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2011年 福島へ#1
福島第一
Willからのメールの内容は、驚くほど深刻だった。
「原発の作業員は現場を放棄して逃げ出した。もうフクイチは手がつけられない状態だ。東京もすぐに高い放射線に覆われるだろう。君の家族、友達、誰でもいい。希望する人がいればすぐに逃げて来い。受け入れる用意はある。日本にいるアメリカ人にはすでに避難命令が下り、臨時のチャーター便で無料で国外脱出が促されている。日本国内の報道だけを信じるのは危険すぎる。事態は深刻だ。」
/* この時オーストラリア人の友人ピーターは無料チャーター便で香港へ避難した。*/
そんな内容だった。
私は彼の言うとおり、アメリカへの避難を希望する人がいないか、家族、親戚、友人に聞いて回った。しかし、誰一人として真に受ける者はいなかった。
私はWillに、「東京に限っては事態はそこまで深刻ではないし、避難を希望する人もいない」と返信した。その後、互いの近況報告をメールでやり取りしていると、Willが「これも何かの縁だから、お前だけでも久しぶりにアメリカへ遊びに来ないか」と提案してくれた。私は思い切って行くことにした。
しかし、日本での報道とWillの話には大きな隔たりがあった。
「国を捨ててまで避難しなければならないほどの、まるでSF映画のような事態」ならば、この目で現場を確かめてからでも遅くはない──そう思い、私は福島へ行くことにした。
まずは準備だ。
Amazonでウクライナ製のガイガーカウンター(8万円)と中国製のガイガーカウンター(2万円)、1万円の防護服、塗装用の防護マスク、厚手のゴム手袋、ニーハイのゴム長靴、ビデオカメラ2台を購入した。
そして、先立つものは「カネ」。
私はスポンサーを求め、叔父のもとを訪れた。Willはもともと叔父のアメリカ留学時代のバークレーの神学科の学友で、かつて私がバイクでアメリカを旅した際に訪問先として紹介してくれた人だ。叔父は福島への冒険話に理解を示し、「領収書があれば引き受ける」と同意してくれた。
当時、私はドリフトというモータースポーツに熱中していて、福島のエビスサーキットに通っていた。ちょうどその頃、自分の愛車は福島の「ツインファクトリー」というショップにメンテナンスで預けていて、地震直後に心配になり、真っ先にショップへ電話して車の無事を確認していた。幸い、車は無事だったが、オーナーから聞いた惨状に心を痛めていた。
「次回、福島に見舞いに行くけど、何か欲しいものはある?」
オーナーに尋ねると、「アサヒクリアドライの500ml缶を買ってきてくれ」と言われた。
私は街中のクリアアサヒを買い占め、車に積めるだけ積むと、その重さで車の車高が下かり「シャコタン」となった車は心做しか少しカッコよく見えた。
必要な物資がAmazonから届くのを待ち、私は一人、福島へと旅立った。
次第に上がる放射線
東北道を北上して行くと、日光を過ぎたあたりでガイガーカウンターの警報が鳴り始めた。最初は断続的だったが、次第に鳴り止まなくなったので一旦電源を切った。サービスエリアに車を停めて、事前に印刷しておいたガイガーカウンターのマニュアルを確認し、警報の設定閾値をデフォルトの3μシーベルトから100μシーベルトに変更した。再び車を北上させて福島県に入ると、道路は時折波打ち、徐行を促すサインが目立つようになった。
同調圧力
郡山を過ぎて次の二宮で高速を降り、まず「ツインファクトリー」というショップへ向かった。市内を通ると、ちょうど小学生の登校時間だった。学校から離れたところを一人で歩く子どもたちは皆マスクを着けていたが、学校が近づくにつれ、二人組や三人組になった子どもたちを見るとマスクをしていないことに気づいた。そして、学校の正門近くでは、誰もマスクをしていなかった。おそらくコロナパンデミックの時とは逆の同調圧力が働いていたと察する。
──ここは安全、マスクなんて不要──
ツインファクトリー
ツインファクトリーに到着し、朝日クリアドライを荷下ろしした。オーナーの◯本さんが領収書をくれと言うので『お見舞い』でもよかったのだが、素直に現金を受け取った。
◯本さんは自動車工場2件とガソリンスタンド、デイリーヤマザキ、その他の自販機を多数経営しており、普段はガソリンスタンドで店番をしている。
ガソリンスタンドで◯本さんとお茶を飲みながら長話をしていると、最初にやって来たのは近くの「かんぽの宿」の従業員らしき人だった。タバコの自販機が「売り切れ」状態になっているので補充してほしいとの依頼だった。◯本さんは大きくため息をつき、「今度ね…」と気のない返事をした。心配になって「大丈夫ですか?」と訊くと、「やる気が出なくて…」とぽつりと言った。
程なくすると、軽トラックの運転手がガイガーカウンターを見せて「この辺、高いよ」と告げてすぐに立ち去った。◯本さんは「最近、あんな人ばかりでね…この先どうなることやら…」と呟いた。私は返す言葉に困り、話題を変えた。
その後、エビスサーキットの支配人熊久保さんの噂話をした。当時の私はエビスサーキットによく通っており、年間パスを持つほどの常連だった。当時は支配人のブログを購読していたので、サーキットの様子をよく知っていた。サーキット付属のホテルを浜通りの避難者に無料で開放している話や、山崎パンが毎日トラックで大量のパンを差し入れている話などをした。
一通り話が済んだ後、ガソリンスタンドに隣接する「ツインファクトリー」に顔を出して店長の◯藤さんと長話をした。そして、「ちょっとフクイチまで行けるところまで行って様子を見てきます」と言い、向かいのデイリーヤマザキに寄って◯本さんのお母様に挨拶をした。パンを買うと、◯本さんのお母様が「遠くからやって来てくれて、明るくしてくれてありがとうね」と言ってくれた。その言葉がなんとも心にしみた。
検問
再び高速に乗り、郡山からいわきを目指す。道中、普段は見かけない車両が次々と目に入った。自衛隊のタンクローリー、黄色い「サンダーバード4号」のような機械を積んだトラック、乗客のいない真っ白なTOSHIBAのロゴ入りバスなどだ。私のような自家用車はほとんど見当たらなかった。
──TOSHIBAか、N氏もココへ派遣されたのだろうか…
いわきに到着し、常磐道は北上方向が閉鎖されていたため高速を降りる。そこから国道6号線を使って海岸線沿いに北上した。すると、すぐに津波の爪痕が目に飛び込んでくる。打ち上げられた船、漁港の斜めにずれたコンクリートの桟橋、泥まみれのコンビニ、切れて垂れ下がった電線──どれも非現実的な光景だった。
さらに進むと、左手には止まったままのJR常磐線が見えた。周囲の異様な雰囲気が濃くなるにつれて、ダッシュボードに固定したガイガーカウンターの値がじわじわと上昇し始めた。
やがて、警察の検問が現れた。場所はJヴィレッジのあたりだった。車を止め、窓を開けると警察官が声をかけてきた。
(警察官) どちらまで行かれますか?
(私) フクイチまでです。
(警察官) ん?
(私) 福島第一までです。
(警察官) を見に行くんですか?
(私) えぇ。
(警察官) ちょっとそれはダメですんで。
(私) 権限無いですよね?
(警察官) でも、危険やからぁ、(関西アクセント)
(私) 大丈夫っす。ガイガーも持ってるし、自分で判断できるからぁ~
(警察官) うん。でもねぇ、もう、危ないからねぇ。帰ってもらってるんですよぉ。
(私) 自己責任で行きますんで、
(警察官) でもねぇ、危ないですよぉ~
(私) 法的権限無いですよね?
(警察官) 見に行くだけですかぁ?
(私) えぇ。
(警察官) 見に行くだけやったら勘弁して欲しいんですぅ。
(私) 見に行くだけです! キリッ
(警察官) ん~ それを勘弁して欲しいんですよぉ。
(私) もう、す~っと行ったらすぐ帰りますから、写真撮るだけですから、
(警察官) 写真を撮ってネットに上げたりするんですか? そういうの、心痛みません?
(私) それでは約束します。そういう事はしません。なんならカメラを預けてもいいです。
そう答えると、警察官は「少々お待ちください」と言い、責任者らしき別の警察官を連れて戻ってきた。
(警察官) 免許証とナンバーだけ控えさせてください。
メモメモφ(.. ) ナンバーもメモメモφ(.. )
(警察官) 戻ってきた際には線量チェックを受けていただきます。
//この時の様子はビデオに収まってて、会話の記録がある。
その条件を受け入れ、検問を通過することが許された。
検問を抜けると、6号線は大きく波打ち始め、道が途切れていた。その先には崖のはるか向こうにかすかに続く道が見えた。車を降りて崖の縁まで行き、眼下を見下ろすと、そこには広がる瓦礫の山。私は呆然と立ち尽くし、言葉を失った。