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大洗フェリーターミナルに残る痕跡【後編】

前回からの続きです。

ちょっと間が空いてしまいましたが、後編に入ります。

前編の内容までは、現地に行く前に存在を確認していたものでした。後編の内容は、事前情報がほぼ存在せず現地調査によって明らかになったものが多少含まれます。見つけた時本当に発狂するかと思った

続・現地調査

乗船手続きを終えたので、一旦外に出てみましょう。ターミナル裏手に回れば、荷役中の深夜便就航船が見えます。

この時の写真がなかったので2022年5月に乗船した時の写真で代用

深夜便就航船、「さんふらわあ しれとこ」です。
この船とても良いんですよ。本当に良い。とりあえず、"良い船"というのは覚えておいてください。

さて、この船の船名表示付近にご注目。

水も滴る良い船

心の綺麗な方には何か見えるかもしれません。

この船については、1コーナーで終わらせるのがあまりに惜しいので別記事を書きます。記事にするには十分な、とても数奇な運命を辿った船です。
機会があればぜひ乗ってみてください。きっと虹色の風を感じられることでしょう。

続きます。
今回は、19:30発の夕方便に乗船するため、東乗船口に進みます。

テンションが上がってきた

大洗フェリーターミナルでは、基本的に夕方便が東乗船口、深夜便が西乗船口を使用します。これは、船が着岸しているバースの違いによるものです。

この時、私自身夕方便は初めてでしたのでこの先は未踏のエリアになります。とんでもないものが待ち受けているとは知らずに…

さて、通路を進んでいくと東乗船口のみ、1985年から1994年の9年間だけ使われていた旧ターミナルビルの建物2階を通過します。
この旧ターミナルビル、現在は主に港湾関係の別の会社が使用しているようですが、1階喫煙所のみ一般客も使えるようになっていて、階を降りることはできるようになっていました。これは怪しい。

当然、立ち寄ります。

かつて使われていたであろう窓口跡

テンション上がりすぎて全然写真がありません…なにせ、このエリアは事前情報がなかったものですから。許してヒヤシンス。

ハァ…ハァ…

さてこちらの看板。
旧ターミナルビル1階窓口跡横に掲出されている看板です。見えますね。

頭を隠せていなければ尻も隠せていない

北国の海をゆく〜ただひとりカーフェリー〜♪
あのひとが待つ街へ ひとことをだきしめて〜♪

失礼。取り乱しました。
もはや隠しきれていません。東日本フェリーが発着していた時代の看板で間違いありませんね。
しかし、個人的に思うにこれは貴重です。

何が貴重か。

ロゴの文字に注目です。"東日本フェリー"の文字が斜体になっているのが分かると思います。

東日本フェリーは、1990年にロゴを一新しています。アルファベットの「H」を模したファンネルマークはこの時導入されたものです。また、文字のフォントも一新されました。

インターネットアーカイブに残る2003年頃の東日本フェリー公式ホームページより引用。左下に社名表記がある。


しかし、この斜体フォントは新ロゴ導入前、すなわち少なくとも1989年以前の状態が残っていることを意味します。これは非常に稀なことです。

なぜか。新ロゴ導入後基本的に旧ロゴは書き換えられています。よって各地に少しずつ残っている痕跡は基本的に新ロゴ導入後のものです。私が知る限り、旧ロゴが残っている場所はほとんどありません。加えて、痕跡があればまだ良い方で、既に東日本フェリーが過去のものになって15年が経過しようとしている今、少しずつではありますが着実に各地の痕跡は消えゆく運命を辿っています。

この旧ターミナルビルが役目を終えたのは1994年のこと。本来であれば、新ロゴに書き換えられているはずです。それが何らかの要因によって書き換えられないまま役目を終え、上から社名が隠された。本当に偶然が積み重なったことにより今日、この文字を見ることができたといえるでしょう。

こんなに冷静に書いていますが、見つけた時は興奮のあまり写真を撮ることすら忘れています。再訪しないといけませんね。

ちなみに、文献調査によりこの旧ターミナルビルに東日本フェリー大洗支店があったことが明らかになっています。

隣にもう一社、社名表記があります。
現在の商船三井フェリーにあたる、ブルーハイウェイラインです。

若干読みづらいが、ブルーハイウェイラインとはっきり記されている

東日本フェリーの痕跡とは少し離れますが、大洗航路について少し。
遡ること約40年。北海道と首都圏を直結する大洗航路は当時発展途上だった船会社がこぞって目を付け、定期航路免許の申請は8社11航路にも及びました。その中には、現在の太平洋フェリーにあたる旧太平洋沿海フェリーや、現在では旅客事業をやめてしまった近海郵船の姿もありました。その争いは、時に政治の力も借りる熾烈なものだったといいます。
その激しい戦いを制した者こそ、東日本フェリーと後のブルーハイウェイラインになる日本沿海フェリーでした。
昭和60年(1985年)3月16日、ついに迎えた大洗航路就航の日。室蘭港からは東日本フェリー「ばるな」が、大洗港からは日本沿海フェリー「さっぽろ丸」がそれぞれ出港しました。途中で2社共同運航となり室蘭発着が廃止になるなどあったものの、こうして大洗航路は開設され今日まで続いています。

この2社が並んだ表記から、東日本フェリーのみならず大洗港を発着するフェリー航路の歴史まで垣間見えます。本当にこれだからやめられない。

隠されてから相当な年月が経過していると考えられる

先ほどの看板の近くにもう一つ看板がありました。
社名が隠されているのは同じなのですが、これだけは後ろに書いてある文字を読むことができませんでした。この看板の現役時代、もしくは隠された文字をご存知の方がいましたら、ご一報頂けると助かります。

おまけ。
この看板も、何を示していたのか分かりませんでした。但し、看板のフォーマットが新しいので東日本フェリー関連ではないと個人的には思うのですが…。

今回の記事の執筆にあたり、東日本フェリー株式会社の社史『東日本フェリー三十年史』(1995年、東日本フェリー株式会社編)を参照しています。所蔵している図書館はかなり少ないですが、情報量がとんでもないのでぜひ読んでみてください。あまりに夢中になりすぎて閉館時間に気づかなかった

途中話が脱線してしまいましたが、とりあえず確認されたものは一通りご紹介しました。まだ見落としている痕跡がある気がするので、次に乗船する時再調査します。その時覚えていれば加筆修正する…かもしれません。

それでは。

乗船したいね

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