ユウコ【episode2】
交際相手の美咲ルイに見送られ、駅まで徒歩15分
混雑した山手線に乗り込みいつもと変わらぬ日常へと繰り出す。
勤め先のケータイショップに着くまでの40分
流行りの音楽を聴きながらそれとなく考え事をしている。
最近よく聞くのは星野源や米津玄師。
どちらも声が好きだし曲調もキャッチーで覚えやすい。
カラオケでも歌いやすいので聴いておいて損はない。
しかも米津は歌詞に込められた意味も奥が深いので考察を読んだりするのが楽しいのだ。
TwitterやInstagramで同じような趣味のアカウントの投稿を見ているだけで40分という時間は結構簡単に過ぎていく。
しかし今日は少しだけ考え事をしていた。
美咲ルイについて。
今年で27歳になるただのショップ店員の自分が19歳の元ホストの青年を恋愛対象に選ぶなんて
少し前なら考えられない事だった。
携帯ショップの店員というのは委託業務なので
大手キャリアの名前を名乗ったショップだからと言ってそのキャリアの社員ではない。
携帯ショップの委託会社が存在し、大手キャリアがそこに金を払い業務委託を依頼している
つまりまるで違う会社の人間なのだ。
こんなこと、数回携帯ショップを利用したことがあれば誰でも知っている常識だがルイはそんな事も知らずに大企業の社員なんて凄いと褒めてくれた。
業務委託されている話をしても
「じゃあそれはユウコの会社の社長さんが凄く信頼できる人で、めちゃくちゃいい人だから大企業の社長さんがユウコのところの社長さんにお願いしたって事だよね。つまりそんなところで働けるユウコすごいよ!」
と、意味不明な理屈でもって私を褒めてくれた。
ばかだなあ
そう思った。
けど、そこがとても愛おしかった。
いつもの私ならそんなことでいちいち喜んだり可愛がったりしない
今の私だからきっとそう思ってしまったのだろう。
携帯ショップの店員という仕事はストレスとの戦いだ。
今どき携帯ショップで買えるものは全てネットで携帯ショップよりも安く購入できる。
わざわざショップに行く方が時間も労力も使う上に金額まで高くなり、求めていたものだけでなく他のプランやらタブレットやらまで買わされる始末だ。
こんな事も少しインターネットに詳しい人間なら誰でも知っている。
今の時代はあらゆるものがネットで決済でき、さらに安く済む。
だからこそ携帯ショップに来るのは1人で決済することが不安なインターネットに詳しくない層やそもそも使い方のわからない高齢者が多くを占めている。
そういう人間はこちらも追加で商品を勧めやすい。
ショップの販売員には販売のノルマがある。
このノルマが相当キツイ。
相手にとって不要、高くつき相手が損をする
そんな事がわかっていてもノルマ達成のために商品やサービスを勧め購入してもらう。
さらには後日お客様アンケートが配信されそこでの点数が会社での営業評価に大きく響く。
私の勤め先ではお客様アンケートに10問ほどの項目があり、それぞれ1〜5点で評価される。
1が最も低く、5が最高点
このアンケートの80%を5で答えてもらわないとならないというとんでもない決まりがあるのだ。
それを逸脱した場合は自身の成績も落ちるため
押し売りのような接客はできず、とは言えノルマ達成のために営業をかけなければならないという状態での仕事になる。
しかも仮にノルマを達成し、営業成績がトップクラスであってもインセンティブは大して入ってこない。
どれほど頑張ろうと年収ベースで言えば500万円が限界ではないだろうか。
であれば、これほどのストレスを抱える仕事への対価として収入が釣り合わないだけでなく
拘束時間も長いうえ出世に希望も見いだせないことから
私の店舗で、ということでなく
携帯ショップの販売員はすべからく離職率が高い。
私も日々ストレスに悩まされる社員の1人だ。
なによりもノルマのために相手の為にならない商品、サービスまで売る事が心情的に耐えがたいのだ。
ルイに出会ったのはこれによる疲労、ストレスがピークの時だった。
私の状態を察した同僚が「気晴らしに」とホストクラブに連れていってくれた。
最初は怖かったし抵抗もあったが
お酒は好きだし若くチャラチャラした男に湯水の如く金を貢ぐ女になる事はないという自信もあった。
実際に行ってみるとホストクラブという場所はまるでおとぎ話のお城のような所だった。
テレビでよく見る
生意気でオレ様、みたいなホストは存在せず
皆、女性を神か姫のように扱い
仕事が大変だと言えば共感し、疲れたと言えば慰めてくれる。
基本的にあらゆる会話に全肯定してくれて話も上手い上に酒の力も相まって
なるほどこれでは自分を本当にお姫様だと勘違いする女がいてもおかしくないなと思った。
さらには初回はソフトドリンクだけでよかったり会計も3000円〜5000円と非常にリーズナブルだった。
承認欲求に飢えた女子であれば誰でもハマってしまう、そう思った。
私の目にはそんな王子様のような彼らすら
何か腹で考えているのではと思い常に警戒してしまっていた。
そしてルイと出会った。
初対面の彼はあまりに幼く、今にも消えてしまいそうな程か細く、そして美しかった。
明らかに未成年、だが必死になって話題を振って酒を飲み作り笑顔で接客をしていた。
その細い身体のどこにそれほどの量が入るのかというほど酒を飲み数分したら席を外し、
数分後に目を真っ赤に汗をかいて無理矢理作った笑顔で戻ってくる。
誰の目からも酒を吐いて疲れ切っているのは明らかだった。
喉が焼け、声が枯れても、面白くもない話で大きな笑い声を出し涙目になりながらにこやかに笑っている。
そんな彼が日々の自分に重なった。
なにか運命的な、共通点のような、共感を感じ
次に来店した時もなんとなく彼を指名した。
そして前回同様酒を飲み会計。
その後たまたまキャストルームが覗けてしまった。
キャストルームではルイがトイレまで間に合わずに吐いてしまった吐瀉物をベタベタの髪で汗だくの顔で掃除していた。
先輩と思われるホストが彼を手伝おうとしたが
「スミマセン。自分のミスなので自分でケツ拭きます。」そう言って断っていた。
先輩ホストが去った後、嘔吐によって出たものではない涙をルイは流していた。
吐き散らしてしまい情けなく不甲斐ない自分、そんな自分に同情し声をかけてくれた先輩
彼の中で何かが弾けその悔しさが涙になったのだろう。
それを見た時にダメだった。
この子はこんなに弱くてかっこ悪いんだ。
そう思ったらルイを好きになってしまった。
ルイには顔以外の全身に傷があった。
最も信じられなかったのは背中に根性焼きがあった事だ。
マスのような切り傷
四角の切り傷の真ん中に根性焼きがいくつもあった。
曰く、本当の彼の父親がルイの背中でオセロをしたと言う。
最初は画鋲を刺されていたのだがエスカレートしそれが根性焼きに変わっていったと言うのだ。
彼には父親が2人と母と姉がいたと言っていたがその思い出は聞くに絶えないものだった。
私は話を聞きながら本当にそんな事があったのかと心底驚いていた。
虐待というものが日本でもあることは知っている。
知ってはいるが実在しているという実感はなかったしそんな事が人の親にできるわけないと思っていた。
幼い彼はそんな事すら笑って話してくれる。
彼にとってはそれが日常だったからどんなふうに話せばいいのかわからないのだろう。
そんな不器用なルイが堪らなく愛おしくなっていた。
この弱い青年を守ってあげなければ。
私が守ってあげたい。
世の中の普通を知って欲しい。
異常な環境で十分な愛情を注がれなかった彼に私が愛情を注いであげたい。
そう思い同棲を提案した。
これからはせめて普通に、少しずつでもこの日本の平和な社会に馴染んで欲しいと思った。
同時に彼が私をおそらく好きでないことも気がついていた。
私は馬鹿ではないし、それなりに恋愛もしてきている。
過去の経験からわかるのだ、ああこの人はきっと私を好きではないのだなと。
それでもよかった。
ルイが一緒にいてくれると私に言った。
同棲して2週間が経った時
「俺、今こうやってユウコと住めて本当に嬉しい、マジで。ずっと一緒にいれたらいいなあ」
その時どれほど嬉しかったか。
ストレスに潰されそうな毎日も帰ったらルイがいると疲れが吹き飛んだ。
例えあの言葉が嘘でもそれでもいい。
彼の気が済むまで私は彼と同じ時間を過ごしたい。
彼が嫌がる事はしないし、生活の面倒もみる。
ルイを守りたい。一緒にいたい。
それが今の私。
愛野由祐子(26)
【続く】