WBC【ワタナベ・バッティング・センター】
今日から甲子園大会が始まってるんですよね。
観客いない。
トーナメントでなく1試合だけ。
いつもの夏の甲子園大会とは違っていて、
いろいろ普通じゃないけど、
普通じゃない努力を重ねた結果で掴かみ取った甲子園でのプレーが叶わない。
なんてことからすれば、
大人たちがいろんな調整や決断をして開催されるという事実に、
若かりし細かりし頃に弱小ながらも高校野球をやってたオッサンからすると、
始まる。
というだけで、涙腺が緩みます。
って感覚でいます。
ワタシが住んでる地元に、
バッティングセンターがありました。
小学生
中学生
高校生の時はちょこっと、
浪人生の時はバリバリと、
通いました。
思うとですね、
1人で行く時もあれば、誰かと行くこともある。
その誰かは、家族だったり、友達だったり、
友達も彼とかアイツとかヤツとかあの人とか、
家族だと車で行ったし、友達だと自転車で行きました。
1人で行く時はバイクで行きました。
マシーンが放つ球速は80キロから130キロまでありました。
80キロが速い!と感じた可愛らしき頃には
初めて体感した130キロがSF映画みたいに、
この世のものとは思えないスピードにビビった時で、
その130キロをいつしかバンバン打ち返す時まで、
バンバンまで成長する中では、
かすれば嬉しいって時から、
前に飛んだのがまぐれから、確実になってきて、
そのうち、ここに当てたらホームランってことですよ。
ってルールの、そこに当たると
「ンー!ンー!ンー!」って鳴る直径50センチくらいの
ホールの絵が描かれて真ん中にホームランって書いてあるボードを狙って
当てに行く。
って楽しみ方になるまで、
ただただ暇だからって時、
むしゃくしゃする時、
ホームランの数を友達と競ってる時、
オレこれからどうすんだろ?ってふんわりなのが不安な時、
パチンコで負けた時、
パチンコで大勝ちした時、
この200円でタバコ買うか、バッティングセンターでひと打ちするか?
って悩む時、
バイトさぼっても行くとこない時、
なんかキレイだなって思う子がもしかしたらオレのこと好きかも?
って思った時、
結局ですね。
いっつも行ってたんです。
あのバッティングセンターに。
でも、今はありません。
もう、25年前くらいになるんですかね?
ワタシが50歳ですから、
人生の半分くらいまでの間に
いろんな人と、
いろんな時に、
いろんな気持ちで、
お世話になったのがバッティクセンターだった。
そこが取り壊されたのはワタシが25歳くらいだったか記憶は曖昧ですが、
野球からサッカーへと人気が移行していく真っ只中だったと思います。
今、調べるとJリーグの開幕が1993年だそう。
ワタシが23歳の時。
(そっかぁ)
バッティングセンターが、というより、
野球人口が少なくなっていったタイミングだったなと
残念な納得感が甦ってきます。
調べはしませんが、
バッティングセンターって全国的にも減ったんだろうなぁ。
って想像します。
世の中ってのは変化し続けて行きますからね。
減っていくもの、無くなるもの。
ってのがあるのは、ちゃんと理解はしてるんですけど、
バッティングセンターがあったら良いな。
って思うんです。
地元に。
片眼見えなくなったし、残りの片眼も見づらくなっちゃったけど、
あったら良いなって。
片眼だなんて言っても
あそこで培ったワタシの貯金で
かするんじゃないかな?
いや、当たるんじゃないかな?
万万一には、「ンー!ンー!ンー!」って、
鳴らしちゃったりすんじゃないかな?って、
最後のは調子に乗りすぎてるのは承知してるんですけど、
あったら良いなって、
思うんですよね。
そうか。
そんなに、
でまた、なにやら感情的に
(あったら良いな)
って思うんだったら、
(お前がやれよ)
って、思ったりもして、
(これならお前だって)
って考えるのは、
ホームランのボードもないし、
ボールもバッドもない、
緑色のネットで覆われたマシーンもない、
ピッカピカのでっかい看板とかでもない、
バッティングセンター。
(ん。こんなバッティングセンターあっても良い)
今まで培ったリラクゼーションでの学び。
鍼灸あん摩マッサージ指圧の学び。
今までお世話になった方々。
これから出会うお世話になる方々の力を借りて、
誰かにとっての
バッティングセンター。
みたいな拠り所になれないかな。
なりたいな。
ってですね。
思えば、
ワタシはバッティングセンターに
ココロの痛みを柔らかでもらった気がするし、
野球の技術を向上させてももらったし、
今では信じられない針のようなピンピンの頭髪が、
人工芝のように綺麗に生えそろった
坊主頭の若造の
かかりつけ。
だったなと。
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