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スーツとキャリアと人生と。

「ありがとうございました。いやぁ〜それにしてもあの人、マジすごいっすね。」

土曜の昼下がり、カウンターに腰をかけるなりDはそう私に言った。外はあいにくの雨模様。だが、それがどこか適度なクールダウンと心に落ち着きを与えてくれる。

「いえこちらこそ、どうもありがとうございました。お休みなのに出てきていただいて。」

Dとは会社に入社した頃からの親しい仲だ。同じ世代、近しい役回り、入社したのもほぼ同じタイミング。いろんな共通点があり仲良くさせてもらっている。

「じゃあ、来月最初の土曜、1時くらいに代官山で!」

そう決まったのは、1か月前くらいだろうか?普段は滅多に仕事関連の付き合いを週末に入れることのない私が、はじめて同僚を誘った案件だったかもしれない。


同級生の幼馴染のBが東京に店を出す。そんなニュースが飛び込んできたのは今年の春頃。なんでも場所は代官山だという。すごいなと思いつつも、攻めた東京進出だなとも感じた。

Bがオーダースーツビジネスをやっていると知ったのはもう10年以上も前のこと。たまたま両親と訪れていた実家近くの海鮮料理レストランでばったりBと再会した。新卒で最初の企業に入社して以来10数年、地元に帰ること自体ほとんどなかった私にとってBとの再会は奇跡に近いものであった。当時日本でも流行りはじめていたfacebookを交換し、そこから交流が再スタートした。

その後、Bのオーダースーツビジネスは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を見せた。アスリートとのコラボ、芸能人とのコラボ、名の知れたファッションショーへの出展。日本全国を出張で飛び回り、活躍するBの姿をfacebook越しに眺めていた。

成長するBのビジネスを横目に、自分自身もどこかビジネスで成功を収めたい、そんな闘争心を持ち続けていたのかもしれない。


挨拶も手短に生地を選んでいく。目の前に置かれただけで百種類以上。裏にはこのさらに数十、数百倍の生地が実は用意されている、まさにユニバースだ。服も仕事も外食もABCの三択くらいで選ぶことの多い私には難題だ。

「デニム生地とかどう?」

そう言ったBからの提案に二つ返事で乗っかる。確かに、あそこに飾られているデニム地のジャケットは気になっていた。普段ラフな格好でいることの多い私にとってデニムは身近な存在。それがフルオーダージャケットという形でクローゼットに並べば、ちょっとしたプチフォーマルなシーンにも意外と活用できそうである。

アパレルショップに行くとひときわ構えてしまう私だが、Bが運営するこの空間ならどこか気持ちが落ち着く。代官山らしくおしゃれで洗練された雰囲気の店内なのに、いつものラフな自分でいれるのは有難い。


「やばい、前回は2014年10月やって。ちょうど10年前やん。」

そう言って前回の仕立ての記録に目を通すB。

「あの頃は大変やったわぁ。親からもカネ借りて、店内を自分らでペンキで塗ったりしてなぁ。」

創業当時というのは、Bにとってはいつまでも忘れられない今となっては良い思い出なのだろう。思い出話に花が咲く。

2014年といえば、私にとってはちょうど1つ前の会社に入社した頃だ。会社も変わり、妻の妊娠が分かり、新たなステージに入った時期。今でも色々と思い出すことの多い時代だ。

あれから10年。自分もBも、当時の自分達はここまで来れるなんて思っても見なかっただろう。(Bと一緒にくくれるほど、自分はすごくないのだが。)

10年という時を経てBも私も成長した。彼は従業員を持ち、本店をリニューアルし、そして東京にも進出した。私は彼とは比べ物にならないほど僅かながらではあるが、社内での昇格・昇進を経験し、さらに転職によって誰の価値観からも縛られない自分らしいキャリアを歩んできた。

振り返ってみると、長くて短い10年だった。思えばいろんな出会いがあった。10年前も私は、当時仲の良かった元同僚二人をBに紹介した。「幼馴染が新しくオーダースーツビジネスを始めたのですが、良かったら一着作りませんか?」と。

その二人とももうかなりご無沙汰して会っていないのだが、LinkedInから見ても彼らの活躍ぶりは今も疑う余地はない。

ビジネスとスーツ、そしてキャリア。

いろんなことが頭に浮かんでは消えていった。


2時間ほどで採寸が終わり店を出た。仕上がりには1か月半ほどかかるとのこと。私もDも急がないので、「じゃあそれでお願いします」と伝えて店を後にした。

午後3時。昼も食べずにスーツ店に伺ったのでさすがに腹も減っていた。近場を歩いていてたまたま目についたのがこの小洒落たビストロレストランだった。

入り口からのびる長いカウンターが特徴的。細長い作りのレストランだが、入り口は大きく開かれているので店内カウンター奥からも開放的で心地が良い。また、少しレトロな雰囲気もどこか気分を落ち着かせてくれた。

ランチとブルックリンラガーをオーダーし同僚Dとの会話を楽しんだ。話は自然と私の幼馴染Bの話から自分達自身の仕事やキャリアの話へと変わっていった。

Dと私はこれまでに歩んできたキャリアも、またキャリアに関する考え方もどこか通ずるものがあった。数社の外資系企業を渡り歩き、それぞれの組織・ポジションで自分が貢献できることを考える。私も彼もキャリアのためというよりも、自分の可能性と価値を信じて転職してきた過去を持っていた。

今は互いに社内で小さな組織を率いる立場になり、人や組織の育成にも従事している。しかし、最初からここを目指してやってきたわけではなかった。目の前の仕事に対し純粋に向き合い、キャリアにもがき、そしてたまたまたどり着いたのが奇遇にも現在の組織における中間管理職のポジションだったように思う。

Dも私も考えていることは同じだった。それはいかにこれからの組織を、そして人を成長させていけるか?ということ。

マネージャーという役割にも椅子の数に限りがあるのは事実だ。特にDや私のような小さな部門にとっては、ビジネスが拡大したところで管理職の椅子が自然と増えることはまずもってない。(外資系では課長補佐といったポジションはほとんど見かけない)であれば、ポジションという椅子を新たに作れない中で、どうやって人や組織を成長させていけるのか?そんな話をしていた。


「中学の同級生、Iってわかる?彼女も東京で今社長で頑張ってるみたいやで。」

同級生にも顔が広い幼馴染のBはなんでも知っている。誰がどこでどんな仕事をやっているか。東京で仕事しているのは誰か?活躍しているのは誰か?など。私も彼のリストの隅っこに入れてもらっている、それがなんだか少し嬉しかった。

わかっている。みんなそんな同級生ばかりじゃないって。

でも、私は、東京で生きていくと心に決めてから少なからず上を目指して仕事を続けてきたように思う。自分が輝ける場所。活かせるフィールド。価値を提供できる職場・チーム。そこを求めて自ら歩みを進めてきた。そしてこのことはこれからもさらに進化を続けるだろう。

Bは海外に出ると言っていた。大きな決断だ。円安の昨今、カネだってそれなりにかかるだろう。異文化環境では想定し得ないリスクも間違いなくある。それでもなお彼は夢に向かって進み続けている。


思えば40代。私たちの世代はもはや若手と呼ばれる年齢でもない。れっきとした次の時代を担う世代であり、社会や会社を背負って立つべき世代なのだ。

なのに社会では、まだまだ活躍の場を探しあぐねている同世代が多いように私は感じる。それは言わずもがな就職氷河期の影響が大きいわけではあるが、辛い環境と向き合い続けてきたからこそ得られた経験や価値がきっとそこにはあるはずだと私は思う。

実際、私の社内を見回しても、"キレる"と思える人には30代後半や40代が多い。だが残念なことに、それらのグループの中で、部門責任者(ラインマネージャー)としてアサインを受けているメンバーはかなり限定的だ。ひとえにそれは、椅子ポジションがないからだ。

年功序列、終身雇用を前提とした社会では、自ずと社歴が長く、年長の社員が上位ポジションに席を置く。外資系であれば無論、ポジションに就く人間の資質は問われるのは確か(つまり優秀でなければ就けないのは確か)だが、ではそこに世代のダイバーシティーを取り入れる必要はないのか?と聞かれると疑問符がつくように私は感じる。

前の職場を去る時にも当時の人事担当者に伝えたことだが、今の日本社会に足りないのは、大胆とも思える若手の抜擢だ。そんなふうに私は思う。そして、これがひとえに日本で起こらないのは、雇用の流動性の低さと極度な経験・実績至上主義にあるからだろうと。

まずは自分の身を守る、その先に人の成長があり、会社の発展があり、社会への貢献がある。人間としてはごく自然の発想なのかもしれない。

しかし本当にこれでいいのだろうか?

私は常に考えている。いつ私が今の組織からいなくなっても、問題なく仕事が回る組織にしたいと。そして、次の時代を担ってくれるマネージャーが、メンバーの中から現れることを。

人は今いる場所ポジションから飛び跳ねるleapすることで成長する。世間が思うよりも成長とは非連続的なものだと。

成長は、毎日の小さな努力積み重ねの上に達成するものではなく、ひょんなことで選抜を受けたことによって得られるものの方が圧倒的に大きい。(もちろんそのためには、日々の努力が必要なのだが。)そのためには、まず自らを市場に晒し、チャレンジし続けることが必要なのだ。

二人の同世代キャリアパーソンとの週末の会話を通じて改めてそんなことを考えた。

そう考えると、僕ら同世代も、まだまだこれからなのだろう。

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