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シャイな私のコミュニティとの向き合い方

こんにちは!今日のnoteは2月の澤サロンnoteもくもく会テーマ「#コミュニティの中で取り組むこと」というテーマで書いていきます。

毎月自分では想像もつかないようなテーマを与えていただけるnoteもくもく会に感謝です✨今回のテーマはコミュニティです。

辞書を調べてみると、もともとコミュニティとは、地域などで深い結びつきを持つ共同体をさす表現だったようですが、現代においては、オンライン上でも何らかの関係性が深いグループを総称して「コミュニティ」と呼んでいると理解しています。

私の周りを見渡してみても、コミュニティは数多く存在します。

  • 社内のコミュニティ

  • 特定の分野(趣味など)におけるコミュニティ

  • 住む地域や学校におけるコミュニティ

  • オンラインコミュニティ

積極的に関わっているものもあれば、そうでないものもありますが、とにかく言えることは、これだけ多くのコミュニティが存在するということは、そこに何らかの人間的な欲求があるからなんだと思います。

気の合う人と繋がりたい、困った時に相談したい、落ち込んだ時に励ましてほしい、刺激を受けて自分を高めていきたい、などなど。

参加するコミュニティによっても求めるものは異なってくるのかもしれません。

翻って、自分自身のことを考えてみます。

私はこう見えてシャイな性格です。(note発信している姿などからは、そう見えないかもしれませんがw)ですので、基本的にコミュニティに参加するのって実はハードルが高いことだったりするんですよね。

みんなに温かく迎え入れてもらえるんだろうか?、コミュニティでの活動に消極的でも嫌われないだろうか?などなど、いろんなことを考えちゃって足がすくんじゃうんです。

実際、私が参加しているコミュニティは実はそんなに多くないです。(実質的に定期的に参加しているのはこのnoteもくもく会くらい。。)

でも、それでいいんじゃないの?って正直最近は思っています。

今日のnoteでは、そんな私が考えるコミュニティとの向き合い方、ひいてはその中での取り組みについて書いてみたいと思います。

役割を担う必要はないが、担う時が来たら素直に担えばいい

よくありがちなことですが、コミュニティに参加する限りは、積極的に参加しなきゃ!とか、その中コミュニティを盛り上げるために、自ら積極的に発言しなきゃ!って思ってしまう場合があると思います。

私も澤サロンに入会した時は若干そんな傾向がありました。特に有料のオンラインサロンでは、お金を払ってるんだから!っと肩肘張ってしまうケースもあるんじゃないかな?って感じます。

でも、結局それって却って長続きを妨げる原因にもなったりすると思うんですよね。周囲の反応が思ったほどでなかったり、頑張っていることを十分に評価してもらえなかったりで。どうせ自分のやっていることなんて誰にも影響を与えられないんだって落ち込んじゃったり。

だから、最初から無理は禁物なんです。あくまで自分のペースで、自分らしく関わっていけばいい。まずは傍観者からでいいんです。傍観者をしていて、ある時自分の心に波が立ったら、ちょっとだけ動いてみればいい。そこから始めればいいんです。

何かを投稿してみるとか、他の人の投稿にいいねを押してみるとか、あるいはオンラインのmeet upで、顔出ししてみるとか、コメントを書いてみるとか。そんなのから始めればいいと思います。

そして、役割については、もし誰かに声をかけられたらやってみればいいんです。実際私も、今までに参加したコミュニティの中で役割を担った時って全て誰かに声をかけてもらえた時です。自分から手を挙げたのってほぼないと思います。周りの人はよく見ています。「この人ならきっと_・・・」と思ってもらえて、声をかけてもらえた時は、ありがたくそのオファーに応じればいいんです。

役割を担ったからといって、それをまっとうする必要はない

ただ、もし役割を担った場合であっても、それを確実にこなす、やり切る必要はないって私は思います。コミュニティは多くの場合「仕事」ではありません。あくまで「ボランティア」なわけです。だから、できることにも限界があるというのが前提だと思います。

仕事が忙しくなってコミュニティ活動が行えない、もっと他にやりたいことが見つかった、今は精神的にそのコミュニティ活動に力がそそげない。そんな状況が出てくるのは普通のことかと思います。

そんな時は、その自分の気持ちに素直に従えばいいんです。もちろん周囲に大きな影響や迷惑がかかるようなことでしたら、他の役割者にその旨を伝えておくことは重要です。ドタキャンだけはさすがにNG。だけど、それさえ気をつければ、あとは全然OKだと思うんですよね。

大事なのは役割者同士が普段からそれを認め合うこと、そしてそれができる環境(最近の言葉では、心理的安全性)を作っておくことなんだと思います。

何を言っても理解される、受け入れてもらえる。そこからコミュニティははじまる、といっても過言ではないと思います。

シャイな人間は、"お祭りをつくる"よりも"囲碁を打とう"

今日の結論はこちらです!w

なんのこっちゃいな?って感じですよね。でもこれが私がコミュニティの中で取り組むことのエッセンスです。

コミュニティをいわゆる元来の意味に置き換え直すと、地域の共同体です。公民館のようなイメージでしょうか?

その中では、毎年のお祭り(お神輿とか納涼祭とか)を企画している人たちもいれば、そんな傍で、公民館の和室の一角で、淡々と囲碁を打っているおじいちゃんもいます。

みんな、本来ならお祭りをやって、地域を盛り上げたいし、それによって地域の結束力を高めたいんです。でも、それには多大なる労力と時間がかかる。ひいては祭りのあとの燃え尽き症候群にもつながる恐れだってあります。

だから私は、囲碁を淡々と打つ方でありたいなって思うんです。いつも公民館にはいる、だけどお祭りの会議にな参加しない、でももし声をかけられたら、いつでも駆けつけるし、一緒にこの場所を盛り上げたいって思っている人の一人にはなりたい。

私は囲碁を打ち続ける。その理由は、こんなコミュニティの参加方法があってもいいんじゃないか?いやこっちのニーズもきっとそれなりにあるんじゃないのかな?って思うからです。

私はこれからも囲碁を打ち続ける。そして、この部屋に入ってきた人に、こんな一言をかけるでしょう。

「よく来たね」

出典: bank band

これこそが、私にとってのコミュニティの中で私が取り組みたいことそのものを表現していると思います。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました✨

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