加賀百万石と叫び続けて
前回の投稿で石川県の歴史を振り返ると書きましたが、石川県の歴史=県民性なのかもしれません。Wikipediaで石川県の歴史を振り返ってみてみるといくつかの歴史の転換点があります。自分が転換点だと思っているのは①織田信長に攻め入れられるまで浄土真宗によって起こされた一向一揆により本願寺が90年近くこの石川を納めていたこと。②加賀前田家が加賀、能登だけではなく越中(富山県)を押さえ百万石としその中心を金沢に置いたこと。
①のことから分かるのは石川県民は元々信心深いのかもしれません。信心深いということは自分信じた人には忠誠を尽くす側面もあり、上に立つ者の立場からすれば一度信頼を勝ち取ればずっとついてくるみたいな体質じゃないかと思ってしまいます。あとこの時代は「百姓の持ちたる国」と言われるくらいですから質素な生活がイメージできます。
②は加賀藩前田家の歴史故の百万石です。前田家は時の権力者の秀吉、家康との下で戦果を挙げた結果、日本最大の石高を持つ藩を作り上げます。その規模と財力で金沢を一大都市にのし上げていくのです。
①と②だけ見てみれば石川県民は意外と信心深くて質素、けれど富山県には歴史上から見ても元々石川県だったからマウントを取りたがるみたいなイメージがあります。このことから分かるのは石川県民は信じた人間にはとことん尽くして結果を出し、自分の持ち分を増やすみたいな印象ですね。この辺あたりが石川県民の封建的な考え方に価値を置く原点を感じてしまいました。
中央の政府の顔色を常に伺いつつ持ち分を増やす。
話はちょっと逸れて現代の話にすれば谷本知事は何か県民からこのコロナ禍で資金的な援助の話になるとすぐ「国に要請する」と言います。そりゃ財政規模なんて石川県なんか東京や大阪にかないません。しかしもう何回も事務的に国に要請すると答えるのは何とも事務的な感じですね。加賀百万石の時代から考えれば石川県は昔は徳川幕府の顔色を伺い勢力を保ち現代は国の予算がどれだけもらえるかで勢力を保とうとしているような気がしていて、常に大きなものに平伏して依存して大きくなろうとしているイメージです。このコロナ禍でも石川県はずっと自分たちの県を自分たちで何とかしようとする気が他の県よりも希薄なのかもしれません。県内の自治体は市は県の予算を頼り、県は国の予算を頼る。その結果がこの保守王国石川の原点になのだろうと思います。石川県は今まで大きなものに従順で政府なり中央省庁から依存して大きくなってきました。その結果この加賀百万石のプライドです。このコロナの状況でもこの何百年も続いているような体質でこれからの石川県は発展するのでしょうか?駄文失礼しました。
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