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生きづらさと共に(信頼者と頼る君の狭間)

10月1日はあちこちで中秋の名月が観察でき、もの申さない月が照らし出す物語りを皆さんはどんな気持ちで見上げたのだろう

私はというと娘と自家製の豆腐団子を作り、飼っているワンコにお座りをさせて、あのお月さまを食しようと声をかけ、月を眺めながら、自家製団子をお裾分けしながらワンコと食べた。ワンコは団子を喉につまらせないだろうか?と心配したり、そんな心配はいらなかったと食べっぷりに驚いたり、甘じょっぱいみたらしにしたのを、じいちゃんがバクバク食べてくれたと喜んだり…(色気より食い気の家族です( ´艸`)

ほんの10分程度に起こった出来事を、気持ちに触れながら、こうだった…と追体験している。

ここまで恐る恐るブログを書いてみたが、ブログを書くというのは地味だけど面白いと今のところは感じている

また気まぐれでストップするかもだけど、その時はその時で、また気まぐれが目覚めるまで放っておくこともOKとしておこう

脅迫的になると嫌だと苦しむ私が出てきて、言い訳いっぱい探すだろうと知っている(笑)批判する私が出てきても、それは私のことを教えてくれることなので、最近はちょっと距離を置いて観ていられると思っている。隣でぶつぶつ言われるとダメかもだけど…

私が出逢った方々で、印象的な方は沢山いて、どの方も個性的で一人ひとりご紹介したいほどなんだけど、それは私から見えるその人の一部かもしれない、そんなことないよと言われるかもしれない



私は少し仲良く話せただけで、相手を簡単に信頼してしまうという、良くも悪くも田舎のおばちゃんだと思っている。

そのせいで、悲しんだ事は沢山あった、信頼という言葉に傷つくことで、自分を見失う程落ち込み、傷つけてしまう
それは悪いことではないと思うが、その間、私を傷つけた相手を自分の中で攻撃してしまう、そうすると、愚痴も悪口も恨みも妬みも気持ちの中で渦を巻くようになり、トゲトゲある竜巻で自分の内面を傷つけ、私の喜びやら、優しさやらの気持ちはトゲトゲトルネードですり減ってしまうのである

こんな時には頼る君は頼もしい見方で、1人で戦おうとしている信頼者に向かってお告げが来る
本当は人を信頼したかったんだよね、だったら僕に少しぐらい頼ってごらんよ、もたれ掛かることで信頼しようと突っ張ってる気持ちが楽になるんじゃない?僕の手は暖かいよ、春の温もりだよって頼る君は言うのである

まぁ空想の世界みたいだけど(笑)

実はこの体験をした時は泣き崩れた
信頼することで裏切られ自尊心が崩れて、傷ついて、人を信頼することができなくなっていた

突然、誰かに頼っていいよと言われてもなかなかできなかった。深い溝の対岸から声をかけられても届かなかった。でも、暖かい手で背中を支えられた時、温もりが身体中を包み込んでいた

なんて暖かい手なんだろう
人を頼ることもできるよね

人は痛みを抱えそれを支えに生きるより、温もりで支えられて生きていることの方が自分に優しくなれると感じられた。

人の強さを信じることは実は楽しいことだった。ワクワクした。そんなことを思い出す。

私に頼りたい?私はあなたを信じて頼りたい。

あなたは何が怖くて私を信じられないの?

ぐっと力を入れて握りしめた手はあなたを守ってきた。

握りしめてあなたを守ってきた手を私と一緒にゆっくり緩めてみよう

ゆっくりと・・・あなたの力で・・・あなたを信頼して

信頼者の青ざめていた瞳は、ゆっくりと相手を見つめ、ゆっくりと頬が赤く色を取り戻していくよう。

もう信頼者は、元気になってきてるみたい、でも、時間をかけてゆっくりでいいからね

ポエムっぽく話してみましたが、信頼を裏切られた時は、力いっぱいに踏ん張って生きている。信頼という厚い壁だったはずのものが、崩れ始め、不信という新しい壁が立ち上がる。不信という壁は恐怖という強さを武器にして信頼以上の分厚い壁を立ち上げてしまう。

一度この不信という壁が立ち上がると、これがものすごく厄介で、元に戻すことはなかなかの至難の業となってしまうのである。

立ち上げた不信の壁を守ろうと必死になって、恐怖や、批判、罪悪感、恥が言うのである、いつもそうだ・・・自分は簡単に騙されるダメな奴だ…結局…こうなっちゃうんだ…もう誰も信じたくない

そんな気持ちを少しづつ、ゆっくりと、自分が持っていた信頼への強さのようなものを取り戻せればいいじゃないか、また、学びなおせばいいじゃないかと思えるようになればいいよね

そうやって、恐る恐るだけど学びなおしをしている訳です。

信頼者と頼る君が少しづつ向き合って、私の中で優しくなっている。

そう、私に私は優しくなれるように…少しづつ強く






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髙橋玲子
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