私をアップデートしてくれたもの。それは・・・
今日のnoteは、今月澤サロンnoteもくもく会テーマ「 #私をアップデートしてくれたもの 」について書いていく。
このテーマと改めて向き合い、少し考えてみた。
今の自分が"アップデートされた状態"だとすれば、何がその"key factor"になっているのだろうか?と。
転職したこと?
旅が好きなこと?
社会人になって東京や横浜で生活を始めたこと?
どれも確かにその通り。
どうやら「場所」というキーワードが共通しているように思う。
大前研一さんも、人が変わるには方法は三つしかないという。
住む場所もさることながら、付き合う人を変えることは、人が変われる要因だとされている。
「確かにそうだな。」と思いつつも、「転職」や「旅行」が私をアップデートしてくれた、という結論に持っていくのは、なんとなくしっくりこないと感じていた。
そもそも、なぜ私は転職しようと思ったのか?
旅行へ行こうと思ったのか?
あるいは東京に住もうと思ったのだろうか?
そこからから深掘りしていけば、何がその根源として私をアップデートしてくれたのかが見えてくる気がする。
見えてきたキーワード、それは「孤独」
そんなことをモヤモヤと頭の中で考えていた時、たまたまあるVoicy Liveを聞いた。慶應義塾大学の前野隆司教授と星渉さんの対談だ。
この時のトークテーマ、それが「孤独」だった。
前野教授と言えば、幸福学の第一人者。
幸せを研究されている方から「孤独」という言葉を聞いて、ある意味びっくりした反面、なんとなく前野教授が言わんとしていることもわかる感覚を持った。
一般的に「孤独」というとネガティブな印象を持つ人が多いかもしれない。
寂しい、退屈、孤立。
そんなイメージが最初に湧き上がる人もいると思う。
しかし、前野教授が言っている「孤独」とは、これとは少しニュアンスが違う。
前野教授の言う「孤独」とは、個人として誇り高く生きると言ったことのようだ。他者とは異なる「自分という存在」を自分自身が認知し、その「あるがままの自分」を受け入れ、誇りを持って生きていくこと。そんなことをおっしゃっていた。
思い返せば、私は昔から「孤独」が好きだった。
学校、友達といった集団の中で過ごしていると、いつからか、なんとなく、その場から距離を置きたくなる瞬間を感じることがあった。
それはメンバーとの時間が辛いとか、居心地が悪いとか、そういったことではなく、なんとなく疲れてくるというか、距離を置きたくなるのだ。
この傾向は会社に入ってからも変わっていない。
同期、同僚、チーム、会社。どんな集団であってもそれは同じ。しばらくはワイワイ・ガヤガヤがとても楽しい。しかしいつしかそれも終わりを迎える。
祭りは必ず終演する_。
それが私の根底に流れるtheoryなのである。
「孤独の選択」が、アップデートの源
だから私は、あえてこの孤独の道を、自ら選び取ってきたように思う。たとえその場が、どんなにオアシスだったとしても_。
ワーキングホリデーで20代最後の歳をカナダで過ごした。
滞在したのはバンクーバー。自然が豊かなこの土地は、自然のみならず会う人の多くがキラキラしていて、自分らしく生きているように思えた。
それまで同じ会社で、「日本」という1つの視点で物事を見てきた私にとって、バンクーバーでの出会い、体験は新鮮なものであった。まるで竜宮城にいるかの如く、本当に居心地の良さを感じる時間だった。
しかし半年ほど経ったある日、私はふと、バンクーバーを出てトロントに移り住むことを決意した。
誰かに助言されたわけでもなく、その地に友人が住んでいるからでもなく。ただ私は、「自分はそろそろこの場所を離れる時かもな?」とふと思い立ったのだ。
今思えばこれが「孤独時間の不足」だったのかもしれない。
1ヶ月後、私はカナダ横断鉄道のフリーきっぷを手に、バンクーバーを後にした。まるで一頭の若きオスライオンが、それまで育った群れを離れていくかの如く。
「孤独」は確かに寂しいものだ。1日中誰とも話さない日もたくさんあった。ある時は自分の無力さに意気消沈し、またある時は絶望感に苛まれたこともあった。また、楽しかった思い出も、誰かと分かち合うこともできない。そう言ったもどかしさを感じることは確かにあった。
それでも、私は、自分自身を次なるステージに送るために、「孤独」はなくてはならない時間だと心から感じる。
過去を捨て去り、今ここにいる自分と向き合う。
「孤独」は、今の私の姿を映し出す「鏡」を眺める時間なのだろう。
心に"リンゴマーク"を灯そう
話は変わるが、私はiPhoneを使っている。iPhoneでは、アップデートがある度にソフトウェアに再起動がかかる。
アップデートの際、表示されるのがApple社のロゴである”リンゴマーク”だ。
「孤独の時間」。それはつまり、その"リンゴマーク"を心に灯している時間なのかもしれない。
一旦ごちゃごちゃとアプリが並ぶホーム画面のことは忘れ、しばし"リンゴマーク”との静かな時間を過ごす。
白く光る"リンゴマーク"_。
それ以外、何もないスクリーン_。
これこそが、まさに私自身をアップデートしている「孤独」を映し出す「鏡」なのかもしれない。
iPhoneはリンゴマーク状態が解けると、またホーム画面が映し出される。それは見慣れた景色かもしれないし、メジャーバージョンアップの後は、少し見える景色が変わったりすることもある。
翻って私は、最近心に"リンゴマーク"が灯せているだろうか?
日々のホーム画面にあるアプリのチェックに追われていないだろうか?
今日もこうしてiPhoneのホーム画面にあるアプリを見つめながら、私は心の”リンゴマーク”に思いを馳せるのである。