紅葉のおわりに。
ほぼ2か月ぶりに五家荘の山を歩いた。紅葉の時期である。カーラジオからは「八代市五家荘地区が今、紅葉の見頃の時期を迎えています」とニュースが流れているが、全然感情が伝わらず、まるでAIの音声のようだ。局アナは、毎年毎年同じ原稿を繰り返し読んでいるだけなのだろう。逆に、AIの方が人間よりも感情的な読み方をすると感じる時がある。
10月に博多で開催されたネットセミナーに参加し、話題のチャットGPTの話を聞く機会があった。(僕のような60を過ぎた老いぼれでも、指一本でパソコンのキーを叩きながら、通販サイトの運用を行っているのだ。)
その会場でチャットGPTの運用の実演をしたのも60近いおじさんだった。そのチャット君のすごいところは画面から何でも出してくれるところなのだ。そのおじさんがパソコンに向かい早口で指示を出す。「街路樹が紅葉した歩道を、若い女性が歩く」と言えば、それらしき女性がその指示通りに、紅葉した並木道を歩いている画像がモニターに出て来る。続けて、そのチャットオヤジが指示を出す。「街路樹の景色を浜辺に変えて、若い女性が歩く画像」と言えば数秒後、美しい浜辺を若い女性が歩いている画像が出て来る。周りのみんなは驚き「おー」と声を出しため息をつく。
だからどうした、と思う。
文章の加工力もすごい。今、僕が書いた文章を、「もっと女性に向けてかわいく書き直せ」「もっとニュース風に書き直せ」「10パターン、いろいろ書き直せ」と指示すれば数秒後、同じ意味の10パターンの書いた文章が表示される。
講演後、その手品師のおじさんの周りには人だかりができた。おじさんは、さも自慢げである。結果、その日の交流会の半分の時間は情報交換という本題から外れ、チャットGPTに乗っ取られてしまった。
自然の山に行き、どう感じるかは個々人の主観であり、何も感じない人が居てもいいし、どう感じるかは自由、勝手なのだ。僕の山歩きの効用は、頭がすっきりすること。美しい紅葉の景色に感動するより、山の精の澄んだ空気に、気分が落ち着きいやされる…そのことを「感動」と言ってもいい。写真を撮るにも絵葉書のような写真ではなく、そうでない景色を探してしまう。そうでない景色はどこにある?だから急いで登るよりも、出来るだけゆっくり歩き、登る事にしている。
今年の五家荘の山々は、また一段、疲れたように思う。繰り返す大雨、大風、気温差、崩落川の氾濫…それでも紅葉の景色は美しいのだろうけど、山々は何か疲れているのだ。
いつもと違う、谷沿いの林道を歩くと杉林の奥の荒れた作業路に見慣れぬ赤い花が咲いている。「ホタルフクロ?」それにしては、その鈴のように連なる赤いつぼみは妖しく美しい。口先に水玉模様の重なりが見える。なんとも、虫を惑わしそうな怪しげな紋様。その子の名は「ジギタリス」。和名はキツネノテブクロ。知る人ぞ知る、毒を持った外来種。開花時期は6月前後で、すでに過ぎたはずなのに、今も赤々と花が咲いている。僕は五家荘でジギタリスを初めて見た。
自然環境の大変化がそうさせたのか。しばらくすると五家荘の森は赤いジキタリスの赤い花で埋め尽くされるのか?山が疲れたからこうなったのか。
嗚呼、そうだ…この景色は博多で見たチャットGTPが制作した、血の通わない継ぎはぎだらけの画像の匂いがする。そんな画像を見て「美しい!自然の景観!」と、みんなの壊れた脳は大きな拍手をするのだろうか。
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