見出し画像

子供の遊園地にある闇を見に行く①

こんにちは。これから英検4級を受けるShun-Hayabusaです。
今回は、今から約1年前に行ったこどもの国のことを記事にしたいと思います。
それでは、はじめましょう!

こどもの国ってどこだ?

こどもの国は、神奈川県横浜市と東京都町田市に跨って存在する児童厚生施設です(Wikipediaより)。
簡単に言ったらこどもが行く遊園地みたいなもんですね。

こどもの国の場所。

※初めに忠告しておきます。この記事ではまだこどもの国に入りません。

出発!

おはようございます。ここはJR横浜線、長津田駅です。

ここから乗るのはこどもの国線です。
こどもの国線は横浜高額てt…ゲフンゲフン横浜高速鉄道が管理し、東急電鉄に経営委託している特殊な路線です。

ですので、改札も別。
もっと特殊なのは、長津田駅にはこどもの国線の改札がないことです。

「右側壁沿い階段」までの間にこどもの国線用の改札はありません。

早速乗車。
今回は「うしでんしゃ」と呼ばれる車両に当たりました。
普通のやつがよかった…

車内はこんな感じ。完全にこども向けだな…
一応通勤で使う人も結構いるんだけど。

電車は時刻通り発車していきます。
長津田を出発した直後に急カーブがあるため超徐行運転で進みます。
(写真ないですごめんなさい)

恩田に到着直前、東急テクノシステムの恩田車両工場が見えてきました。
大きな検査を受ける車両や、廃車になってしまう車両もここに来ます。
訓練者(?)も留置されていました。

こどもの国駅到着。

乗ってる間幼稚園児が多かったのでめっちゃ肩身狭かったです()

先ほど「長津田駅には改札がない」と言いましたが、運賃はここで精算します。
運賃は一律160円。

こどもの国とその路線に潜む「闇」

さて、今は子供の遊び場になっているますが、こどもの国にはある「闇」があるのをご存知でしょうか?

今のこどもの国の敷地は、かつて弾薬を入れる倉庫でした。

1938年に「日本軍田奈弾薬庫」という名前の日本軍の弾薬を入れる倉庫を着工。
1941年に使用を開始します。
その後日本は太平洋戦争で降伏し、アメリカ軍が占領。「米陸軍第八軍司令部火薬廠」に名前が変更されます。
日本に返還されたのは1961年。当時の皇太子である明人親王の結婚を記念し、跡地に「こどもの国」をつくりました

先ほど乗ってきた「こどもの国線」はその移動手段として開業しましたが、路線自体は弾薬庫時代から存在していました

現在は東急田園都市線と線路がつながっていますがかつては国鉄横浜線と線路がつながっており、現在の米軍相模原補給廠へ引き込み線(現在は廃線)を経由し弾薬を運んでいたそうです。

米軍相模原補給廠の廃線記事はこちら↓

そしてそんなこどもの国線の終点がこちら。

こどもの国へはここからさらに先まで行く必要があるのですが。弾薬庫時代はこどもの国線も先まで続いていました。
これからその廃線跡を歩きたいと思います。

一見普通の道路ですが、脇を見ると…

鉄道用の柵が今でも残っています。

こどもの国の入口はこのまま歩いて歩道橋を渡れば到着です。
弾薬庫とは全く関係ないですが、「たぬきのトンネル」なんてのがあるんですよ。

そしてこどもの国の入り口に到着しました。
まだ入園までは早いみたいです。

続きは次の記事で!

<スキとフォローのお願い>

この記事がよかったら、会員登録なしでできる「スキ(♡のマーク)」をお願いします!
noteの会員の人は、フォローもぜひ!
感想や質問がある人は、コメントで。

↓サブもぜひ見てくださいね。


サポートしていただくと嬉しいです! よろしくお願いします!