どんな大人になりたいの?
若い人たちに話を聴くチャンスをもらえるとワクワクする(笑)
この子たちはどんな大人を夢見ているのだろう?とふと思う時がある。今を精一杯生きること、目の前のことを自分なりに工夫しながら生きていること、そんなことに間違いなんて一つもないよねと思いながら・・・
でも、不安に感じていることは確かで、何が正しくて、何が間違っているんだろう?これでいいのだろうか?と子供たちは子供たちの世界で色々と考えて、悩んでいるのだろうと思ってしまう。それもおばちゃんからすれば、もっと悩め、もっといろいろと体験して欲しいと勝手に思っているところもある(笑)
その時にその子の言葉で出した答えが全てではなくて、その時だからその答えが生まれたんだよねと、伝えることが精一杯だったりする。
何かヒントが欲しいとか、何か答えが欲しいとかいう子もいるけど、学校の宿題や試験じゃないのだから、自分で出した言葉が、今のその子に必要な言葉なのだろうと思う。
日本の教育は一方通行じゃないかと思う時がある。受け身で育った子供たちは、自分の意見を伝えることを、良しとはしてこなかったように感じる。
自分の言葉で自分の意思を伝えることが苦手になって、「その時どんな感じだったの?」の質問に答えられない子供が多いと思う。大切な感覚をどこかで見ないように、感じないようにしてきたから、意見を求めても「べつに・・・」「わかんない」と答えることで、シャットダウンしているように思う。でも、「べつに・・・」の後には「このおばさん何聞いてるの?」と思っているはず。それを答えてほしいとこちらは思っている(笑)そこ言ってくれたら、「何聞いてると思う?」って広げれるのだけど(笑)言わなかったとしても、こっちからその合図だしてるよね?って言っちゃうときもある(笑)
言わないこと、言ってもわからないだろうと思っていること、言わなくてもいい、と大人たち(自分も)は伝えてたのじゃないかなと思うと残念に思えてしょうがない。(相当反省)
だから、自分の気持ちを正直に、素直に、安全だと思える場所で、のびのびと誰にも遠慮することなく、伝える力を持っている子供たちは宝物で、その素直さに感動すら感じる。
こんな話を書いていて思い出したことがある。娘がアメリカに留学した時、自分の意見を求められて言えなかったと話した、その時の周りの反応は、自分の意見も言えないなんて私たちを馬鹿にしているのか?と思われたそうだ。今までそんなこと考えもしなかったと驚いていた。意見を求められることが無かったからだ、先生や大人は正解を言うので、正解を求められていると思っていた。でも、そうじゃない、どんな意見があるの?、どんな考えがそこにはあるの?、どんな感じを持ってるの?を求めている、そこから引き寄せられるものがどういうものなのかを一緒に楽しんでくれていると思った。と・・・話してくれた。
今日は娘と洗濯物を干しながら、昨日の出来事、友達のこと、私の愚痴を話してた、最後に娘に言われた「お母さんの愚痴を洗濯物と一緒に干しといたらどうなるかな?(笑)」はいはい、これで終わりって合図です。
自分の意見や感じたことを、周りの目など気にせずに、その時感じたことは大切にし、少しづつ豊かに自分を好きになり、自分が幸せになれるように大人になって欲しいと、こころの中でエールを送りながら子供たちの話を楽しみにしながら聴かせてもらってます。
大人の色眼鏡かけないようにしときたいなぁ
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