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【新訳】双子のナニーは闇堕ちSE #5

1995年 秋 (2)

ミネアポリス

1995年のバイクツーリングの話に戻ろう。さっきはウィルの家で初めてEメールを送った話から脱線したけど、時系列的には、ミネアポリスのジェニーを訪ねたのが先。そのとき彼女から名刺をもらって、そこに書いてあったアドレスにウィルの家からメールを送ったわけだ。

ロサンゼルスを出発して約2か月、ミネアポリスに到着。思い返せば、やりとりは手紙。途中で「今ここだよ」と絵葉書を送って、到着予定を伝える——そんな方法で連絡を取り合っていたのだから、よく成り立っていたものだ。

ジェニーの家には泊まらず、ホテルを取っていた。迎えに来てもらい、一緒に夜の街へ。アメリカで夜遊びに連れて行ってくれたのは彼女だけだったから、「アメリカの夜の街」=「ミネアポリス」 という図式になっている。ロサンゼルスでも夜出歩いたことはあるけど、ガイドブック片手に一人で歩くのと、現地のパーティー好きなジェニーと一緒なのでは、楽しさがまるで違った。

その夜はまず、ダウンタウンのアパートに集合。軽く盛り上がってから、20人くらいで「スカイウェイ」を通り、「ファースト・アベニュー & 7thストリート・エントリー」 へ向かった。ここはプリンスの映画『パープル・レイン』のロケ地でもある。

道中、コイン蹴り(缶蹴りのコイン版)をしながらクラブへ。しかし、入場時に 「IDがない!」 という問題発生。(クラブあるある)。なんとかゴリ押しで潜り込み、そこでは 「ジム・ローズ・サーカス・サイドショー」 というショーを見た。

全身タトゥーの男がカミソリを飲み込んだり、耳のピアスにビア樽をぶら下げて持ち上げたり。日本で言うと 「電撃ネットワーク」 のような過激なパフォーマンスだ。特に、チェーンソーを持った男が客席に乱入してくるシーンは、日本ではありえないほどの衝撃だった。


ソレルのブーツ

ミネアポリスは秋。ロサンゼルスを出たときはTシャツ1枚でバイクに乗っていたが、北上するにつれ寒さが厳しくなり、持っていたウェアをすべて着込んでも足りなかった。そこで、滞在中は買い物に励むことに。

まず訪れたのが 「モール・オブ・アメリカ」。アメリカ最大のショッピングモールで、東京ドーム約10個分の広さ。一日ではとても回りきれない。

ダウンタウンには、小規模だけどセンスのいいアウトドアショップもあり、そこで 「ソレルのブーツ」 を発見。これは冬にバイクを乗り回す物好きの間で憧れのアイテムで、日本では恐ろしく高価だった。

当時、スニーカーで寒さに耐えていたので、値札も見ずに即決。レジで驚いた。為替が1ドル85円台だったこともあり、日本の3分の1の価格!感激して、日本の友人の分も合わせて3足購入。2足は日本へ送った。


グレイス

1995年のバイクツーリングの話を続けよう。時系列は少し前後するが、ジェニーがいるミネアポリスを出たあと、ウィルがいるウィスコンシンに2週間ほど居候した。それから向かったのがウィルの実家だ。場所は「ツインレイク」としか覚えていない。さっきGoogleマップで探してみたが、同じ名前の地名が多すぎて諦めた。

ウィスコンシンから東へ向かい、まずシカゴを抜けた。摩天楼へと続くハイウェイは片側6車線、場所によっては8車線もあった。それが大渋滞でぴたりとも動かなくなったのは、カルチャーショックだった。

ウィルに「この先どこへ行く?」と聞かれ、「デトロイト」と答えたら猛反対された。シカゴについても「絶対に停まるな、通り抜けろ!」と釘を刺されたので、シカゴの記憶はそれだけだ。道中、モーテルに泊まったかもしれない。そしてツインレイクに着いたときは、土砂降りの中、ずぶ濡れでドアを叩いたのを覚えている。たぶん、二泊した。

ちょうどウィルの両親がウィルの家へ向かう前日で、アルミ製のカヌーを車の屋根に積むのを手伝うことになっていた。15年後の2011年、ウィルの裏山にある池でそのカヌーを見たとき、懐かしさが込み上げた。

ウィルの母、グレイスは名前どおり上品で優しい人だった。ツインレイクを発つとき、ビニール袋に小さなリンゴやビスケット、そして赤い「ツイッツラー(Twizzlers)」を詰めたアメリカらしい手作りの弁当を持たせてくれた。映画で見たような、いかにもなスタイル。その袋に小さなカードが添えられていたが、筆記体が達筆すぎて読めなかった。

そのカードは今も持っている。後にウィルが日本に来たとき、「なんて書いてあるの?」と見せたが、ウィルも読めなかった。

それから23年後、2018年にグレイスと再会した。1995年に訪れた話をしたが、彼女は覚えていなかった。「そんなことがあったのね」と微笑みながら話を聞いてくれたが、そのうち「ウィルとあなたはどうやって知り合ったの? 教会のつてかしら……」と尋ねた。説明はウィルがしてくれたが、その「教会」というのが、当たらずとも遠からず だった。

以前書いたが、母方の実家は幼稚園を営んでいる。その前身は教会だ。祖父はプロテスタントのメソジスト系の牧師(神父ではなく牧師だ。叔父はこの違いにこだわらないが、一応明記しておく)。祖父が亡くなったとき、記念として分厚い自費出版の本が作られた。それを読めば詳しくわかるが、まだ読んでいない。

叔父はその後を継いで牧師になり、その過程でアメリカに留学した。大学の神学科で知り合ったのがウィルだった。ウィルはウィスコンシンに定住する前、ニューヨークで牧師をしていたらしいが、その話はしない。二人が出会ったのは1970年のバークレー。

コンピューターサイエンスに詳しい人なら、この時期のバークレーが持つ特別な意味を知っているだろう。でも、ウィルと叔父は神学科の学生だったので、そんなことはまるで知らなかった。

(BSDのBはバークレー(Berkeley)のBで、time_t型の0は1970/01/01 00:00:00を示す)

母によれば、戦後の物資が乏しい時代、アメリカの教会から祖父の教会に古着や使い古しのクレヨン、絵本などが送られてきたという。だからウィルが日本に遊びに来たとき、母はその「ちびたクレヨン」の話をしていた。母にとって、それはとても嬉しかったものだったらしい。

叔父はバークレーへ行く前にボストンにも留学していた。そのときの寮のルームメイトが、餞別(せんべつ)代わりにもう一つの電話番号を渡してくれた。その名前が「安倍さん」。

次に向かったのは、その人だった。


つづきは【新訳】双子のナニーは闇堕ちSE #6へ。(毎日17時更新)

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本作はAIににより校正しました。オリジナルはこちらです。

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