佐野元春論/大乗ロックンロールの言葉と自由 序

本文は、2020年12月ー2021年1月に、著者(藤谷蓮次郎)のアメーバ・ブログとはてなブログに無料公開した文章です。

 序 自由、「副産物」、「変わりゆく同じもの(チェンジング・セイムネス)」            
 人生とは、どんな答えであったかではなくて、何にどう答えようとし続けたかではないか。
 そして批評は、それを問いへと戻して共に生き直そうとする意思の具現であるべきだ。
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 大澤真幸は言う――「寛容な社会に向かっているはずなのに、われわれの閉塞感は小さくはならない。それどころか、逆に、閉塞の感覚は強まってさえいる。」(大澤/2018 p4)。たしかに、我々が共に生きている現在は、最重要な価値として屹立させたはずの「自由」をめぐり、のっぴきならない閉塞感に直面している。世界の全ての出来事がわずかなパターンの違いに回収され、個々の生の体験は、全き一般性に覆い尽くされてしまったように見える。
 アドルノの音楽批評を批判的に引用しながら、毛利嘉孝は「資本主義」において「商品」となっているポピュラー音楽の態様を分析する――「ポピュラー音楽は、資本主義に対抗するものでも、独立したものでもなく、資本主義が作り出した無駄なもの、過剰なもの、廃棄してしまったものから作り上げられたものです」(毛利/2018 p273)。「資本主義」における「無駄なもの、過剰なもの、廃棄してしまったもの」とは、資本主義社会の最も優れたもの、価値の高いものからこぼれ落ち、偶然できてしまったもの、この程度しかできなかったけれど出来あがってしまったもの、という存在を指している。毛利はこれを「副産物」とも呼んでいる。
 この「副産物」は、「コード」と呼ばれる超文脈的固定性によって、個別の生が奪われる体験にしかならない。創造性への枷を持つとしてアドルノが批判したジャズよりも、現在のポピュラー・ミュージックはより貧困なものでしかありえないように限定されているはずなのだ。コード(和音)とわずかなリズム・パターンの組み合わせ、――そう考える限り、現代のポピュラー音楽は、閉塞そのものでしかない。
 しかし、本当に、それはただの不自由なのだろうか? ここに必然のタガを意志して外す体験はないと言い切ってしまっていいのだろうか?
 かつてそれは確かに、そのような体験と思われたことがあったはずだ。
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 一九八○年代のライブ会場で、佐野元春は叫んでいた。
「ここにイヤな奴は一人もいないぜ!」
 熱狂するオーディエンス。それがクライマックス。
 また、彼が永年、DJを勤めたラジオ番組は、お決まりの咆哮から始まった。
―― I wanna be with you, tonight!
 誰もを理屈抜きに受け入れる感覚。このうさんくさい、幼児性の爆発こそ、佐野元春というアーティストは、その核心に置く。その時の彼には、会場にいる人やラジオを聴取している人を越え、全ての人を受け入れる意思があった。このような常軌を逸した感性の拡張、他者の受容へと開かれた心こそ、彼のロックの生命なのである。それは確かに、その時、自由の経験と感じられた。
 では、もっと一般的に言って、ロックの生命とは何か。エルヴィス・コステロについて書かれた文章の中で、クレイトンリーは言う。「音楽との危険な一体感」だと(Clayton-Lea/1998 p16)。また、ビートルズを音楽理論からのアプローチで分析した田村和紀夫は言っている。ビートルズの音楽と彼らの存在こそ「若者文化の肯定的表現」であり、「若者の新たな行動規範への突破口を開いていた」と(田村/1999 p68)。いわば「ロック」あるいは「ロックンロール」とは、いまだ秩序づけられていない表現(だからこそ「危険」を感じるのだ)、エントロピーの音楽ということができる。この見方は、佐藤良明が指摘した、六十年代後半の世界共時的なコーイヴォリューションとその屈折(挫折)にも通じる(佐藤/1989)。その力が沸点に達した一九六十年代の後半。より過激さを求め続けるポジティブ・フィードバックを受け止められなくなり、ネガティブ・フィードバックの抑制を、人々が自分自身にかけるようになった。ロックも、それに巻き込まれる者たちも、変容を余儀なくされたのだ。社会のエッジに表れたロック(以下、ロックンロールとロックはほぼ区別なく用いる)というジャンルは、無謀なポジティブ・フィードバックの連続を試み続けて自らを滅ぼすか(例えば、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクス、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズら、六十年代のロックスター達。八十年代日本に表れた尾崎豊にも同様の自己蕩尽を見ることが可能だろう)、ネガティブ・フィードバックをかけて、自ら終わりなき蕩尽から隠遁するかの選択が必要になった。
 しかし、大人たちが隠遁の時代を迎えたとしても、ポジティブ・フィードバックの時代に夢見た子どもたちは、どうなるか。その時代に思春期を迎え、メエルストラムからはじき出された少年・少女たちは、いかにその後の人生を生きていったか。――ここで思考するのは、あるジャンルにおいて長期に渡るエントロピーを可能にしたその力、この社会に醸し出された一種のアウラなのだ。言い換えれば、毛利がリロイ・ジョーンズを引用して「変わりゆく同じもの(チェンジング・セイムネス)」と呼んだものである(毛利/2012 p133)。
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 佐野元春。この未知の才能が現れた一九八十年に至るまで、一九五十年代の半ばに誕生したロックンロールは、様々の才能による紆余曲折を経てきた。その歴史についてはこれから論の必要に応じて簡略に触れていく。が、我々が出発点において確認すべき事実がある。それは、ブルース・スプリングスティーンという傑出した才能に端的に現れているものだ。スプリングスティーンこそは、ロックンロールの歴史そのものを作品化するという、新たなステージの到来を最高の強度で示した存在だった。彼は、文学と同じく歴史の解釈というジャンルの自意識の袋小路に入り込みかけたロックンロールを、ポピュラリティを備えた形でリスナーに提供することに成功したアーティストなのだ。『Born to Run』(1975年)は、それとほぼ同時期にニューヨークとロンドンでポツポツと産声を挙げてきた「パンク・ロック」と同じく、「アンチ・ロック」としてのロックの一つの達成だった(Heylin/1993 及びBirch/2001など)。振り返るに値するだけの歴史を積み重ね、ビジネスとしての定型も確立されたように見えたそのころ。ロックが人の原始的衝動の表現たることへの回帰が、改めて志向されるようになったのだ。
 この時、歴史への振り返りとアーティスト自身の原始的衝動の両面の同時実現のためにスプリングスティーンが駆使した世界観が、「プロミスト・ランド(=約束の地)」であった。彼の音楽は、この「約束の地」への試みだった。それは『Born to Run』の「THUNDER ROAD」の主人公が旅立つ場所であり、やがて佐野の「SOMEDAY」を導き出す役目を果たした「HUNGRY HEART」の主人公が探し求める街であった。これが実際の土地へと結びつくと、『Born in the USA』(1984年)のような衰弱が起こる。「約束の地」はどこかであって、具体的なここやそこやあそこであってはいけない。そして必ず未来に信託されていること(SOMEDAYであること)でしか、輝き得ない。スプリングスティーンのパクリと冷笑されてきた佐野元春。だが、両者は「約束の地=SOMEDAY」への志向という本質的な類似点を持っているのだ。
 このいつまでもたどり着かない(未来を志向する)「約束の地=SOMEDAY」との距離感こそ、ロックを自由の経験とする「チェンジング・セイムネス」なのだ。辿り着かない場所に対する真剣な接近の試みだからこそ、常に一度きりの単独の経験を生み出す。本論考は、主に彼のリリックに対する視点から、その存在が現れた当初の新鮮さの由来を論じ(Ⅰ章 約束のリリックーー新奇の生命)、次に長期に渡って「例外」であり得た彼のロックの歴史からの差異化のダイナミズムを論じ(Ⅱ章 歴史と例外ーー無類の亀裂であること)、さらに近年の彼の仏教への接近とそのユニークな逸脱ぶりを論じる(Ⅲ章 アンバランスな大乗ビートーー繊細(デリケート)な天使、鬱な仏と出会う)。そして最後に、佐野元春という創作家の精神の変容と一貫性を分析しつつ、多くのリスナーにとってもいまだ「チェンジング・セイムネス」として自由を与えていることを述べて、その未来を思う(結 慈悲をめぐる経験ーーホールデン・コールフィールド菩薩の視線)。

(この後は、有料パートになります。)

 次のパート(Ⅰ)はあ、明日公開になります。






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