そっちとあっち、そして、こっちすら。
「うつは治らない病気です」と言われた時はビックリした。ガッカリした。
当時はうつは病気だとやっと認知し始められた頃。
怠けてるだとか、気合が足りないとか、そんなイメージがまだあった。
自分でさえそう思っていたんだから仕方がない。
「うつは治らない」は正しいけれど、正しくはない。
完治という言葉はないけれど、寛解と言う言葉がある。
完全には治らずに、症状がおさまった状態にはなる。
何かのきっかけでまたなることもある。
そんな感じ。
寛解状態になった自分は、また働き始める。
でも、寛解なのに完治した気になっていた。
うつになる前のような働き方に自然に戻っていったし、
考え方もやさぐれていて決して健康ではなかった。
フリをする生活に慣れてしまっていたので、
大丈夫じゃないのに大丈夫だと言い聞かせていた。
根本的な解決方法を探ろうとはせずに、
仕事が終われば飲みに行って友達とワイワイやって
ストレスを発散する。
この事自体は悪いことではないけれど、
それは単に対処療法的でひとまずの解決でしかなかった。
根本的な問題にはなかなか目を向けることができなかった。
自分の中を整理しないといけないのに、
フリをしている自分ではないキャラクターが
自分の代わりに何人か勝手に行動している感じ。
そのキャラも、このキャラも、自分ではあるけれど自分ではない。
ついには今、自分が本当の自分だと思っているキャラまでが
自分ではないのではと思うようにもなった。
自分とはなんぞや。
それをあまり考えずに生きてきた自分は、
いくつも自分を作ってしまって収集がつかなくなっていた。
とはいえ勝手に動いていたキャラに助けられたこともある。
自分が「それは本当の自分じゃない」と思っていようが
他人はその自分を見ているんだから
その人にとってはそれが自分。
彼氏と長く続いているというキャラ、
自分では続けていくことは大変で自然に続いているわけではないし
こんな自分を好きでいてくれるなんて頭おかしいんじゃないか…
とすら思ったりするけれど、その内側は他人にはみえない。
あの店がいいこの店がいいのではとすごく考えて、
頭の中であらゆるシミュレーションしてから
人を集めて幹事をしていたけど
サラッとやってる幹事キャラ。
でも、そういうのを想像してくれる人もいれば
そうでない人もいる。そんなもんだ。
いくつかあった勝手に動いている自分、
自分では自分じゃないと思っている自分、
もしかして、それも自分?
やっとそんな事に気づき始めたのは
平成の終わり頃でした。
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