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レンズを掛け替えることの重要性 | 障がい者ウィークイベントからの学び
今週のnoteは、12月3日〜12月9日の障がい者週間に合わせて開催された社内の障がい者週間イベントからの学びについて書いていきたいと思います。
ちなみに、昨年の記事はこちら↓
私の会社での今年のテーマは、聴覚障がいでした。社内にいらっしゃる聴覚障がいの方とも相談し、どういったイベントができるだろうか?を考えました。
そこで上がってきた企画案が、聴覚障がいに詳しい社外の人に、聴覚障がいについて教えてもらい、かつ社内で聴覚障がいのメンバーと仕事する時のポイントについてディスカッションしていくといった、ミックス型のイベントでした。
誰が演者として適切だろう?と話している中でご紹介を受けたのが、サイレントボイス代表の尾中さん。
TEDxKobeでもお話しされており、早速動画を視聴しました。
うわぁ、この人すごっ!ってか、めちゃエモーショナル!!しかも、出身も自分と同じ滋賀県!!興味津々で打ち合わせに臨んだのを今でも覚えています。
そして、今週、ついにイベント当日を迎えました。
そうか、なるほどな、と思うことが多かったので、今日はその学びについて書いていきたいと思います。
「障がい者」と向き合う。ではなく、「障害のある社会」と向き合う。という考え方に
「障がい」という言葉。最近ではよく使われるようになりました。
「害」をひらがなで書くことで、「障がい」という言葉が持つネガティブなイメージをなくしていこうとする取り組みです。実際私の会社でも、「障がい」という言葉が標準的に使われるようになっています。
一方で尾中さんは、あえて「障害」という言葉を使うと言います。なぜか?それは、障害は、人にあるのではなく、社会の中にあるという考えに根付いているからです。
具体的にどういったことなのでしょうか?
尾中さんはわかりやすい事例を挙げてくださいました。例えば、車椅子で生活をされている方。街中に段差があれば、それは「障害」となりえます。一方で、段差のない場所に車椅子の方が身を置けば、そこに「障害」はないわけです。
聴覚障がいについても同じことが言えます。例えば駅のアナウンス。声だけのアナウンスであれば、耳の聞こえない人にとっては情報入手に障害がある訳です。一方で、同じ情報が電光掲示板にも流れてくるとするとどうでしょうか?そうすれば、耳の聞こえない人であっても、電車の遅延について認識することができるのです。
これはなにも、こういったわかりやすいものだけに限らないと尾中さんは言います。
私たちの心の中にもそういった「障害」が実は無意識下に存在するのです。人間誰しもが持つもの、それが思い込みです。最近では、アンコンシャス・バイアスという言葉をよく聞くようになりました。私たちは見たものを無意識の思い込みにより判断していることが多いというのです。
実は、「障がい者」という考え方も、そういった私たちの思い込みがもたらすものなのだと理解しました。
「心技体」でコミュニケーションを考える
技だけでなく、心と体も使うことで、コミュニケーションにおける「障害」はグッと下がる。そう尾中さんはおっしゃいました。
私のような五体満足の人間は、コミュニケーションの多くを技に頼っているのです。話せば伝わる、最近だとメールすれば伝わると思いがち。
でも本当に伝わるのか?
研修ではとあるワークショップを行いました。自分に配られたカードを見て、そのカードを相手に見せず、相手にイメージ通り伝えるという単純なゲームです。
言葉を使えば簡単に伝えられるものと皆思っています。でも実はそのカード、微妙な違いがあったのです。
同じ赤いリンゴを見たとしても、実はみんな見えているものが違う。微妙な大きさの違いだったり、丸の形だったり、角度だったり。
思い込みは、技があればあるほど、そしてそれを無意識に使えれば使えるほど、いとも簡単に勘違いに陥ってしまうということなのかもしれません。
耳が聞こえない方を前に、私ができること
では、私のような普段、日常をなんの不自由もなく暮らしている人間は、どんなことを意識して耳が聞こえない方と仕事や生活をしていけば良いのでしょうか?
ここでもキーとなるのは、心と体です。
心とは、相手に興味を持つ心、相手を理解しようとする心です。
相手の特性に興味を持ち、積極的に関わろうとする態度、具体的には表情だったり、うなずきだったりがまずはとっかかりになります。社内の聴覚障がい者の方もおっしゃっていたのは、昨今はフェイスマスクにより表情が読みづらくなったこと。
この人は自分の話に興味を持ってくれているのだろうか?理解しようと努めてくれているのだろうか?表情がないと良好なコミュニケーションは取りづらいそうです。
立ち止まって考えてみたら、それは当たり前のこと。誰だってコミュニケーションの一部を非言語情報から無意識下に得ているのです。
体とは、諦めずに伝えようとする持久力です。口の動きだけで伝わらなければ紙に書く。紙が手元になければ、自分なりのジェスチャーを交えて伝えようとする。これだけでも聴覚障がいの方には安心できる材料になるようです。
私たちは、聴覚障がいの方を目の前にすると、つい"手話"という手段に頼ろうとしがちです。そして、手話ができないから、私は・・・と消極的になりがち。それは、私は英語が話せないから・・・という感覚に似ているかもしれません。
ですが、英語のコミュニケーションでも同様ですが、大切なのは、何とか伝えようとする力です。カタコトの手話だけでもいい、とにかく諦めずに伝えようとすること、その姿勢にこそ、相手の聴覚障がいの方に安心と安全をもたらすのだと思います。
心と体。私自身、これからこれらを磨くため、日々鍛錬を行っていきたいと思います。
尾中さん、素敵な時間をありがとうございました✨