【前編】意外と波乱万丈な半生をちょっと振り返ってみる~人生、意外と何とかなるものです~
人生山あり谷ありとはよく言ったもので、調子が良いときもあれば悪いときもありますよね。
人間ひとりの人生は、それぞれに濃く深く広いものだと思います。
平々凡々な人生だと思っていても、ちょっとした体験や経験は意外と珍しいかもしれません。
そんなこんなでふと自分の人生を振り返ったとき、「割と波乱万丈なのでは?」という気持ちになったので、つらつらと書いてみようかと思います。
全くもってノンフィクションなので、ひょっとしたら身バレするかなという気持ちと、同じような体験をした人がいれば話をしてみたいなという気持ちがあります。
伝えたいことはひとつ。
「人生、意外と何とかなる」
1.0~5歳頃
1)爆誕
平成元年、どーんと生まれました。
私には兄がいたので、父は「次は女の子が良い」と言っていたそうです。それだけなら、よくある話でしょう。
おなかの中にいる私は何故かいつも頑なに丸くなっていて、病院では「女の子か……?」「いや、男の子か……??」となっていたそうです。
もしかして空気を読むか迷っていたのでは?
頑張って女の子になった説として、のちのち親から弄られ続ける逸話です。
ところで、赤ちゃんって結構がっつり脚が広がりますよね。
オムツ替えのときなんて、ぺたんと広げられます。
しかし、赤子当時の私は「股関節脱臼では?」と疑われるくらいに固かったそうです。
そして、ただ身体が固いだけだったらしい。
そんなことある……?
お医者さんが言うなら確かなのか……?
ちなみに大人になってからでも、めっちゃ身体は固いですね!
2)気付いたら「お姉ちゃん」
私が二歳の頃には弟が存在していて「姉ではなかった」頃の記憶というものはありません。兄とは年齢が十ほど離れていたので、あまり記憶にありません。
母親曰く、四歳の頃には二歳になった弟をお風呂に入れていたとのことでした。
スーパーお姉ちゃんやないか。
四歳児と二歳児なんて、何かあれば共倒れですからね。
両親は共働きで、どちらも家にはあまりいなかった記憶があります。特に父はたまにしか家にいなかった印象で、感情の起伏が激しかったように思います。
別に暴力があったなんてことはないのですが、父が家にいるときは常に空気がピリピリしていました。
3)アニメ解禁される
はてさて、そんなスーパー姉ちゃんだった私は、どうやら小さいときはアニメ禁止令が出ていたようです。
どうやら、というのは別に「アニメなんか禁止だ!」と言われていたわけではないためです。親が中身を確認したアニメのビデオは見ていましたが、リアルタイムの放送は見せてもらえなかったという感じでした。
時は平成初頭。問題のアニメがありましたね、そう、
「クレヨンしんちゃん」です。
我が家に置かれていたアニメはディズニーか映画版のドラえもんと相場が決まっていたので、私はその存在すら知りませんでした。
しかし、幼稚園の年中さんの頃だったか。あるとき、お友達のおうちで見てしまったのです。
これがもう面白くて面白くて、言わなくても良いのに帰宅してすぐさま母親に「クレヨンしんちゃん面白かった!」と言ってしまい、修羅場になったことは良い思い出です。笑ってください。
そうなればもうアニメ全解禁というわけで、特に制限なくテレビを見られるようになりました。
母親のヤケクソっぷりが見えますね!
2.5~9歳頃
1)変なお兄ちゃんと遭遇
幼稚園から小学校低学年頃にかけて、近所には変なお兄ちゃんが出没していました。
当時の私から見て、年齢は高校生以上だったように思います。そのお兄ちゃんが遊び相手にしているのは、私を含めて小さな子たちばかり。
今思えば変態かもしれない。
初めて声をかけられたのは、公園で遊んでいるとき。
その後は公園以外でも、見かけた際にはあちらから声をかけてきました。
ただ、私が親と一緒にいるときは近付いて来ず、友達といるときは何やかんや理由をつけて友達を追い払うようなことをしていました。
2)一緒に遊びにくい弟
さて、最初に書いた通り、私には二歳年下の弟がいます。
この弟がなかなかヤンチャものでして、一度癇癪を起こすと親でも対抗できません。
そんな弟を遊びに連れていってあげなさいと言われた私は、お姉ちゃんなので頑張って弟を連れ回して友達と遊んでいました。
しかし、気に入らないことがあると家に帰ってしまう特性がある弟。弟が帰宅したときに親が在宅していれば、即座にブチギレられる私。という構図があります。
たとえば、鬼ごっこ。
鬼になれば、途端にふてくされてしまう弟。
走るのは好きなので、弟は狙わないように、とみんなにお願いをしても、今度は「誰も追いかけてこない」とふてくされてしまう始末。
たとえば、かくれんぼ。
見つかると、楽しくない!と怒る弟。
なので、見つけるときは最後あたりにして、とみんなにお願いをしていたのですが、そうなると「見つけるのが遅い」と怒ってしまう始末。
一事が万事このような有様でしたので、何せどうにもコントロールできません。
しかし、親にはきちんと遊んでやれ!と叱られます。
こんなにきちんと遊んであげている姉はいないのではないかと思いますね!
しかして、私がいくら理不尽だと思っても、叱られたら泣いて謝るしかありません。
あれ、もしかして私ちょっと可哀想か?と思わないでもないですが、今はもう笑い話です。
3)理不尽すぎる門限制度
はてさて何歳の頃だったかは忘れましたが、幼稚園を卒園するか小学一年生くらいか、そのあたりだったかと思います。
我が家には門限があり、一分でも過ぎると家に入れてもらえません。
(帰宅しないといけない制限時間なのに、時間を過ぎたら入れてもらえないというシステムはなかなか破綻してますね! 翌日、遊びに出さないというのならまだ分かりますが……)
玄関前に放り出されてしまったら、ドアの前でじっと待っていないといけない、という大人になってから考えると謎の時間が発生します。泣こうが謝ろうが喚こうが、逆に黙っていようが、親が許す気になるまで放置されるわけです。(世が世なら通報されそう)
そんなわけで、私は絶対に門限を破りたくないわけです。
しかし、弟をコントロールすることができません。
あるとき、弟が道路に寝転がって「帰りたくない!」と抵抗しました。それをなだめすかしても、どうにも弟は起きてくれません。
かといって、二歳差では引っ張り起こすなんて不可能です。
困り果てていたところ、私がよく玄関先に放り出されていることを知っている近所の人が通りがかり、弟を抱っこして家まで送ってくれました。
しかし、母親に「門限を過ぎている」と叱られてしまいます。
さすがに放り出されたくない私は言い訳をしました。
「弟が帰りたくないといって寝転がったせい」だと。
すると、どうでしょう。
母は「それなら置いて帰ればいい!」と怒鳴りつけてきたのです。
そんな選択肢がなかった私はビックリしました。
そして、何日かあとにその言葉を思い出して、帰りたくないと駄々を捏ねる弟を置き去りにして帰りましたが、
当然ブチギレられます。
連れ帰って来いと放り出され、連れ帰ると私だけまた放り出されました。門限を過ぎていたのでしょうかね。そのあたり、ちょっと記憶がありません。
だとしても、理不尽じゃね??と今なら思います。
4)はじめての家出(失敗)
そんなある日、もう弟と遊びたくないと思った私は、そのまま親に言ったようで、はちゃめちゃに叱られた挙句に「うちの子じゃない。出て行け!」と言われました。
親としてはたぶん、いつものように玄関前に放り出した感覚だったのでしょう。
しかし、その日の私はどうしてだか、
本当にもう出て行こうと思いました。
最初はすぐ隣にある公園に行くつもりだった気がするのですが、何を考えたのか近くの薬局に向かいました。
その薬局はおじさんがひとりで経営しているような、昔ながらの薬屋さんという感じのお店でした。
おじさんとは顔見知りで、よくお菓子をもらったり遊んでもらったりしていたので、きっと助けてもらおうと思ったのでしょう。
えっちらおっちら歩いていると、後ろからものすごい形相の母が駆けつけて連れ戻されました。
大人になってから聞いた話では当時の母も大変だったようですが、
振り回される側としては理不尽と困惑の極みでした。
とはいえ、常時このような調子ではなかったので、俗にいう毒親だ!と訴えたいわけではありません。ただ振り返ったときに、「やべー度が高いな」と感じたポイントではありますね!
3.9~13歳頃
1)引っ越し&転校
更に追加で弟や妹が生まれ、お姉ちゃん度に磨きがかかった小学五年生の頃、引っ越し&転校というイベントがありました。
二年しか過ごしていない方を母校と呼ぶのも微妙な気がしますが、このあたりはまだまだ平和です。
強いていえば、新学年開始と同時だったので特に転校生として紹介されず、しれっとクラスに入れられたので周囲から「こいつ、誰だ?」「こんなやつ、いたっけ?」扱いになっていたことがちょっぴりつらかったですね!
2)わんこが仲間入り
引っ越し早々、親が「犬をもらいに行く」と言い出しました。
里親募集をしていたようで、前々から犬がほしいと言っていた兄弟は大喜び。
いそいそとお迎えに行くと、これがまた可愛いのなんの。
白い毛並みにちょっぴり茶色が混ざったミックス犬でした。
帰りの車では私が抱っこしていたのですが、仔犬ってこんなに小さくてあったかいんだなぁと思った記憶があります。
この子の話は、また別の機会にしたいですね。
というわけで、我が家にわんこが仲間入りしました。
3)中学進学&火事
中学校に入り、最初の夏休み。中学校から出された宿題をしていたときのことです。
なんと、家が火事になりました。
父と兄は不在、兄弟四人と母親しか家にいませんでしたが、すぐに脱出に成功しました。
中学一年生の私は「何かしなきゃ!」と思い、庭に出てホースで火に水をかけましたが、当然どうにもなりません。焼け石に水とはまさにこのことです。
近所の人に火事だと叫んで通報してもらうというファンプレーを見せたものの、家はほぼほぼ全焼でした。
後日、燃え残った使えそうなものを回収するというイベントが発生しましたが、ちまちまと集めていたマンガやゲーム、好きだった図鑑や教科書などすべて、燃えているか濡れているかのいずれかで使い物になりません。
このとき母親が、小さい頃の私たちからもらった手紙や工作の作品を救出できないことを悔やんでいました。
(大人になってから振り返ると、これは本当に取り戻せなくて辛いところだと思います)
一瞬にしてすっからかん。
私たちは、ひとまず母方の祖父母宅に身を寄せることになりました。
そして、わんこはよそのお宅に預けることになりました。
しかし、預かってくれた人の家では常に鳴いていて、ずっと家族を探していたそうです。
そりゃそうですよね。急にいつもの家ではなくて、知らないところに連れて来られて、いつも遊んでいた家族がいなくなって寂しかったと思います。
4)二回目のお引越し
祖父母に避難してほどなく、再び家を手に入れることができました。当時は子どもだったので、「はやーい」くらいにしか思っていなかったのですが、今思えば両親がめちゃくちゃ頑張ってくれました。
わんこも再び一緒に暮らせるようになりました。
めでたしめでたし……、とはなりません。
数年ほどは、この二つ目の家で暮らすことになるのですが、この家は賃貸。
のちのち、大家さんから立ち退きの要請が発生することになります。
やっと落ち着いた、と思ったらそうでもない。
そのあたりはまた、後編で触れていきたいと思います。
よろしければお付き合いください!