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くも猫ふわふわ 日誌 水俣曼荼羅 その後の後

4月17日 (日) 晴天なり。朝から水俣へ向かう。自宅から2時間近く。松橋インターから高速に乗り、八代を経て津奈木終点で降りる。まずは津奈木町役場横の「石霊の森」へ。雑木林の中にいくつもの割られた岩があり、その大きな割れ目から声が聞こえてくる。今はもういなくなった人の声があちこちから聞こえてくる。昔のニュースを読む声、水俣病の語り部の声、昔話…おじいさん、おばあさんの声…。春の雑草に埋もれた岩の間から聞こえてくる無名の声は今も生きているような気がする。この小さな森を訪ね、耳をすますたびに、干からびていた自分の触覚が少し潤う気がする。そして更に小道を辿ると、お隣の雑木林の中では「達仏」という、雑木の枝を削り創作された金色の仏像に合う事ができる。仏像の数は33体、天を指さす像、枝に沿い背中を反り返らせた像…いろいろな形の仏像があるが各自各様の姿で手を合わせ、愚かな我らの魂を救おうとしてくれているのだろう。森の向こうは海が広がり、その海は不知火海なのだ。春の風が吹き、頭の上を小鳥が飛び交う。春に咲く花々の甘い蜜を吸い、嬉しそうな声で春を歌い会話を交わしている。

この日の目的は水俣の「相思社」。一度冬に訪れたが閉まってた。原一男監督の「水俣曼荼羅」を見て、再度訪問すべしと思い、オンボロ車であえぎながら、細い坂道を登ってきた。相思社は1974年、水俣病に苦しむ人の支援と自立、資料の展示保存などを目的に創立された施設だ。今から30年前、僕は相思社を一度訪れたことがある。

今回、映画「水俣曼荼羅」見て、改めて相思社を訪問する気になった。相思社には水俣の今が、資料として公開されてあると思ったからだ。そして内部の資料館で約1時間近く、展示物をを見学し発行されている本を買い求めた。水俣曼荼羅でも登場、活躍した相思社職員、永野三智さん著作の「みな、やっとの思いで坂をのぼる」を買う。石牟礼道子さんが建立した猫の墓にも手を合わせる。

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その後、坂を降り小道を迷いながら袋湾へ行く。目の前には樹々が生い茂る緑の島と、穏やかな藍い海、春の陽ざしに反射してきらめく水平線がある。浜は干潮近く、いくつもの丸い岩が転がる間で、地元の人が何かを話しながら海藻かなにかを採取している。浜へ降りる小道を家族連れの子供たちが網を持ち駆け降りていく。

目の前に広がる袋地区の景色は、水俣病で騒然とした時代の景色とは違うのだろう。真昼、港の家々からは何の音も聞こえず、ひっそりとした時間が流れている。ただ、その静かな家の屋根の下には水俣病で苦しみ、布団に体を横たえ、痛みに押し黙る人の姿もあるのだろう。窓を開け、春のやわらかい風を感じながら、ひととき昔を思いだす人の姿もあるのだろう。

永野さんの本を読み進めていくうちに、60も過ぎたいい大人の自分がいかに水俣病について無知、不感症だったのかが分る。患者ひとり、ひとりの悲しみ嘆きを永野さんは聞き書き、記録し、自問自答し一人悲しみ、苦悶されている。永野さんはこれまでいったい、どれくらいの人の話を聞かれたのだろう。淡々とした文章は、相思社への細い坂道を息を切らしながら登る申請者の方の歩調に合わせて、寄り添うようなリズムがある。(僕ごときが、論評するような資格はないが。)

水俣病の患者の数、申請者数の何十倍、何百倍もの熊本県民が無知、無視、無関心なのだ。水俣病の認定者数に反比例して、その無知な人の数を今も増幅させているのが行政、政治家の行為なのだ。

「水俣曼荼羅」という映画は「裁判という、お金も時間も費やすややこしい偽装」の影に隠れた権力側の隠ぺい行為を告発する作品なのだ。「権力のシステムには誰も逆らえない。みんなシステムの中で生きている ( 私どもは、法定受託事務執行者でございます。)」と言う迷言 (苦笑) は「県民幸福度」というイメージ戦略で当選した、我が熊本の蒲島県知事の発言なのだけど熊本県知事に立候補する段階で「水俣病の解決」は絶対避けられないテーマだと分っているはずなのに、現場に立つと即、元東大教授の頭脳システムは機能停止となった。

彼は「権力のシステム」からこぼれ落ちた民について、誰も救う事はできないという宣言を水俣曼荼羅の映画中で高らかに唱えた。(全国の映画館で恥をかき続けている ) 東大で教鞭とった過去はあっても、彼の教養は恥を知らない「無恥」なのだ。

県民不在の川辺川ダムの建設強行、犯人不在のアサリの偽装隠ぺい問題のたびに、最近よく県知事本人がコマーシャルに出たり、ニュースに出たりして”うざい”。そういう時間や予算があれば、水俣病についての差別、誤解を解く方法はいくらでもあるのに。「水俣病についての差別偏見をなくそうという発言 (私もそうでした…)」を生身の人として真剣に発信するだけでも多少、県民の無知誤解は改善される。もういい加減に困った時の「くまモン」頼りは止めたほうがいい。

県庁前のプロムナードの銀杏並木は有名で、今は新緑の季節。夏は日影と乾いた歩道に緑風を吹かしてくれる。ちょっとした憩いの場なのだ。いつそ並木通りに津奈木の「石霊の森」から、水俣の霊の住む岩々を分霊、借り出し、ごろりと人々の足元に転がしたらどうかと夢想する。永野さんが聞き書きした、今も水俣病に苦しむ人のつぶやきを流したらどうかと思う。

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※浜へ降りる茂みの小道

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