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平成個人史#2 成長編

 一か月というのは案外あっという間なもので、次に何を書こうかと考えている間に次の締め切りが来てしまいました。今回から平成初期・中期・後期・そして現在という括りでお話をさせていただきます。今回は平成初期。小学生頃のことです。

 前回もお話した通り、私は男の子との遊び方を全く知りませんでした。小学校一、二年生くらいはまだ男女混ざって遊んでいても違和感はありませんが、三年生くらいになってくるとやはり男の子は男の子、女の子は女の子と明確に線引きをされるようになります。その線引きに漏れた私はやはり女の子とばかり仲良くなっていました。野球なんてルールも分からないし、サッカーなんて全く興味がわかないし、家庭用ゲーム機がなかったので話が合いません。ゲームボーイは持っていたのでかろうじてポケモンの話題について行くことが出来たのは幸いです。
 それでもやっぱり好きなのは、絵を描いたり本を読んだりぬいぐるみで遊んだりアニメを見たり、という事がほとんど。そうするとやはり男の子の中には同好の士は見つけられません。

 よくよく考えてみると幼稚園くらいの時から既に性自認がとても曖昧になっていました。性別に違和感があるというよりも、この頃から男性に対して性的な憧れを持っており、それは普通の事ではないということも何となく察していました。男は男を好きにならない。その気持ちに折り合いをつけるように「自分が女性を演じる」という事を当然の事としていたように思います。ごっこ遊びでもセーラーマーキュリーをやりたかったです。いいですよね、ブレーンキャラ。
 もちろんそれも普通の事ではないと分かっていたので女の子の友達にすら「セーラームーンなんて全く興味ありませんが?」という風に装っていました。嘘を当たり前のようについていました。『誕生日やクリスマスプレゼントに何をもらった?』って聞かれた時にどうするか考える小学生というのは今考えると物凄く悲惨ですね。何一つ正直ではいられないなんて。
 仲良くしてくれた女の子達もそういう壁のようなものを感じていたかもしれません。嫌がらせをされたり仲間外れにされたりということも沢山ありました。そういうところが余計頑なになってしまった要因の一つだと思います。
 自分の「好き」を曝け出せば笑われる。だから自分の「好き」は自分だけのもの。とても悲しい考え方ですが、そうしなければ生きられません。
 この頃の呪いは今でもずっと染み付いています。自分の全てを曝け出すことはなく、そして自分が触れて欲しくないことは触れない。
 心を許していないように見えてしまうのは仕方ないかもしれません。そんなことは決してないのですが。
 ただ、辛かったことと同じくらい楽しい事があったのもまた事実です。女の子達と自由帳に絵を描いたり、数人でキャラクターを作って漫画を描いたり交換日記の中にクラスメイトをモデルにした小説を連載してみんなで笑ったり、創作の楽しさの原体験でした。それが自分を支えてくれることになるので、それだけは後悔していません。

 同性愛的な面では今ひとつそれらしいものはなく、アニメの男性キャラにときめいていました。きっといつか自然と変わるのだろうと、男の子らしく自然にふるまう自分を想像していたものです。普通に男の事も仲良くして、普通に好きな女の子ができて、普通に付き合って……。当時から全くピンとこなかったものの、知識としてない以上他の道も想像がつかないのでした。

 次回、中高生編。

 恋のお話をしましょう。

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