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くすぶる男/フリする男

1995年に大きな事件が起こる。

阪神大震災。
受験生だったので、阪神大震災は大きな事件だったのはわかるけれどその時はピンとこなかった。テレビはとぶくすりとガキの使いくらいしか見ていなかった。新聞や食事中のテレビで被害が大きいのを知ってびっくりする。そして、それで受験に支障が出る人の話を聞いたりして気の毒だと思った。せっかく頑張ってきたのに。

大学合格。
本当に良かった。これでなんとかメンツが保たれる。怒られなくてすむ。一言でたとえるなら「安堵」だった。(色々とすり込まれていった)自分の中で大学合格はゴールだったし、その先に面倒なことや辛いことを二度としなくていいと思っていた。だから頑張ったんだから。

地下鉄サリン事件。
受験が終わって、春めいてきて、卒業式まで学校に行かなくてよくて、我慢してたゲームをやって、音楽を聴いてすごしていた。実家から大学には通うことになっていて、東京方面にいく満員電車はイヤだなぁと思ってる頃だった。この事件を見て怖くなった。この数ヶ月後、ゴールデンウィークが終わったあとにその団体のトップが逮捕される。自分が当時通っていたキャンパスは中央道の近くにあって、すごい数のヘリコプターが山梨方面から向かってきたのを下から見ていた。

こう考えると、激動の大学入学の年だった。高校生から大学生になる変化、世間の不穏な空気、後半にはWindows95が発売されたし、ドラゴンボールの連載が終わった。

とは言え、大学に入ったら素敵な生活が送れると思っていた。サークルに入って、仲間とキャッキャして、あすなろ白書みたいなことが起こるし、門限もない、ポケベルの新機種も買うんだって思ってた。

現実の大学生活は、なんか面白くなかった。

高校で仲の良かった友達が浪人してしまって、遊べなかった。高校時代が楽しすぎて、大学の生活になかなかシフトできなかった。これがかなり痛かった。
高校時代にできなかったことをやろう!といろいろやってみようとは思っていたのに、流された。タダ飲みするためにたくさん行った新歓コンパで合いそうなやつのいたサークルに入った。そこで知り合った何人かの友達は今でも付き合いがあるし、かけがえのないものだけど、サークルという仕組みが自分には合わなかった。それに気づかないまま、勝手に作っていた楽しい大学生活像に流されてしまった。これも痛かった。結局サークルは夏合宿のあと、やめてしまった。

その後も悶々と過ごした。
楽しかったはずなんだけどな…と過ごした。

大学2年になって、WindowsのPCを買った。学生ローンで。Aptivaという機種。インターネットに繋ぐまで、かなりかかったのを覚えている。全然簡単じゃなかった。やっとプロバイダーから郵送でつながるという連絡が届いて、あのモデムの音を聞いたあとに広がった世界は広かった。

そこからは同じ世代あるあるだとは思いますが、「ホモ」「同性愛」「ゲイ」で検索して(Yahoo!のカテゴリー検索)扉を開いていった。自分のホームページをジオシティーズで作った。見つけたゲイの個人ページのBBSにカキコして、リンクの申請をした。

そこからゲイの活動が本格的に始まった。けれど、そこそこでパッとしない大学生活は変わらないし、ゲイだと言えるのはネット上だけ。やっとデジカメがそこそこの画質になってきたかなという頃だったけど、顔出しなんか絶対できない。オフ会もあまり出ない。結局クローゼットの扉は半開きにあいていたけど、中のものは出せずにいた。

大学時代はあっという間に終わり、社会人になる。

就職活動はまともにやらなかった。やったふりだけしてた。どうせゲイなんて頑張ったって、一人で死んでいくんでしょ?隠したまま生きていくんでしょ?ゲイだってわかってしまった今、俺は家を継ぐことはできない。長男として育てられたのに、長男だから優遇された部分だってあっただろうし(それだけのプレッシャーもあったのだけど)、中学からお金かけて大学まで行かせてもらったのに親を裏切ることになる。もうダメだ。投げやり人生はこの辺から強くなった。

軸足を置くところがない。
どこに行っても浮いている感じ。
ここは自分の場所ではないという雰囲気。
所属しているはずなのに、ここに自分はふさわしくない。

今思えば、自分が勝手に思い込んでいたことを勝手に反芻して勝手に自分に呪いをかけていたんだとは思う。でも、そこからは抜け出せなかった。抜け出す方法がわからないというところにすらいなくて、抜け出すという事を考えていなかった。

今までしてきた「フリ」はもっと濃くなっていった。

社会人のフリをする。
何にもわかってないのにわかっているフリをする。
ホモじゃないフリをする。
彼女がいるフリをする。
流行っているものには迎合しないフリをする。
流行っているものには詳しいフリをする。
しまいにはホモにもフリをしはじめる。
売りはノンケ風だと言うフリをする。
幸せだというフリをする。
充実しているフリをする。

フリをしてるんだから、実際そうではなくて隠すことが当たり前になる。
フリが当たり前になって、実際にそうなっていくものもあった。
でも、そんなことを繰り返していくと自分が何者だかがわからなくなる。

それでいて何か自分にはこれだ!という物があればそこにハマればよかったんだろうけど、いかんせん自分に自信をつけずに生きていた。誰かの評価で生きてきていたので、自分でやる気を起こすことができなかった。

先が見えないというのは怖い。先がわからないと、今にも確信が持てなくなる。下手なことをして悪い方に行ったらどうしようと一歩を踏み出せない。踏み出しても、一歩一歩じっくり踏み込むことができない。

転職は何回かした。キャリアアップではない転職を。バイトの収入の方が多いフリーターみたいなフリーランスにもなったことがある。仕事をしないひきこもりの時期もあった。

そして、僕はうつになった。

きっかけは激務だったけど、それは単純にきっかけにすぎなかった。「自分の場所じゃない感じ」や「フリ」や「自信のなさ」がじわじわ侵していっていたんだと思う。そこに「氷河期世代」「不景気」などが底上げして、さらに「激務」が乗っかってスイッチを入れた。

医者にそう診断されて会社を休めと言われた時に「自分がうつになるなんてなぁ」とか思っていたけど、今振り返れば診断がくだされていなかっただけで、相当強めの予備軍だった。自覚がないのは怖い。そして自分を責め始める。病気なんだから仕方ないじゃんって、当時の自分に言ってあげたい。その後もっとこじらせることになるんだから、認めて治療に専念しなさいと言いたい。

このあと、そう時間はかからずに社会復帰はするけれど、それは本当の社会復帰ではなかった。深く考えず目先だけで動いた。働かないといけない、世間から変な目で見られる、親に怒られる、彼氏に別れられる、という変なもので動かされていただけだった。

結局、病人じゃないフリをしただけだった。

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