パレスの街
「久しぶりに会おう!」
小林美佳は東京から京都に向かう新幹線の中で高校時代の同級生の清水勇人からのメールを受け取った。新幹線は小田原を過ぎ静岡に入っている。車窓からはくっきりと富士山が見える。東京で生まれ育った美佳は父の仕事の関係で京都で高校生活を送った。今回は京都への2年ぶりの小旅行を計画し新幹線で京都に向かっている。
「ん、なに?卒業以来一度も会ってないのに・・」と美佳は思った。
「今、旅行で京都に向かってる。午前中は予定があるけど、午後からだったらOK!」という返事を送った。するとすぐに返事がきた。
「だったら13時にkurasu ebisugawaというコーヒー店で!」
勇人からのメール文はそっけなかったが「やけに手際がいい・・」と美佳は思った。
新幹線は名古屋にさしかかっている。
第1話 「天皇の愛した庭」
吉田浩史は、この4月に建築デザインを勉強するため京都の大学に入学した。金沢で生まれ育った浩史は小さいときから慣れ親しんだ町家の建築を学ぼうと思い京都の大学を選んだ。今日は禅宗の代表的な寺院建築と水路閣を見るために南禅寺にやってきた。南禅寺の方丈を見学した後、浩史は水路閣に行く小径にやってきた。小径の入口に「名勝庭園 拝観 南禅院」と書かれた木の案内板があった。「南禅院?ん、なんだろう?」浩史は興味がわいた。小径を少し歩いて行くと水路閣があった。水路閣はレンガ造りのアーチ橋でその上を琵琶湖疏水の水路が流れている。明治期に造られた水路閣は長い年月を経てレンガの風合いが増し、南禅寺の木々の緑と相まって一種独特な雰囲気を醸し出している。
水路閣をくぐるとその奥に長い階段があった。ゆっくりと階段を上がるとそこに南禅院の門がある。南禅院は南禅寺の発祥の地であり、亀山天皇の離宮がその前身である。今は南禅寺の塔頭の一つだ。亀山天皇が自ら作庭した庭がここにある。南禅寺という有名な寺院の中ではあるが南禅院を訪れる人は少ない。
門から左に曲がったところに拝観受付がある。浩史は拝観料を支払い、受付の右手の小さな門をくぐり寺院の中に入った。境内に入るといきなり左手に宸殿と呼ばれる離宮の建物があり、その右手に建物に沿って庭が見える。しかしそれはまだ庭の一部にすぎない。歩き進めて建物の際まで進むと一気に視界が開け、目の前に池のある大きな庭が広がった。
浩史は思わず「うぁー!」と大きな声をあげた。
浩史は庭の写真を撮るために、いろいろな位置に動き、スマートフォンのカメラのシャッターを次々と押していった。その時、1眼レフのカメラを首にかけて建物の横に立って庭をじっと見ている女性に気づいた。「あれっ?誰かに似ている・・」と浩史はとっさに思った。浩史は「彼女もこの場所を気に入っている・・」と思いうれしくなった。浩史が建物を入れた庭の写真を撮ろうとすると、彼女はそれを察知して、よけるようにさっと体を動かした。
浩史は庭の写真をひととおり撮り終わって、宸殿の方からしばらく庭を見ていた。
今度は女性がカメラでいろいろな角度から庭の写真を撮っている。浩史は女性が楽しそうに写真を撮っている姿を見て心が動いた。
宸殿の横を通ると山手のところに塀に囲まれた建物が見える。浩史は宸殿から山手の方に移動した。塀のそばに近づくと大きく「亀山天皇分骨所 宮内庁」と書かれた木の案内板があった。案内板をじっと見ていると、浩史は自分の横で案内板を見ている先ほどの女性に気づいた。浩史は「ここに亀山天皇が眠っているんですよね。」と思わず女性に声をかけた。
女性は「そうですね。そのようです・・」としっかりとした口調で応えた
浩史は女性の顔を間近に見て、「あっ・・中村さん・・そう・・高校3年の時、クラスが一緒だった中村さんに似ている!」と思った。
浩史はすぐに奥に見えている小さな滝の方に移動した。浩史は起伏になっている散策路を速足で巡り、南禅院の入口のところまで戻ってきた。浩史は入口の門をくぐり寺院の外に出た。先ほど登ってきた階段を今度は一気に下る。階段を下りながら浩史は思った。「なんで僕は急いでいるんだ?」
階段を下りながら、浩史は、ほんの数分前の分骨所の前での出来事を思い出し考えていた。
「分骨所の前に僕とカメラを持った女性だけがいるという状況で、僕はそこにたたずんでいる女性に声をかけた。そして女性は見ず知らずの僕の言葉にごく自然に応じた・・・いや、ただそれだけのことだ・・」浩史はそのように自分に言い聞かせた。金沢から京都に来て新しい生活をはじめた浩史にとっては、ほんのささいな出来事であったがなぜか心に残った。
第2話 「再会」
小林美佳はスマートフォンで“kurasu ebisugawa”の場所を調べて店の前までやってきた。
夷川通りに面したその店は白が基調になっている。入口はベージュ色の木の枠に囲まれた大きなガラス戸になっている。入口の扉は開けられており、通りから店内がよく見える。
「勇人、なかなかいい店、知ってるな。」と美佳は思った。時計を見ると13時になっている。美佳は時間を確認して店に入った。店に入ると右の方の壁の前に何段かの棚がありその棚の上に置かれている多くのコーヒー器具が美佳の目に入った。
その時、店の奥から「美佳!ここ、ここ!」という大きな勇人の声がした。
奥の方を見ると席には勇人のほかにもう一人男性が座っていた。しかし勇人と向かいあって座っているのでここからは背中しか見えない。
「あれっ、誰だろう?」と思いながら美佳は席に近づいた。勇人は左手で美佳が座る席を
案内したので美佳はそこに座った。
「美佳、久しぶり!高校卒業以来だよな。突然呼び出して申し訳ない・・」
勇人はくったくのない笑顔で美佳にそう言った。
「勇人、全然変わってないね。久しぶりなのに久しぶりの感じがしない・・」と美佳は言った。美佳は久しぶりに勇人に会うのだが、その勇人よりその場にいる男性が気になり、ちらちらとその男性の顔を見ている。すると、美佳はその男性と目が合った。
その時、美佳は、男性が一瞬「あれっ?」という表情になったのに気づいた。
勇人が美佳に吉田浩史を紹介した。
「美佳、紹介するよ。僕の友人で吉田浩史君、京都の建築事務所で働いている。」
「はじめまして。吉田浩史です。清水君とはヨーロッパ旅行で知り合いました。」
「はじめまして。小林美佳といいます。今東京に住んでるんですが、小旅行で久しぶりに京都に遊びに来ました。」
「美佳が知っているかどうかわからないけど、京都の大学を卒業して、僕は3年間東京で働いていた。でも、しっくりいかなくて、退職して京都に戻ってきた。そして日本を飛び出して海外を放浪旅行したんだ。その時、ヨーロッパで知り合ったのが吉田君というわけ。」
勇人は自分の口から浩史との出会いを美佳に説明した。
「そうなんだ。」美佳は勇人と浩史の関係を理解した。
勇人と浩史は図面を見ながら、設計デザインの話をしている。
しばらく、勇人と浩史のやりとりが続いている。
美佳は店内に入った時から店の棚に置かれているコーヒー器具が気になっていた。
「勇人、ちょっとコーヒー器具見てくるね。」美佳はそう言って席を立った。美佳は入口近くに移動し、コーヒー器具やコーヒー豆に、しばらく見入っている。
「なあ、勇人、俺、なんかあの人、どこかで1回会っているような気がするんだ。」と浩史は勇人に言った。
「そうなの?」勇人は浩史の言葉にそっけなく反応した。
美佳が入口の方から戻ってきて、席についた。
勇人が美佳に向かって話を切り出した。
「美佳、吉田君との打ち合わせは、ほぼ終わった。話が後になってゴメン。美佳には言ってなかったけど、今回実家の所有する町家をリノベしてゲストハウスを開業することにしたんだ。美佳にも手伝ってもらいたいと思っている。」
「それにしても急な話だなぁ。でも面白そう!」と美佳は言った。
「勇人、心強いな。ゲストハウスを一緒にやる・・理想的だなぁ。レイアウトのデザインの話もついたし・・じゃあ、僕はこのへんで失礼するよ。」浩史は勇人にそう言って席を立ち、美佳に軽く会釈をして店を出て行った。
席は勇人と美佳の二人だけになった。
勇人は席を立つと、近くにあるレジに移動して、「美佳、何にする?」と、少し大きな声で注文を聞いた。
「カフェラテ、お願い!」
「OK、わかった!」
第3話 「わだち(轍)」
清水勇人と小林美佳はカフェを出て、高校時代によく遊びに来た京都御苑に向かった。堺町御門から御苑に入り白い砂利道を右手に進むと「富小路休憩所」がある。二人は休憩所の横にあるテニスコートに近づいて行った。テニスコートでは、外国人の親子が練習していた。コートの前にベンチがある。二人はベンチに腰をおろして、ゆっくりと話を始めた。
「僕たちはこの近くの広場でソフトボールをしてたけど、美佳たちはここでテニスをしてたんだよね?」と勇人は美佳に言った。勇人は美佳と話をすると、なぜか東京の言葉になる。
「ううん・・私はそんなにテニスはしてなかったな。むしろよく自転車に乗って来てた。ここは広々としてて、自転車で走り抜けるには気持ちよかったし、何よりも自然豊かで時々木陰で寝転んで本を読んでいたこともあったなぁ。」
「そうか。ところでゲストハウスの件だけど、そこで美佳にカフェをやってほしいんだ。どうかな?美佳は、ポートランドにいた時、確かバリスタとして働いてたよね。インスタを見ていてわかったことだけど。」
「そう、確かにバリスタとして働いてた。東京に戻ってからもバリスタとして働きたかったけどね。でも、さっき勇人の考えを直接聞いて「いいかも!」と思ってる。」
「そうか、よかった・・僕は一度日本を飛び出してそれから日本に戻ったけど、日本を出てみて日本の良さを知ったな。外国に行ったことで初めて京都の良さ、素晴らしさに気づいた感じがする。」
「そうなんだ・・私は東京生まれの東京育ちだけど、高校の時初めて京都に来て東京とのあまりの違いに最初は戸惑った。だけど、御所に遊びに来て、京都の古都としての魅力にはまっていったような気がする。」
「京都は平安時代から都が置かれ、そこに天皇や公家などを中心とした宮廷文化が脈々と受け継がれている。明治になって東京に都は移ったけど、今もその文化が色濃く残っている稀有な街だと思う。僕たちはその先人たちの遺産の上に暮らしているんだよな。外国へ行ったからこそわかった日本文化の魅力、そして京都の奥深さを、僕はゲストハウスを開業することによって世界に発信したいと思っている。」
「そうね、歴史ある京都でいろんな文化が次々に生まれていった。だから日本文化のルーツが京都にあると思う。私もアメリカで生活していて日本文化や京都のことを深く意識して考えるようになった・・」
「僕たちはもっと京都のことや日本文化のことを勉強しないといけないね。」
「そうだね、確かに。でもそのことをやり始めるの、どうしたらいいのかな?」
「まずは街を見て感じることかな。」
「じゃあ、今から御所に行かない?時間も今だったらギリギリ間に合うよ。案内は私にまかしといて!こう見えても御所には詳しいんだから。」と美佳が提案した。
「えっ?そうなの。京都人の僕が東京人の美佳の案内を受けるの、な~んか変な感じだな。でも、よろしくたのむ!」勇人は人懐っこい笑顔を見せて頭を下げた。
日がだんだん傾いてきている。
二人は同時にベンチから腰をあげて、参観入口の清所門に向かって足早に歩き出した。
店舗情報と地域情報
南禅院
〒606-8435
京都市左京区南禅寺福地町
TEL 075-771-0365
拝観時間
8:40~17:00(年末年始拝観不可)
入園料
大人 400円 高校生 350円 小中学生 250円
Kurasu Ebisugawa
〒604-0815
京都市中京区山中町551
10:00~18:00(月曜日~日曜日) 不定休
Instagram @Kurasujp
京都御所
〒602-8611
京都市上京区京都御苑3 宮内庁 京都事務所
TEL 075-211-1211(代)
公開時間(入場無料)
9:00~15:50(最終退出 16:30) ※公開時間は時期により変動します。
参観休止日
・月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12/28~1/4)・行事等の実施のため支障のある日
<連載物語>
『京の百逢ひ物語』
―人生 アメノヒも ハレノヒも 雲(うき) を晴らせば 必ず日(ひ)は 照り輝くー
執筆:iku
iku /もの書き
中学生の頃より、「書く」ことに目覚め、それ以来、毎日のように書き続けている。つれづれに、言葉を紡ぐことが大好き。
生まれ育った京都のまちをこよなく愛しており、そんな中で生まれた「京の百逢ひ物語」は、京都を舞台に、人の生・人と人の出逢いを、
「愛」の視点から紡いでいく。読み終わる頃に、心がほっこり温まるようなそんな物語を書ければ。お楽しみにー♪
―Vol.3―
男の勤める出版社『白鳥出版』は、京都御苑の近く、丸太町通りから堺町通りを5mほど下ったところにある。今年で創業80年を迎える社屋もだいぶいい感じで古びてきていた。社屋の横にある階段を上り二階にある事務所の扉を開けると
「あ、田崎さん、おはようございます」
と入り口近くに席のある総務の小林さんがすぐに気づいて声をかけてくれた。
「おはようございます」
と声を返しながら、田崎は自分のデスクに向かう。机に鞄をおくと、すぐにキッチンへと珈琲を淹れに行く。田崎は大の珈琲好きだった。毎日10杯は飲むかもしれない。目下気に入っている珈琲は、会社より二筋南夷川通りにある『KURASU』の珈琲だった。『KURASU』はちょうど二年前にできて以来、頻繁に豆を調達する先になっている。ナチュラルな色調のオープン空間でカフェも併設しており、客が店を出る時には必ず「行ってらっしゃい!」と声をかけてくれる。柔らかい空気と穏やかな音楽、人の話し声が不思議と心地よいお店だった。そんな店が会社の近くにできたことを喜びながら、今日もドリップを始める。今日はすっきりとした酸味になめらかなコクが特徴のエクアドルのアルナウドという珈琲にした。
社内の小さめの給湯室で、珈琲をドリップしていると、課長の花田が後ろから声をかけてきた。
「田崎くん、二週間前に藤堂先生のところに打ち合わせに行ってもらった、『京の百逢ひ物語』の件だが、その後どうなってる?」
「あ、あれですね。藤堂先生はもともと寺社仏閣めぐりがお好きなようで、かなり好印象でした。ぼちぼち今週あたりから取材に入られる予定です。」
「そうか、よかった。あれは、ある意味新しい企画だからな。今までの観光雑誌も好評だが、ちょっと毛色を変えて物語風に紡いでいく`京都観光’もいいんじゃないかと、社長の肝いりだ。がんばってくれよ。」
「はい。わかりました。僕自身も大学時代から京都の寺社仏閣をめぐっているので、楽しみです!」
「そうか。じゃあ、よろしく頼むよ」
そう言うと田崎の肩にぽんと手を置いて、花田は席に戻っていった。
田崎が入社した頃から、課長の花田は何かと目にかけてくれ、新しい企画も信頼して振ってくれる。適切にアドバイスをくれながらもある程度田崎に任してくれるので、とてもありがたい上司だった。
『KURASU』の珈琲を淹れ終え大きなマグカップを手に自席に戻り、珈琲を飲んでいると、自然と二週間前、藤堂先生宅で打合せをした帰りに寄った下鴨神社での出来事が蘇ってきた。御手洗社で起こった不思議な出来事、そしてそこで出逢った母子、そしてその帰りにお茶をしたこと。女の清楚な佇まいと時折見せる表情の翳り、何気なく笑った時のパッと花が咲くような笑顔がとても心に残っていた。女は下鴨神社のすぐそばに住んでいると言っていた。あの時はお茶に誘うので精一杯で、その後の連絡先まで聞いてはさすがに不躾かと思い、聞かずに別れたが、今では少し後悔していた。
―俺はいつも奥手だからな。せめて連絡先くらい聞いておけばよかった。でも子どももいるし、結婚しているかもしれないし・・一期一会でよかったのかもしれないー
とぼんやり考えていると、課長の花田がぽんぽんと手を打って注意を喚起すると
「みんな聞いてくれ。今日から新しいスタッフが加わることになった。庶務の佐藤さんの代わりだ。もうすぐ来る予定だから、よろしく頼むよ。」
と言った。
庶務の佐藤さんは先月いっぱいでご主人の転勤を理由に退職したアルバイトさんだった。
―そっか、小林さんがなかなか決まらないって言ってたけど、ようやく決まったんだな。よかったー
と思いながら、現在進行中の原稿の編集をしていると、
「失礼します」
と事務所の入り口で女性の声がした。その声になんとなく聞き覚えがあったので、振り向くと、視線の先にいたのは二週間前に下鴨神社で出逢った女だった。
くるっと振り向いた田崎の目と女の目が思い切りぶつかり、女も一瞬あっと驚いた顔をしたが、すぐに平静な表情に戻り、
「今日から事務職としてお世話になります、泉 花(いずみ はな)です。」
と深々とお辞儀をした。花田が席を立って泉のそばにいくと、
「ああ、泉さん、待っていたよ。今日からよろしくね。さっきみんなには話しておいたから、
あとの仕事は小林さんに聞いてくれ。きみの席はそこだ」
とかつて佐藤さんがいた席を指さした。その席は田崎の斜め後ろに位置する。
田崎はまた状況を読み込めていなかった。だが泉が田崎の後を通り過ぎようとした時、
「よろしくお願いします」
と言って、慌てて頭を下げた。泉もにっこり笑って
「よろしくお願いします」
と返してくれた。その表情は先日逢った男への親近感とも、全く初対面に会った人に向けるまっさらな笑顔ともとれる完璧な笑顔だった。
午前中いっぱい、田崎は仕事に手がつかなかった。丁寧に仕事を教える小林さんの声に答える彼女の声や存在が気になって仕方なかったのだ。
ようやく昼休みがきた。
泉の方を見るとまだ小林さんに作業を教わっているようだったので、少し気持ちを整理しようと、久々に御所へ足を伸ばすことにした。外は小春日和でのどかな天気だった。御所の南側に田崎のお気に入りのスポットがあった。「厳島神社」だ。
厳島神社は九条池の中島に鎮座する神社で、その近くにあるベンチに腰をおろし、湖畔の水面や周囲の木々を見ていると少し気持ちが落ち着いてきた。だが買ってきたサンドイッチを食べながら考えるのは、やはり泉のことばかりだった。
―なぜ彼女が会社に???やはり青い龍が言っていたのは、このことだったのか
彼女はこのことをどう思っているだろう?いずれにしてもどこかのタイミングを見つけて話しかけられたら・・―
昼ごはんを食べ終わってせっかくなので厳島神社にも参拝することにした。池の上にかけられた小さな橋を渡ると、爽やかな風が通り抜けていった。
ここの社殿はそう豪華絢爛でもないが、慎ましやかな風情がいつも田崎の心を和ますのだった。社殿に向かいまずは
―新企画『京の百逢ひ物語』がうまく出版まで運びますようにー
そしてついで
―彼女とのせっかくの再会、ゆっくり話す機会が持てますように。あわよくばさらに仲良くくなれますように・・ー
そう願った。
田崎の中で、彼女の存在がなぜここまでインパクトを与えているのか、理解できなかったが、偶然とはいえご縁があることは確かだった。しかもこれまで仕事に集中するあまり、女性との付き合いにほぼ時間を割いてこなかった自分が珍しく気になっている。そのことを素直に認めながら、渡ってきた橋を戻ろうしたその時、二羽の白鷺がバサバサっと飛んできて、ふわりと池に着水した。つがいのようだった。
―珍しいな。いつもは一羽しか見ないのに・・―
そう思いながら腕時計を見ると、昼休みが終わる10分前を指していた。会社に戻ろうと御苑内を歩いていると、またも二週間前に下鴨・御手洗社で見た青い龍の姿が蘇ってきた。そして今日はその背に女神を乗せていた。よくよく顔を見ると厳島神社の社殿に飾られている弁財天だった。
―全ては必然にて起こることなり。心して受けよー
くっきりと龍の声が脳裏にこだまする。
今、何かが起ころうとしている、そんな予感が田崎の中で広がった。
―心して受けよ、か。ま、あまり考えすぎてもしょうがないな。帰って珈琲でも淹れるかー
田崎は胸の内でぼそっとつぶやくと、気を取り直し会社に向かった。
―Vol.3―
家業繁栄・心願成就・芸能を守る神―宗像三女神(*1)が祀られている「厳島神社」
平清盛が母祇園女御のために広島の宮島にある厳島神社の神を勧請したとされる。京都三珍鳥居とされている「唐破風鳥居」がある神社。
(*1)天照大神と素盞嗚の制約によって誕生した海の女神(瀬織津姫を3神に分身したとも言われる。多紀理毘売命(タギリヒメ)と多岐都比売命(タギツヒメ)は、激しい水の流れを表し、市杵島比売命(イチキシマヒメ)は、当初は子どもの守護神・子守の神とされていたが、のちに弁財天と習合。「芸能の神」「財運の神」となる。