くまもと里山紀行
今年の冬は五家荘は大雪だった。フェイスブックなどの情報で山の吹き溜まりで約40㎝、二本杉の東山本店まで行く道路は深い雪かアイスバーン。車高の高い4駆しか辿り着けない雪路との事だった。そうして辿り着いても東山本店はお休みなのだけど。
ここ5年で僕が乗り換えた車が3台、その度にチエーンを買いそろえ、結果、使ったのは各車数回程度だった。去年買ったパジェロミニの中古車は電気系のトラブルもあり、1年もたたずに廃車になってしまった。(後ろのワイパーが止まらない、やむなくコードを抜く!)ミニに、チェーンを付けたのは2回程度だった。とても気に入っていたのだけど、一般の道路はともかく、砥用から二本杉への坂道を息切れして登ってくれないのだ。いつ止まるか分からないまま林道を走るのは、別の意味で寒いものだ。過去に他の車(イグニス)でタイヤがバーストして保険会社に連絡し、当然レッカー車の手配となり、とんでもない割り増し料金を支払うはめになった痛い経験もある…。
更に、頭が急に冷えるのは命の危険を感じる。5年前に開頭手術を受けた右の額の奥の血管が寒さで「ビリリ」と来るのだ。ヤバい車に運転者もヤバい。山に春が来るまで、ガマンするしかない。自宅で座学…という事で、古書店巡りで五家荘についての古書を探して回って過去の五家荘への時間旅行へ出かける事になる。事務所の近くに熊本県立図書館もあるが、地元の古書店の方が、掘り出し物が多い。この前、熊本県の教育委員会が過去に細かい五家荘の文化史跡を調査、その結果をまとめた資料をこっそり見つけたが、学術調査の本で味も素っ気もないので…とりあえずひっそり、古書店の本棚の奥にしまっておいた。平成の合併で、五家荘地区も八代市に編入されたので、本来ならば八代市の博物館がもっと調査をしてくれればいいのにと思うけど、宝の山を前に人手不足なのだろう。
そんなこんなで年末に「店じまい」の準備をした。最近、年寄の身辺整理を巷では「断捨離」という…その言葉を僕は好きではない…何かカルチャーセミナーとか…そういうお上品な世の為、人の為、みんないい人でいましょう的なノリが自分には合わないのだ。自分には「店じまい」という言葉で充分。
そうして自分の「店じまい」でいろいろ本棚をみているうちに、「くまもと里山紀行」なる本を見つけた。平成2年7月10日・地元紙熊本日日新聞情報文化センターの発刊で191ページ。モノクロ。執筆は栗原寛志 記者。平成2年は今から33年前の事。ちょうど京都から帰熊したばかりの時に買った思い出がある。中には熊本県内の90座の里山が紹介されてある。嬉しい事に、紹介されてある90座の中で、五家荘・脊梁エリアの山々の数は40座、半分近い数を占めている。単なる登山ガイドではなく紀行なので、その山にまつわる文化史跡などが紹介してある。修験道がらみの史跡も多々紹介され山によっては石仏の写真が多いページがある。熊本の里山のあちこちに民間の信仰の跡がたくさんあるのだ。農業県でもあり、みんな山の神さんに豊作を祈願したのだろう。どんどん朽ち果てて行く石仏様の姿。地図はフリーハンドで書かれ、方角も示されてないアバウトなもの。低山といってもその手書きの地図を片手に山頂を目指したら大変、道迷いの可能性が高いのでご用心。(経験者は語る)
登山中のメンバーの写真も昔の時代を感じる。水木しげるの漫画の雰囲気。みんな首にタオルを巻き、作業ズボンに「いがぐり」頭。昼飯は懐かしいコッフェルでお湯を沸かし、弁当をぱくついている。記事を書かれたのは新聞社の記者の人だが、道に迷われたり、ゆるく書かれている記事も面白い。
・例えば、白鳥山。(原文を要約)
10年前ほど昔、白鳥山で道に迷った。小雨混じりの霧の中、御池の中で方向を失った。ミルクの中を泳ぐようで周囲の風景がまったく見えない。足元の踏み後たどって行くと林道に出た。林道をさらに下ると、山の中の一軒家と出会った。
その家は椎葉村尾手納地区最奥の小林の人家…
その主に道に迷ったことを伝えると
「よう熊本の人が山道に迷ってうちに下りてきなはる。もう日が暮れるけん、今夜はうちに泊まっていきなっせよ」そして、栗原さんは娘さんに靴ずれの足に赤チン塗ってもらい、風呂に入り、ビールと夕食のご馳走のもてなし」を受けられた。
更に、その主が言うには「この前も道に迷い下ってきた熊本の人が居て、その人は一晩お世話して送り出したら、夕方また道に迷いましたと下りてこられ、結局二晩うちに泊まられた」そうだ‥
なんともすごい話というか、猛者と言うか。
・新しい山道のルート開拓の話。
京丈山へのワナバルートは、昭和58年江口司さん(熊本市・故人)と民宿平家荘の松岡さんが協力して開かれたそうだ。当時、春には谷沿いには書ききれないほどの山野草が開花したと書かれてある。山頂では九州でもまれなカタクリの大群落がみられたとの事。
・平家山(1494m)の事
平成2年から7年ほど前…ヤマメ釣りと山登りの一団が、葉木谷の最上流のピークを勝手に「平家山」と名付けた。この集団が良く利用していた宿は平家荘。またその一団は、京丈山と国見岳をつなぐ縦走路を2年がかりで開かれたそうだ。行けども行けどもスズタケの密林に鎌をふるい一団は前進を続けた。目的は祖母・傾山に匹敵する縦走路を作るのが目的だったらしい。(実は著者もその開拓に参加したらしい)それから平成2年、その道はまたスズタケの占領に会い、消滅寸前…。
登山者、釣り人が元気なら、山も元気(迷惑?)な時代だったのだろうか。
・当時の花への思い
ゴールデンウィークが終わった頃、クマガイソウの谷に向かう。五月の原生林はきらびやかな若緑の世界だ。天を覆う新緑の中、谷沿いの踏み跡をクマガイソウの住む谷に向かう。目指す谷に向かうと猿面エビネの薄茶色の花、ヤマブキソウの鮮やかな黄色、そして白い花びらをほとんど脱ぎ捨ててしまったヤマシャクヤクなどが、沢のあちこちに顔を見せる。(中略)
前の年も、その前の年も、そしてその前の年も花を開いていたクマガイソウたちが今年も当たり前のように花を開いている。
(中略)
クマガイソウの沢に別れを告げ、麓に下りる。一年後「あのクマガイソウたちと再会できるだろうかーあの森があのままであって欲しい」そう祈るだけだ。
(※写真は「くまもと里山紀行から」転載)
残念ながら…栗原さん、五家荘にその森はありません。次の年も、その次の年も…
※クマガイソウの同属の「アツモリソウ」は種子は繊細で発芽に共生菌類が必要な為、自然発芽率は約10万分の1と低い。野生株は激減、環境省の絶滅危惧Ⅱ類。アツモリソウは近い将来絶滅する可能性が高い。それでも自生地からの盗掘はたたない。
一昨年、ある谷でヤマシャクヤクの盗掘3人組を見つけて、警察や県の自然保護課にも連絡したが警察はともかく、県の自然保護課は何の対策もとらなかった。レッドデーターブックばかり作るのが自然保護課の仕事ではないだろうに。盗掘者からみれば、何もできない行政の「足元を見て」やりたい放題、取りたい放題の山が五家荘。
そうして、わずか30年で絶滅する花々…
僕のようなおじさんが、昔は良かったと、若い人に山の話をいくらしても、彼らのスタートは、花も何も咲かない荒地からのスタートで、見たことも聞いたこともない昔話を彼らに話しても何も伝わらない。
五家荘近郊の自治体では地域振興とやらで、税金をどんどんつぎ込み自然を削り、道路、橋、観光施設を建設しているところがあるけど、山間地の地域振興は、箱ものより人材の育成に予算をかけるのが本道だろう。すでに絶滅したクマガイソウの代わりに人を育ててくれないものだろうか。でないとあなたたちも絶滅しますよ。
と、いう事で、五家荘の春が今でも待ちどうしい僕なのだ。
※水色のイグニス(イグちゃん)が僕の車に復帰した。車高が意外と高いので山道は良い。スペアタイヤはネットで買い、積載す。
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