ニコニコ大百科・夏侯嬰の項目を作成しました。
夏侯嬰は、劉邦を腹心として決起時から活躍して功臣の一人となった人物です。劉邦の馬車を操縦する人物としてその名をしられています。
他の功臣たちが、劉邦に排除され、疑われていく中で、ただ一人、そのようなことになることもなく、漢王朝の大臣としても重きをなし続けました。
劉邦の死後も漢王朝の大臣として、恵帝や呂雉に仕え続けています。
劉邦の臣下の中では、特に有名な人物の一人です。三国志の夏侯惇・夏侯淵の先祖にあたります。
概要について
本文では、劉邦の馭者として一貫して活躍し、戦車軍を率いた軍功を強調しています。
また、人材登用で活躍したり、義侠の人としても知られていたことも書いています。夏侯嬰の活躍は多分野にわたるものでした。軍事での匈奴に何度も勝ったことがあり、当時の戦車軍の強さがよく分かります。
また、漢の大臣としての活躍も書きました。ただし、劉邦死後の夏侯嬰の動きはよく分からず、最後に皇帝であった後少帝を含む恵帝の男子たちの最期を遂げさせた事件でしか知ることはできません。
夏侯嬰が恵帝の男子たちに最期を遂げさせたことは余り知られていませんが、これは夏侯嬰の重要な話として記載しています。
付録について
付録としては、夏侯嬰が「劉邦の親衛隊長」といえる存在であったこと、劉邦の馭者でありながら、戦車軍を率いたということは、劉邦から分けて戦車軍を率いていただろうことを書いています。夏侯嬰は逃走の多い劉邦を支えてきました。
「封爵の誓い」について、は少し専門的ですが、皇帝と漢の功臣たちの誓いがどのようなものか記録に残っているため、記載しています。
「初期の漢王朝の大臣たちの体制」については、「三公九卿」について、私自身もよくしらなかったので、詳しく説明しました。
付記した人物について
付記した人物は、周緤・任敖・審食其です。
周緤は、夏侯嬰の操る馬車に乗って劉邦を守っていた人物です。関連性は高いため、記載しました。
任敖は、漢の御史大夫となった人物です。沛からの参加者と沛の役所に夏侯嬰とともに役人となっていたというつながりがあります。任敖は、呂雉を守るためにかなりの危険を犯しており、劉邦サイドの人物であった可能性もあります。これも関連は高いため、記載しています。
審食其は、項目があっても不思議はないですが、知名度がそれほどではないため、ここに記しています。彼もまた、沛からの参加者であり、漢の大臣となり、夏侯嬰とともに、劉邦や呂雉を支えた人物です。
審食其は評判はよくないですが、かなり数奇な人生を歩んで印象的な人物ですので、取り上げています。今回、まとめたことで人物像の全体が見えてよかったです。
創作物における王陵
『赤龍王』を取り上げています。夏侯嬰は、真面目な感じで意外と個性が強い作品はないですね。ただ、真面目な方が史実に近いとは思っています。
関連書籍
関連書籍は近年の楚漢戦争や前漢初期時代の研究の原点となった
李開元『漢帝国の成立と劉邦集団 ―軍功受益階層の研究―』 (汲古書院)
を取り上げました。
付録の「封爵の誓い」と「初期の漢王朝の大臣たちの体制」はここから来ています。
主な出典と参考とした書籍
出典
『史記』項羽本紀・高祖本紀・呂太后本紀・韓信盧綰列伝・樊酈滕灌列伝・張丞相列伝・酈生陸賈列伝・傅靳蒯成列伝・淮南衡山列伝・高祖功臣侯者年表・漢興以来将相名臣年表
郭茵『呂太后期の権力構造 ―前漢初期「諸呂の乱」を手がかりに』(九州大学出版会)
李開元『漢帝国の成立と劉邦集団』(汲古書院)
楯身智志『前漢国家構造の研究』(早稲田大学出版部)
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