適応障害になりそうになっていた過去。
noteを始めて自分と対話する時間が増えた気がする。
なんでだろう。どうしてだろう。今の自分にたどり着いた理由を過去にさかのぼって考えてみる。そんなことが増えた。
適応障害と診断されなかったけど、過去に同じような場面になったことはないか?と考えてみた。
1つだけ思い当たる。
私は小学校3年生からシンクロナイズドスイミングを習っていた。ただ中学生からはコーチが怖いコーチに変わるのでそのタイミングで環境に慣れることができず辞めてしまった。あの時は本当につらかった。(あと、関西弁のコーチだったのでいまだに関西弁が苦手だ。)
小学生の間は比較的まだ優しいコーチだった。怖いのは怖かったし、厳しかったけど。週に一回だけの休みで土日は朝から夕方まで練習があった。
結局、怖い環境にずっと置かれていたからおかしくなってしまったんだと思う。(練習中に一人で長時間立たされたり、ビンタされたりとか普通に怖かったんですよ。もちろん私だけじゃないけど、そういうのをたくさん見ても来た。)
出社拒否みたいになって、最後は練習に行けなくなった。
電話がかかってきてコーチから練習に来いと言われた。
もう少し図太い性格ならよかったなんて母親によく言われた。いまならHSP気質なんだから無理だって言えるけど、言われるたびにこんな私は弱いダメな子なんだって自分を責めた。
そんなに期待しないで。
当時は適応障害って診断にはならないと思うけど、過去をさかのぼって一番適応障害に近い状態だったとおもう。
最近は自分の過去分析をやっています。皆さんがやっていた習い事って何ですか?
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