20代前半の人生研究論文 ~未来の自分と世界のライフデザイン考察~


はじめに

1.poolo概要

私はpooloという社会人コミュニティに近いものに所属し、「自分と世界を豊かにするプラン作りとは?」を主題に講義受講やグループワークを中心とした活動を行ってきた。このプログラムは「旅が好きな人の集い」を前提に交流できる、という一面も備え合わせていた。私が所属したのは今年の3月。プログラム終了は10月。このテキストを執筆しているときは卒業間際の時期である。本組織(poolo)に所属していて、今の自分の分析、自分と世界を豊かにする方法について考えたことを以下に述べる。

2.執筆者の背景

ここでは、普段の自分の生活と考え方について述べる。基本的に会社の中では無口な人間で、よっぽど人に確認を求める、とかではない限りあまり話すことはない。雑談に関しては、飲み会などで「話しかけられたら、話す」というようなスタンスであった。この経験が、人と話すのは苦手な人間へと変化させてしまっているのかもしれない。人と話すのが怖い、それは失言するのが嫌なのだろう。自分は昔のテレビの出来事などのことを考えてしまったり、頭の中で物語を作ってしまっていることがよくある。直すべき癖であると感じているが、どうしても自分は過去に起きた恥ずかしかったり苦しかったりした出来事がフラッシュバックしてしまうことがよくある。それが自分の口から出てしまうのが怖い。後、考えている有名人の名前をぽろっと言ってしまったり、頭の中で音楽が流れて歌いだしそうになってしまったりすることもある。(当方人に理解されにくい重大な悩み)それで失言するのが嫌になってしまって、会社内では自分の殻にこもってしまっている。
自分に自信をつけないと、ポジティブにならないと、と考えてしまって将来の自分に焦ってしまっている部分もある。
最近では、自分は何か生きづらい何かを抱えているのかもしれないな、と実感している部分もよくある。

ネガティブなことばかり書いてしまったが今の自分ではモットーにしていることもある。それは、優柔不断になりすぎないことだと感じている。大学時代は変に悩みすぎて行動できない、ということが多々あったが、社会人になってからはできる限り一度した決断においては二の足を踏まないことを意識している。悩んで、深く考えるのはいいことだと実感しているが、悩みすぎるのもよくないと感じている。
あとは「できる限りやれるうちにやる」ことである。仕事もプライベートも。何か災害が起きて、後でやろうと思っていたことができなくなってしまうこともあると感じているからである。(コロナの時に実感した人々もいたのではなかろうか?)仕事も速めにやれる部分を終わらせて、できる限りゆとりを持つ努力をしている。今のうちに人に話せるうちにわからないところを尋ねる、というところである。
プライベートでは現在の部署は比較的ハードではない、と考えているため、今のうちに趣味に勤しんだり、勉強に励んだりしていこうとしている。日本全国旅行に行く、友人と会うといったことを行っている。

少し脱線したかもしれないが、ここで記載したことが、以下に述べる自分と世界を豊かにする方法につながる、とpoolo活動中に実感した。

目的

1.poolo所属目的

なぜこのコミュニティに所属することとしたのか、卒業を控えた今振り返ってみる。
私は所属前大きく分けて2つのことで悩んでいた。一つ目は人間関係、友人関係の構成についてである。高校時代は特に友達と話すことが苦手で、一人で登下校したり、ただ学校と家の往復だけ、みたいな孤独な学生生活を送っていた。大学になってようやく人と雑談ができるようになって、人との関係性を身に付け始めることができたと思う。そのときでもなんか自分の求めていたものはちょっと違うな、と感じてしまっていた。人に対して高い期待を抱いてしまっていたのだろう。話せるようになった人とでも、「なんかその人と遊びに行くのも違うな」なんて感じてしまっていた。社会人になった今、ようやく人と遊びに行くことができるようになった。正直、大学時代よりも社会人になってからの方が仲良くなった人の方が多い。しかし、会社の人とは全くと言っていいほど雑談をしない人間であり、話せる人と話せない人の差が激しくなってしまったと感じる。いわば、人見知りが激しくなってしまったと実感している。
これまで、一人で生きることが多かった人間であり、愛情と協力とか理解することが苦手な人間であった。これをきっかけに新たな人間関係を作ってみたいと感じて所属した。
二つ目は将来の設計プランである。この件については以前まで私のアカウントにおいて数件の記事を執筆しているほど、深く考えるべき点である。大学時代、大学院に行くか就職するべきなのか悩んでしまい、進路に深く頭を悩まされていた。「深く頭を悩まされていた」、というよりは、「進路選択が中途半端になってしまって深く考えなかったからこそ結局何がしたいのかわからずに自分を見失ってしまった」という方が正しいのかもしれない。結局のところ就職した現在だが、当時大学時代にした選択においてこれは正しい選択であったのだろうか?ということは現在でも時々考えてしまう。大学時代に特に希望しているわけではなかった職に就くこととしたのだから。確かに今の職場に不満はあるが、この職場であれば今の自分のステータスで力を入れて取り組んでいけそうだ、と考えている職場であるため、この職場においてどう働いていくのか、将来どのような悔いなき選択をしていくべきか、を考えるために、所属したとも言える。いわば、自己省察をもう一度行いたい、といったところだろうか。
実のところ、特にこの組織に大いに期待しているわけではなく活動に取り組んだ。(もちろん、仲間つくりや自己省察のきっかけの一つとしては期待している)良い意味でいえば、依存しすぎていない、悪い意味でいえば、斜に構えている、といったところである。理由としては社会人組織の中にはマルチやカルトの集団もあり、はまりすぎるのはよくない、という前提が自分の中でできてしまっているからだ。(以前勧誘された経験がある)

2.論文執筆目的

本論文では、私が在籍したpoolo活動において得た知識や教訓を無駄にせず、今後も活用するために、今回の活動における主題の「自分と世界を豊かにするプラン作りとは?」について再考するために執筆する。過去の自分を回顧し、未来の自分が幸せに過ごせるよう、これからの生活へのヒントを獲得するための論文ともいえる。

活動内容

poolo活動においては、数多くのプログラムが組まれていた。以下紹介する。
初めに、月2回ほどの外部講師を招いた講義を受講した。日常生活ではめったに聞くことのできないような起業家の方々、学者の方々といった人々の人生論を学習した。
poolo活動において一番大きな活動であるのが、グループワークである。8か月間の間で、4回ほどグループメンバーを変更し、ライフデザインについて考えたことを実行し、その結果を発表するということを行った。ワーク内容として、「ストレンクスファインダー」と呼ばれる検査を実施し今の自分の現状、強みを知るプログラム、強みを活かすにはどのようにすることが必要か?を発表するプログラムも行った。本組織では「旅の学校」についてもメインテーマとして扱っているため、「自分と世界を豊かにする旅とは?」ということについて話し合うプログラムも行った。「自分と世界を豊かにするプログラムを一つ実行する」という名目でのグループワークでは、愛情とは何か語る企画を立ち上げ、pooloメンバーにて参加者を募り、哲学的な議論を行った。
poolo受講生が自ら手を挙げ企画する、課外活動も盛んにおこなわれていた。チームメンバーを募って旅に出る旅行企画が数多く行われていた。登山やキャンプといったアウトドアの要素を含めた旅企画も多く存在し、私も参加した。
対面、オンラインに関わらずメンバー同士での対談、(1on1と呼ぶ)を行う企画、noteを執筆する企画、写真撮影や日記をつないで交流する企画など、旅に行かなくても積極的に参加しやすい企画をメンバー各自で立ち上げていた。

活動結果

ここでは、活動についての私の感想を述べる。
講義においては、自分の強みを知るストレンクスファインダーを実際に行い、それを活かすプログラムが初めに行われたが、「強味で自分を満たす」というフレーズが印象的に感じられた。人はだれしも強みと弱みを持っているということを改めて実感し、生き生きとした自分を構成するためには、自分が持っている強味を伸ばしていくのが楽にして生きていける要素の一つなのだと気づかされた。面白いプログラムだと感じたのが、「おてつたび」のサービス設営の裏話である。このサービスは旅行先で仕事のお手伝いをすることによって、宿泊費等、旅行費が免除される仕組みなのだが、旅行者も旅行先で勤務している人々も幸せになることができる斬新なサービスなのだと感じられた。広めていって、経済を豊かにしていってほしいと実感した。様々な人々の講義を受けたうえで共通して感じたことが、講師のバックグラウンドの広さである。講師の方々は受講する前は、本能的な能力を持った優れた方なのだと感じていたが、実際にはどこかで大きな失敗があり、大きく落胆してしまった過去を持っているということだ。明るく振舞っている人でも、隠された過去がある、裏では絶望を味わった経験があるのだ、と人間味を感じられた。
グループワークにおいては、ストレンクスファインダーと呼ばれるプログラムを利用したが、長所としては好奇心、スピリチュアリティ、向学心があげられた。好奇心や向学心と言えば、近日始めている資格の勉強があげられるが、それが結果として現れたのであろうか。スピリチュアリティは自分が霊的なものを感じることができる、シンパシーに近いものを感じ取ることができる能力がある、ということであろうか。さほど人々が気にしないような項目であるだろう。私が一番内容が何か知りたいと感じている項目で、これは謎めいた雰囲気を醸し出している、ということだろうか。この一言に自分のキャラクターが出ている気がする。よく言えば潜在能力がある、感受性が高いということができるが、悪く言えば俗にいう「不思議ちゃん」なのだろう。確かに多くを語る人間ではないから、不思議で神妙な雰囲気が出ているのだろうか。この結果を見たとき、自分はスピリチュアリティを治したいのか、疑問に感じた。スピリチュアリティな雰囲気は悪くはないのではないのか、とも感じるようになった。こうして自己陶酔に走ってしまうのではないだろうか、とも考えた。
さらにグループワークで立ち上げた愛について語る企画では、普段雑談することは少ない哲学的なテーマに対して、掘り下げて考えることができたと感じる。私は日ごろ、時間があれば頭の中で人生の定義とは?とか答えのない問いを永遠に自問自答することが好きなのだが、改めて言語化する、という作業を行うことによって、「自分は改めてここが不安であったのか」と自分の疑問を認識することができた。未だに私は愛情、というものが何なのかわかっていないことがあるが、愛の形は人によって多種多様であることを実感できた。
旅の企画として、富士登山も参加した。我々日本人として、一度は世界に誇る富士山に登りたい!と感じていた。しかしテレビで芸能人が富士登山企画に挑み、リタイアする映像を見ては、自分もできるのか?と不安に感じる部分があった。不安よりも興味の方が大きかったため、参加することとした。12人ほどで挑んだ富士登山。登山の装備をしていたため、意外にも体力的な面では問題はなかった。富士山の天気はめまぐるしく変化し、山の危険さを身に染みて実感した場面もあったが、登山に励み、雄大な景色を眺めて楽しむことができたと感じる。
石川県のキャンプにも参加し、現地のグルメ、海の幸を楽しむことなどをし、自然に触れることができた。今年の1月に起きた能登半島地震の応援企画でもあり、能登半島の奥の方までは行けなかったが、石川県を観光して石川の経済を回すことに協力することができたのでは、と考える。キャンプという久々にアウトドアに近いことを行い、石川ならではの自然とアクティビティを満喫できた。
旅行を通じて、普段あまり大人数で遊びに行くことのない自分が大人数に溶け込むことに挑戦でき、楽しい時間を過ごすことができた半面、精神的な疲労を感じる自分の存在を実感した。もちろん楽しさの裏には疲労がたまる、というのは一般論だが、どうしても気疲れしてしまう自分がいた。特に集合写真を撮るときとか、無意識に気を使ってしまったり、その集合体に入るのになじめない自分がいたり。新たな自分の課題にも気づいた気がする。

考察

1.豊かな自分とは何か

以下、poolo活動において自分を豊かにする方法とは?というテーマで議論を繰り返してきたが、私としての考察を述べる。
上記、人と話すのが怖い、人見知りしてしまう、というような現状を持っている。このことから、「自分自身に偽りのない心で、話すことができる」これが豊か、幸せになれる最大の要素だと考えている。友達関係に悩んでいた自分としては、この偽りなく話す能力が欠けてしまっている。自分に嘘をついて、「まあいいか」というように諦めモードに入ってしまっている自分を嫌いに感じる。嘘で嘘の自分を作る、これで自分自身を見失う、幸せを見失う、このモードになってしまっては人生が終了してしまう。この豊かにする最大の要素「自分自身に偽りのない心で、話すことができる」を満たすために、適切な表現の仕方を学ぶことが重要であるだろう。まだ人と話す時、自分の言いたいことが誤解されやすい自分である。誤解されることなく、自分の伝えたいことを伝えるにはどうすればよいのか?ということを理解していく必要がある。
必要な人に走って会いにいけるような存在でありたい。映画や小説の影響を受けてしまっていると推測されるが、「好きな人に会いに行く」ということにあこがれてしまって、豊かにする要素の一つに挙げていると考えられる。きちんとした「愛情」を知ることができないと、この豊かにする要素は達成できない。さらに、一緒にいても気疲れしない人を増やしたいのも一つあげられる。
必要なときに必要なことを学べるということも自分を豊かにする要素の一つである。「向学心、好奇心」を持っている自分にとっては、いろいろな資格、技術を学びたいと感じている。学べるだけの環境、時間、金銭的な面が自分を豊かにする要素に絡んでくると考えられる。仕事に関するスキル、趣味を開拓するためのスキルが必要なのではないかと感じてしまっている。
豊かな人間となる前提としては、今自分が置かれている環境に感謝できるだけの心のゆとりを持つことが必要であると考える。お金や時間があることが幸せ、とか思わずに。あと当たり前のことに感謝することができる、傲慢な態度をとらない人間でありたい。

2.豊かな世界とは何か

「豊かな自分とは何か」で述べたとおり、豊かな世界を構成するのに必要な要素の一つに、「人が必要なときに助け合う、寛容な社会」が挙げられる。一言でまとめると「平和な社会」なのだろう。世界は多様化している。置かれている対場も多種多様な社会となってきている。まず自分の頭の中にある固定観念によって人を判断するのではなく、その人の対場について理解し、その人に応じた処理をする、というのが重要事項の一つに挙げられると考える。しかし、相手の意見を受け入れすぎて、自分の意見が流されてしまっては、「豊かな自分」を作ることとは本末転倒である。そのため、同時に「個人の意見をぶつけ合い、対話できる社会」も形成することについても重要ではないだろうか。「寛容な社会」と「議論する社会」は背反するが、存在すると考える。
「平和な社会」と聞くと戦争がない社会を思い浮かべる人も多いかと考える。当然、戦争はよくないと考えている。議論に関して和解が進まないでいて、最終手段として武力を用いて解決させようとする手段であるが、これは議論に携わっていない人々も巻き添えを食らう。さらに、必要な労力も大きい。しかし、「戦争がない社会」だけではそれは「消極的平和」なのであり、まだ「積極的平和」が構成されていないのである。「積極的平和」に社会を変化させるには、やはり一人一人の意見や立場を尊重し、困ったときには手を差し伸べてあげることができる社会が必要ではないだろうか。
「寛容な社会」であっても、必ず間違っていることはしっかり正してあげる、という社会も必要ではあると言えるだろう。多様性を認めることが重視されている世の中であるが、「世間的にヤバい人を認める」という意味ではないと考える。例えば犯罪を起こした人々を認めるか、と言われればそうとは言えないだろう。公序良俗に反した人については然るべき処置がなされるべきではあると考える。しかし、世間を知らず世間や他人に必要以上に背いてしまった人を救済する処置をすることも必要なのだろう。

終わりに

1.本活動のまとめ

以上の考察から、豊かな自分と世界構築のために必要な要素としてあげられるのは、「一人で生きようとしないこと」だろう。一人の時間が必要な人もいるが、抱え込んでしまってはよくない、ということを考えることができた活動であった。その「一人で生きようとしないこと」を達成するために世界、いや世界に生きる人々一人一人が努力する必要がある。
確かに自分の身の回りのことを一人でやり遂げる、人に依存しすぎずに生活することは生きる上で大いに大切なことである。私に当てはまるが、一人で生きていることに慣れてしまい、何でも自分一人でやり遂げることができる、という状態に陥っている人もいるかと考える。一人で生きていける強い判断力を持つことは、この世界を生きる上で必要な要素の一つであるが、独断で動いて仕事のミスを犯す、相手の気持ちが分からなくなってしまっているという状態に陥らないことも大切である。必要なときに助けを求めることができる世界は豊かなのではないか、ということが大いに考えられる。
自分は「寛容な社会」を主に望んでいる平和主義者ではないかと考えるが、時々刺激的な環境も求めている。時には人と人が競い合って、その世界で生きる価値を見出すのも必要なことではあるだろう。しかし、「寛容で平凡な社会」と「刺激的で非凡な社会」はともに存在する社会ではあるが、人によって、平凡な社会を求めているのか、非凡な社会を求めているのかは異なる。相手がどのような社会を望んでいるのか、ということを理解し合うことが必要である。

2.将来に臨む自分に伝えたいこと

変化が目まぐるしい世間において、ポジティブであること、自信を持つことが良いと美化されており、自分も自信を持たないと、と焦ることが頻繁にある。今もなお、将来に向かって焦ったり、落ち着かなかったりすることが頻繁にある。私は口と手は器用な人間ではない。今もなお、生きづらい性質を抱えている。今後発達障害とか精神疾患といった、精神的な病が明らかになっていくのかもしれない。
まずは焦らず自分がやりたいと思うことをしっかり着実にやっていってほしい、ということをまず初めに伝えたい。自分が今持っている能力は社会で太刀打ちできるような能力ではないかもしれない。今の自分では社会に相手にされないのかもしれない。しかし、この世界で生きる喜びを享受したい。せっかく生きているのであれば楽しみたいと思うだろう。だから、焦らず、勉強したり、趣味に励んだりして教養や視野を広げていきたい。
変化の激しい時代に私は立たされている。世界に対して悲観したくはないが、今後、残酷な世界へと変化してしまう可能性も否定できない。どのような世界に変化したとしても、自分が生きる道、生きていく居場所は存在しているはずである。だから、生きる道を模索していく努力をしてほしい。そして、今ある世界に感謝の気持ちをもてるような心のゆとりを持っていてほしい。繰り返しにはなるが、ただ人や世界を見下すだけの傲慢なプライドの高い人間にはならないように。
悩んでいることが自分のアイデンティティになってしまっていると感じているが、私はそれを拒む。一つ何か新たなことができたとしても、そこで満足しないで絶えず良い意味で満足しない人間である努力をしていってほしい。いつまででも絶えず自分を伸ばしていく努力が必要である。
以上、今ある社会への感謝と、今後の自分と世界の飛躍に期待して、本論文の締めくくりとする。

謝辞

本活動において、多くの方々に支援いただきました。
自分の人生について貴重な指導、助言をいただいた講義の講師の皆様、poolo運営の皆様に深く感謝申し上げます。poolo運営の皆様には、チーム活動における課題解決の支援や、活動におけるメンタルケア等もしてくださいました。グループワークにおけるチームメンバーの方々には、自分の意見や弱点について、最後まで否定せず話を聞いてくださったり、場を盛り上げて楽しい雰囲気つくりをしてくださったりし、安心してチーム課題に取り組むことができました。
私と対面やオンラインで会って雑談や悩み相談をしてくださった、poolo7期メンバーの皆様にも、感謝申し上げます。旅行企画の立ち上げ、運営をしてくださった方々、自己省察や趣味の交流の場を設けてくださった方々により、自分の視野を広げる一歩になったと感じています。多人数で旅をする機会がほとんどなかった私に、貴重な機会を与えてくださいました。
本活動に携わった皆様に深くお礼申し上げます。ありがとうございました。充実した活動を送ることができました。


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