど。


向上心。

というものと ともに すごすことは 
とても わたしは 苦痛だ。

うまれもった おやからもらった 身体等で。

なるべく 

外に出ても 変ではない服装 というところだけは 
働いているときには
まわりに ちょっとした おもいやりと 
変ではない という 言動 や 仕事ぶり。
をしよう という 努力はするけれど。


向上心。ということばは とても ストレスなのである。

息苦しくて。

弱い人間もいる。
主体性がない  受動的。

そんな 

主体性のある 能動的なひとは 
そんなひとが はがゆくて 
軽蔑するかもしれないが
わたしに 言わせれば

それが うまれもった 身体等。

たとえば 目が不自由
目が不自由な 人生を 堪能する。

たとえば 有能で 美貌も兼ね備えた人間関係も器用なひとは
有能で 美貌もかねそなえた 人間関係も器用を 堪能する。

と おなじように ?

主体性のない 受動的 ながらにも
すこし 変化を 出した方がいいかな とおもいながら

なんとなく まえむき 自分にとったら 前向きに 地味に いきるじんせいを堪能する。

おかれた人生を 堪能するというところにおいて
ときには 人生頓挫しそうなときには周りのひとに 知恵を与えてもらったり 元気つけてもらって
休息をとったりして もちなおして  
すごしている。


向上心ということに とても 嫌悪感が わたしはあるのは。

もしかしたら めが  あまりよくないせいかもしれない。

みえるけど。

老化現象により 隠れ斜視 ということがわかった。


だから つかれやすいから 
なにか 努力するという
すじをとおして なしとげる

ということに たいして 
無意識の 恐怖感を抱いているのかもしれないことにはこの年齢になるまではきがつかなかった。