見出し画像

久々に完パケた話。

昨日は広尾のポスプロで仕事だった。3月に撮影したムービーの仕上げである。コロナによって4月に仕上げる予定だったのが延期となり、多少の紆余曲折ありつつ本日めでたく完成である。


完パケとか、テッペンとか、バレるとか、映像業界には様々な業界言語がある。本当にそれが便利な言葉か疑わしいものも多々あり、日常会話でも使ってしまい「?」と思われることもままある。



【テッペン】

夜12時のこと。制作部が1日1回は使うワードで、ブラック体質になればなるほど使用頻度が増す。「テッペンまでには終わらせて終電で帰らなきゃ」「テッペン越えたからビール飲んで作業しよ」「まだテッペンか・・・朝までには終わるかな」「テッペンまでには撤収完了してください」みたいなことで、使うシーンごとに夜12時の心模様がわかるようになっている。


【バレる】

解散するの意。撮影が終わると、部署や役職によって解散のタイミングが違うので、帰る際に「じゃ、撮影部撤収終わったんでバレます」みたいな使い方をする。ちなみに大声で帰ることを言えない場合は、そっと忍者の印を結びながら担当者に目配せをしてそそくさと帰るのが私です。


【上手下手】

舞台用語だが、要は画面の中の右左。右が上手、左が下手である。舞台に立つ役者にとって右は僕らから見て左だし、天井から照明吊ってる人もいれば舞台の裏で仕掛けを動かしてる人など全方向にスタッフや演者がいるので、舞台を基準に左右を決めているという合理的な話。ただし、新人はこのワードでかなり混乱するし実際現場で間違える人も多い。


【時計半時計】

回転する方向を表す言葉。例えば商品をカメラ前に置いた時、ちょっと向きを調整する際などに使う。上から見て時計周りに回すことを「時計に回して」と言う。逆が半時計である。これも、角度を調整する人が商品の裏にいる時もあれば手前にいる時もあるし、役者の向きなどを調整するときは本人だし、様々な人が角度を調整する必要があるのでこうなっているんだと思う。


【八百屋】

これはなぜ八百屋と言うのかわからないし、ぶっちゃけ必要ない言い方な気もするけど、モノを傾けることを言う。例えば、商品を少し手前に傾けて天面のパッケージを見せたいときなどに「ちょっと八百屋にして」とか言う。撮影用語にはこういう謎ダサワードがかなり多い。


【お得意】

関西の代理店が好んで使う広告主の総称。関東では「クライアント」と言うことが多い。つまりは「お得意先」ということだが、なぜかこのワードを連呼する営業さんに悪意があるように聞こえるのは私だけだろうか。


【アゲサゲ】

ここまで来ると私の愚痴になってくるほどニッチなワードだが、編集の際に編集点を微調整する際に使う。「2枚上げて」と言えば2フレーム前倒すことで、下げるはその逆である。もちろん撮影時に物体を物理的に上下する際やレイアウトの際の上下にも使うが、こと編集時にこういった専門的な使い方をする。問題なのはMA(音を最終調整するスタジオ)で、このアゲサゲは音量の上げ下げにも使われる。こうなると非常に厄介で、「ドアの音を3枚上げて、レベルをちょっと下げてください」みたいに、ひとつのオブジェクトに対して上下を2回使うことになる。


【アゴアシ】(死語)

実際に使われている場面をあまり見なくなったが、食事代(あご)交通費(交通費)をまとめた言い方である。たぶん映画のエキストラ(有志)とかで「ギャラは出ないけどアゴアシは出ます」みたいな使い方だと思う。あと撤収が深夜になった際に撮影部や照明部などが「アゴアシ出ます?(タクシー代と、帰りにみんなでメシ食いたいんですけど領収書切ってくれますか?)」的な使い方を制作部にしている気がする。いずれにせよちょっとブラックな感が否めない。


【坪・間・尺・メートル・インチ・ミリ・フィート】

これはもう日本語の弊害でしかない、今すぐ廃止してほしいことだが、単位が混在しまくっているのである。スタジオの広さを表すときには坪数で表すし、美術部がセットを作るときは間・尺を使う。ディスプレイのサイズはインチだし、レンズと被写体の距離はフィート。役者の身長はセンチ。演技の移動する距離はメートル。いやちょっと待って欲しい。すべては長さを表す単位だし、なぜ各部署で使う単位を割とバラバラにするのか。オールスタッフミーティングで一体幾つの単位ワードが飛び交うのか。




ここに紹介したのは本当に一部で、たくさんの業界用語が存在する。正直全部は知らない、照明部とか機材に謎ワードの書かれたガッファーテープがたくさん貼られている時がある。



そして昨日。完パケである。


完パケとは「完成する・パッケージ化する」ということで、要は作品が完成することだ。つまり、このプロジェクトが無事終わることを意味する。企画・撮影・編集という工程を経て、ようやく終わるのである。短くも密度の高い、広告制作のひとつが完了する。僕はこのダサいワードが割と好きだ。


年がら年中僕は完パケている、今まで一体何本の映像を完パケただろうか。楽だったことはほとんどない。全くない気もする。どんな仕事も大変だ。

広告制作は短距離走だと言う人がいる。映画やドラマが半年や一年、長いものだと2〜3年、ドキュメンタリーだともっと長く被写体を追っかけるときもあるが、広告はものの2〜3ヶ月くらいだ。短いときは1ヶ月のときもある。広告の場合はそこに関わる人がたくさんいて、広告主やエージェンシー、制作プロダクション、撮影に関わる撮影部照明部美術部、もちろん役者やヘアメイクやスタイリスト、編集するエディターや音を仕上げるミキサー、スタッフをマネジメントする人もいればキャスティングする人、本当に全部合わせると膨大な人数が関わっている。それが短い期間で全力疾走して作るわけだ。


だが、この完パケの瞬間に立ち会うのは限られている。僕はたくさんの人々と制作の各工程で出会い、別れていく。色んな人のバトンを受け取りながら、最後にOKを出すのが監督という仕事だ。「こういうものを作りたい」という意思を発する人であり「これで完成しました」と締めくくる人。もちろん、各工程でジャッジされ、それが本当に自分の意思で決断した内容かどうかはさておき、最初の人であり最後の人であると自覚して作っている。コンテという設計図に始まり、映像としてパッケージするまでの仕事。そこに対する責任が伴って初めてこの職業が成立すると思っている。誰かに意思をねじ曲げられたわけでなく、言われた通りにしたわけでなく、誰のせいでもない自分のこととして仕事を終わらせる。例え思い描いたものと完成したものが違っていても、その過程で色んな意思が介入して思い通りにならなかったとしても、どんなことがあっても、自分の手で幕を下ろす。そして色んな人と別れた最後に、自分がプロジェクトとお別れをする。




ポスプロで完パケて、帰りにスタッフと飲みに行くこともあるが僕は1人で飲みに行くことが多い。


ビールが運ばれてきて、一気にグラスの半分ほどを飲み干す。張っていた集中の糸が緩んだように、ぶわっと思考が溢れる。


そこにはもちろん複雑な感情が入り乱れる。納得できなかった部分もあれば、人の意見で良くなったこと(それに対する自責も含めて)、終わった安堵感、次の仕事のことも考えたり、あんな大変なことがあったとか思い出に浸ること、色々なものがカウンターの板の上に散乱する。人前では「ありがとうございました、最高の仕事でした」みたいな感じで帰ってきたけど、内心はもうちょっと複雑だ。でもその複雑さも含めて「ともかく終わったのだ」と、ひとつの終焉を噛み締める。


人生だってそうだろう。昔を振り返って、いいこともあった辛いこともあった、でもまぁ良かった、と。現在や未来を良くするために、過去を肯定的に捉える。だって人生の価値を判断するのは自分しかいない、せめて自分の気持ちだけは前向きにしておきたい。例えお母さんにエロ本が見つかって怒られて恥ずかしかったとしても、好きな子にフラれて死にたくなっても、試合に一回戦で負けて泣きたくなっても、時期が過ぎれば終わったこととして前向きに処理しよう。


良かったことも悪かったこともあった、検証もした反省もした、終わった、さあ明日に向かおう。カウンターで1人で飲んでいる時間は、ちょうど終わりと始まりの間にあって、心地よい気持ちだけがふわふわ浮いている。


これをただの酔っ払いおじさんと云う。

いいなと思ったら応援しよう!