Vtuberってアニメで良くないスカ? 四天王爆誕編
今回はVtuberそのものを探究したいと思う。Vtuberはどんな需要を満たしてきたのか。そして、私達がVtuberを健全に楽しむためにはどういった姿勢が必要なのか。3編に渡ってここに書き記す。(番外編あり)
四天王爆誕編では、Vtuberブームの経緯と四天王の誕生を考察する。
警告
テーマ上、文中にメタ的な用語――Vtuberを演じている「中の人」やVtuberの2Dイラストを指す「ガワ」――が頻出する。そうした表現が苦手な方はブラバしていただきたい。
また、これは平々凡々な一般人の私見である。異論反論は全て認める。
では本題に移ろう。
第一章 Vtuberの爆誕は”偶然ではない”
手短に言えば、Vtuberがヒットしたのは「YouTube上のサブカルコンテンツに空席ができた」からだと推測する。Vtuberのヒットは遅かれ早かれ確実に発生するものだったのだ。
第一項『歌い手』
YouTube上のサブカルコンテンツと言えば、まず歌い手だ。
2010〜2013年頃だろうか。ニコニコから持ち込まれた知る人ぞ知るアングラ的存在、当時知名度が上昇していたボカロとの融合、現在のVtuber業界とも通ずる多種多様な芸風。これらが若年層のオタク(※1)に受けた。歌い手の動画がYoutubeにぽつぽつと上がってきた当時、「れをる」「まふまふ」を知っていたらサブカル(=ボカロ)に浸かっていると言っても過言ではなかったのだ。
※1.本文におけるオタクは主に二次元方面(アニオタ、ゲーオタ)を指す。
第二項『ゲーム実況者』
次に到来したのがゲーム実況者文化だ。
ボカロの知名度が上がるにつれて歌い手も注目を浴びるようになった。世間の認知度はまだまだ低かったが、オタクの間での認知度はかなり高かった覚えがある。そうしてアングラ感が薄れたのではないだろうか。(もちろん、アングラ感のみが歌い手の魅力というわけではない)そうしたサブカルチャー層を新たに刺激したのがゲーム実況者だった。
ニコニコからやってきた「もこう」や「キヨ」、「ポッキー」や「瀬戸弘司(※2)」を始めとするゲーム実況者が、2012〜2014年頃からYoutubeでゲーム実況の投稿を初めた。ちょうどその頃はUUUMの設立(2013年)などもありYouTubeの勢いも良好だった。
(私も、人気ゲーム実況者の実況動画の話で友人と盛り上がることも多かった。テレビドラマの展開を友達と話しているような感覚と似ている)
その後もゲーム実況者が続々登場した。ゲームをただ実況する形から、ゆっくり実況や小技裏技の解説動画もあふれんばかりに増えていった。
※2.商品紹介等の動画投稿自体は2010年からだ。ゲーム実況チャンネルの開設は2013年である。
第三項『Vtuber』
ゲーム実況者文化が栄え、2016年にはチャンネル登録者数100万人を突破する者も現れた。YouTubeでは「ゲーム実況」というジャンルが確立し、人気ゲーム実況者は一般的なYouTuberとも比肩するようになった。飽和状態は続いているが、今も盛り上がりを見せている。
そして2017年年末、満を持してVirtual YouTuberにスポットライトが当てられた。まるでアニメキャラがYouTubeに舞い降りたような、衝撃的かつ不思議な感覚に襲われた。3Dモデルという先進的な技術を使った刺激的な存在、それが私の第一印象だった。
アニメキャラ然とした外見、オタクが食いつかないはずがない。飽和しきっていたYouTube上のサブカルコンテンツの中でVtuber文化が到来したのだ。
第四項『第一章のまとめ』
YouTube上のサブカルコンテンツもといオタク的トレンドは歌い手文化→ゲーム実況文化→Vtuber文化という風に変遷してきたと考察する。そして、若年層のオタクたちはそうしたYouTube上のコンテンツを「あ、この人仲間だな」と判断する指標としても用いてきた。この指標として重要だったのが「アングラ感」だった。「沼落ちのしやすさ」と言い換えても相違ない。
歌い手及びゲーム実況業界の知名度上昇によるアングラ感の低下と、業界の寡占状態によるマンネリ化がVtuberのヒットを引き起こした。と私は推測する。Vtuberのヒットは偶然ではなく、起こるべくして起こったのである。
もちろんここで歌い手やゲーム実況者の衰退を論じる意図は一切なく、むしろそれらは今も規模を拡大し進化し続けていると思う。ただYouTube上の新たなオタクのトレンドとしてVtuberがやってきた、という話だ。
第二章 仕立て上げられた”四天王”
2017年年末にはキズナアイに加え、現在の四天王(※3)が舞台上に揃った。「Vtuberよくばりセット」と称してニコニコからYouTubeに持ち込まれた紹介動画はVtuberの発展に寄与したと同時に、キャラクター化も進行させた。
「キズナアイは親分」「ミライアカリは下ネタ担当」「電脳少女シロはサイコキャラ」「のじゃろりは癒やし」「首絞めハム太郎の輝夜月」といった具合で個人勢企業勢問わずキャラ化していった。個性的なメンツの集結は歌い手文化でもゲーム実況者文化でも見られた構図である。均質化や同質化に反したキャラ化の加速、いかにもサブカルチャーらしい動きだった。
その頃のVの特徴は以下の4つだ。
一、初登場時から3Dモデル
二、動画投稿が主流
三、関係性売りの少なさ
四、業界の一体感
この2017年冬からにじさんじが参入する2018年春までを初期とする。順に解説しよう。
※3.初期のV業界を牽引したミライアカリ、電脳少女シロ、輝夜月、のじゃろりの四人(敬称略)の呼称。
第一項『初登場時から3Dモデル』
Vのほとんどが3Dモデルでの初登場だった。個人勢企業勢というより3D勢2D勢と区別されていた覚えがある。とにかくその頃はVtuberと言えば3D勢を指していた。この高いクオリティの3Dモデルもオタクに受けた要因だと思われる。
しかしVirtualである意味はこの頃から模索されていたように思う。3Dモデルを活動に有効活用できていたVtuberは少なかった。しかしVtuberを見ていたファンは「VRという先進的技術」より、「キャラクターとしての可愛さや魅力」に惹かれたのがほとんどだったためか、そんなことは気にもとめなかった。(なお、このファンの意識がのちのち初期のVにとって死活問題であることは誰も知る由はない)
考えてみればファンが気にしない理由も十分頷ける。前述したようにVtuberはYouTube上のオタク的トレンドでしかなく、何もいきなりVR技術が注目されたわけではなかったのだ。
第二項『動画投稿が主流』
それまでのYouTuberの流れを受けてか初期Vの活動スタイルは、現在の業界で支配的な「生配信」とは異なり「動画投稿」が主流だった。理由は3つほど思い浮かぶ。
・「中の人」がほとんど声優出身者だったため、「配信者」向きではなかったから。3Dモデルや撮影環境の整備には多くの費用がかかる。したがって、そんな貴重な3Dモデルを素人に託してふいにするわけにはいかない。多くの場合、「中の人」には声優が起用された。となると、長時間のゲーム配信や雑談配信は声優本来の性格から鑑みれば不向きである。
それでも、VtuberによってはYouTuberやニコ生主が「中の人」を担当したこともあった。なぜ生配信が主流にならなかったのか。以下の2つの理由で補足する。
・「YouTuber」に重きを置いた活動であり、Twitchやニコ生などの「配信者」のような活動方針ではなかったから。Vtuberが「YouTuber」を模倣しているのは外から見ていても瞭然だった。あるいは、一キャラクターとしての存在を売り出しているため、歌配信や雑談配信など「中の人」要素が強く出る活動は避けたかったのかも知れない。元々の素材を活かし、余計な味付けはほとんど加えない活動方針、とでも言うべきか。
・3Dモデルなどの高い技術力が、足かせになってしまい生配信のハードルが高くなってしまったから。現在のにじさんじやホロライブのように、一日に何時間も何回も配信するようなことは技術的に厳しかった。PCと周辺機器さえあれば配信できるというフットワークの軽さと、配信を増やすためならハイクオリティな3Dモデル不使用も厭わないという意気込みがあれば、配信頻度も増えたことだろう。
第三項『関係性売りの少なさ』
キズナアイと輝夜月の師弟(のような)関係や、ミライアカリとシロの友人(のような)関係は形成されたが、基本それぞれが自立した存在だったため、今のVtuberのような複雑かつ密接な関係は築かれなかった。彼女たちはあくまで同業者としての立ち位置、距離感に収まった。
また、推し進められたキャラ化により、四天王同士のコラボでは個性が衝突していた。また、生配信ではなく動画だったため要素がさらに濃縮されてますます濃い内容になっていた。いわば「ヒカキン」や「はじめしゃちょー」を初めとした超人気YouTuberが連日連夜コラボしているような猪突猛進の勢いで、私も若干くどさを感じていた。
今のような気軽な(もとい軽率な)絡みはYouTube上では滅多に見られず、ましてや関係性売りなどは皆無だった。関係性売りの少なさについては「箱が違った」という理由も大きいだろう。
しかしそんな個性の氾濫の中でも、現在の「関係性売りの原点」とも言えるような「最古の関係」が築かれたことは大々的には知られていない。
『番外編 Vtuber最古の「関係性売り」』近日投稿。
第四項『業界の一体感』
キズナアイという不動の地位の下に並ぶ四天王というピラミッドめいた構図だったため、業界の一体感を常に感じることができた。なおその構図もファンが作り上げたもので、実際にそのような構図になっていたかは定かではない。
四天王とは呼ぶものの大きな派閥があったわけではないし、むしろファンの流動性が高かったので、複数人を推している人のほうが多かった。対立厨も数字厨も少なかった印象がある。
「〇〇ちゃんは□□ちゃんより登録者が多い!凄い!」よりも「〇〇ちゃんが好きな人挙手!」みたいなノリだった。(気がする)
(懐古しているわけではない。業界として未熟な面があり小規模な問題が今よりも散見されたことは確かだ)
ただ、やはり私たちは彼女たちを「YouTuber」としてより「キャラクター」として楽しんでいたようだ。
第五項「二章のまとめ」
高額な設備投資を初めとする資金的な理由で慎重にならざるを得なかったため、初期のVの活動内容は限られていた。
↓
ハンデとも言える活動制限により動画投稿が主流になり、内容の濃い動画が量産された。
↓
内容の濃さゆえ、関係性売りに依存する状況には至らなかった。
↓
そうした自立した環境が初期Vを自己完結的な存在に仕立て上げた。
↓
今のVtuberに比べて個々が独立していたため、複雑かつ密接な関係が築かれることはなく、ピラミッド的なシンプルな構図に落ち着いた。
しかし、ファンは「キャラクター」を楽しんでいたのが大半だったので、そうした活動制限は気にも掛けなかった......。
最後に
次回は四天王の斜陽からにじさんじの台頭までを話す。小出しにして投稿するつもりなので乞うご期待。
ぜひ忌憚なき意見を聞かせていただけるとありがたい。以上だ。
あとがき
二年前の資料を調べつつ当時の雰囲気等は記憶で補完したため、差異があるかもしれませんが悪しからず。