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【新訳】双子のナニーは闇堕ちSE #4

She knocks my socks off.

マリアはウィルの家に滞在していたスペイン人で、ノアとゾーイのナニーだった。
私はすっかり彼女に夢中で、子供たちの世話を口実に、いつもマリアのそばにいた。

ある日、ベスが「子供たちはハヤトに任せて大丈夫」と言って、マリアを連れて買い物に出かけた。
残されたウィルと私は、ノアとゾーイをベビーキャリアに入れ、裏山へショートトレッキングに出かけた。

途中、小さな池のそばに2匹のラマがいた。
「ペットだよ」とウィルが言う。

ラマがペット?

驚きつつ餌をやり、帰り道。ウィルがニヤリとして言った。

「マリア、かわいいよな?」

私は真顔で答えた。

She knocks my socks off!彼女にメロメロで骨抜き!)」

これがウケにウケた。ウィルは何度も「She knocks my socks off!」と繰り返して大笑いした。
もともとどこかで習ったイディオムだったが、まさかこんなにウケるとは思わなかった。

「他にもそういうのある?」と聞かれたので、

She blew me away!(彼女にはぶっ飛ばされたよ!)」

と言ってみたが、こっちはイマイチ。

それ以来、ウィルはこの話が大のお気に入りで、会うたびに必ずこの話を持ち出してくる。

※ 以下の挿絵はAIに生成を依頼した過程での失敗作です。

※ 何度もAIに「手は繋がないで」とお願いしても手を繋いでしまう。

※ 上の挿絵は、「離れて歩いた」と指示し、ようやく手を繋がなくできたが、同じフレームに入れる事は拒み、明確にコマを分けられてしまう。それでも遠くに不要な人物が手をつなぐ姿が…

※ 比較的うまくできたが、共にトレッキングに行った感はなくなり、偶然出会った感に…そして人物にはタトゥーが…


Windows 95

ウィルの家にはパソコンがあった。
今では珍しくもないが、当時はマニアくらいしか持っていなかった。

アメリカの家は広くて立派なリビングがあるけれど、なぜかどの家にも「程よく狭い部屋」があって、そこでゴロゴロするのが定番だった。
ウィルの家にもそんな部屋があり、片隅にパソコンが置いてあった。

見つけた瞬間、たぶん私の目はキラリと光ったと思う。

すかさずウィルが「パソコン好きなの?」と聞いて電源を入れてくれた。

それが、後に**親の顔より見ることになる『Windows 95』**との初めての出会いだった。

当時、父の持っていた『Windows 3.0』という“パソコン嫌い製造マシン”で一応GUIには慣れていたので、基本操作はすぐにわかった。
でも、父のWindowsとウィルのWindowsには決定的な違いがあった。

それが、**後に人生を変える革命的な存在――『インターネット』**との出会いだった。

ウィルはブラウザを開いて、いくつかのホームページを見せてくれた。
とはいえ、当時のネットはまだスタティック(静的)なページばかり。2、3ページも見ればすぐに飽きた。

「他に何かないの?」と聞くと、ウィルは「メールは知ってる?」と言いながらメーラーを開いた。
そこで、Eメールの仕組みを教えてくれた。

つまり、私にSMTP(ポート番号25)の概念を初めて教えたのは、ウィルだったというわけだ。

このとき彼が言った言葉を、今でも覚えている。

This is a mail, and traditional mail is a snail mail.(これがメール。で、従来の郵便は“カタツムリ・メール”だ)」

「スネイル?」と聞くと、ウィルは指2本でゆっくり歩くジェスチャーをした。

──ああ、カタツムリか。

その後、ウィルが「誰かの名刺、持ってない?」と聞いてきた。
手帳を探すと、ジェニーの名刺が出てきた。ちょうど彼女のメールアドレスが書いてあったので、その場で人生初のメールを送ることに。

ただ、このとき私はまだ自分のメールアカウントを持っていなかった。
だから、ウィルのアドレスを借りることに。

ウィルは私に彼のアドレスを書いたメモを渡し、こう言った。

「日本に帰ったらメールアカウントを作って、ここに送って。ジェニーから返信があったらFw:(転送)してあげるから」

このとき、初めて**Fw:**の概念を知った。


Jenny

ジェニーは◯◯◯の英会話教室GEOSの先生で、私は週1回、2年間ほど彼女の授業を受けていた。

とにかくパーティー好きで、しょっちゅうイベントを開いていた。
いつも誘ってくれるので、喜んで参加していた。

パーティーには日本人も大勢いたが、ジェニーのルールで日本語は禁止
おかげで、週1回のレッスンよりも英語の勉強になった。

ジェニーの話は、まだまだ続く。

が、その前に、少し当時の話をしておこう。


1993年

幼稚園バス

当時、◯◯◯にある亡くなった祖父が創立した幼稚園で、バスの助手をしていた。
毎朝バスに乗り、停留所で降りると、お母さんたちに満面の笑みで「おはようございまーす!」「行ってきまーす!」と挨拶し、子どもを預かるのが仕事だった。
一日が終わる頃には、笑顔を作りすぎて顔が引きつっていた。

行きと帰りのバス以外に特に仕事はなかったので、気が向けば園児と砂場で遊び、眠ければこっそり部屋に戻って昼寝する。そんなゆるい毎日だった。夕方には仕事が終わるので、夜はほぼ毎日街へ遊びに行っていた。

◯◯◯には子どもの頃4年ほど住んでいたことがあり、近所に知り合いも何人かいた。その頃にはバイク熱も落ち着いていたが、なんとなく海外ツーリングに憧れていた。そこで、英会話を始めようと思い立ち、GEOSのドアを叩いた。

迎えてくれたのはマネージャーの宮野さん。彼女の巧みな話術に導かれ、気づけば契約書にサインしていた。さらに「お友達も紹介してね!」と言われたので、近所に住む識(さとし)を誘った。彼もあっさり契約。

まさかこの二人が後に結婚するとは思わなかった。
宮野さんと聡は、英会話教室の講師ジェニーが開くパーティーの常連でもあった。そんなある日、宮野さんがふと私を見上げて言った。

「ハヤトくん、背高いね。子どもの頃から?」

「いや、小さい方だったよ。並ぶと前から二番目で、いつも安藤宗男(あんどう むねお)くんの後ろだった。」

すると宮野さんが目を丸くした。

「えっ、いま、安藤宗男って言った? その人、たぶんこのGEOSに通ってるよ。年も同じくらいだし。」

こうして宗男と再会。話せば長くなるが、ざっくり言うと——
宗男はその後カナダに長期滞在。私がそこを訪ね、一人バスでカナダを旅する。やがて宗男とは連絡が取れなくなり、実家を訪ねるも都市開発で消えていた。今でももう一度会いたい友人のひとりだ。

昔を思い出していたら、ジェニーにもまた会いたくなり、6年ぶりに「遊びに来ない?」とメッセージを送った。すると即返信。「秋に行くよ!」
気づけば32年の付き合いになる。

さて、幼稚園の仕事のほうは一年ほどで辞めた。
もともとバスの助手が急に辞めた穴埋めで頼まれた仕事だった。子どもは嫌いではなかったが、話し始める前の赤ちゃんはともかく、小学校直前の年長組はちょっと苦手だった。特に、ひどく暴力的な子がいて、扱いに困っていた。

バスの助手以外に必須の仕事といえば、給食の配達だった。大きな箱を両手で抱え、各クラスを回るのが日課。
そんなある日——
いつものように給食を運んでいると、あの暴力的な子が後ろに回り、突然叫んだ。

「かんちょー!」

次の瞬間、尻に激痛。
給食の箱はなんとか落とさずに済んだが、今思い出しても耐えがたい痛みだった。それ以来、年長組の子どもにトラウマを抱え、幼稚園という職場は避けたい場所になった。

笑い話に聞こえるかもしれないが、彼が作った「かんちょー」のポーズは完全に凶器だった。
ちょうど子どもの背丈から直撃する高さで、全力で振り抜かれた結果——出血、そして通院。

あの子の顔は今でも忘れない。


つづきは【新訳】双子のナニーは闇堕ちSE #5へ。(毎日17時更新)

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本作はAIににより校正しました。オリジナルはこちらです。

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