【小説】ディア サーチエンジン 4 紀美子の母と虎屋の羊羹

 亘の結婚宣言から二週間ほど過ぎた日、突然、亘の母親がやってきた。高そうなぴかぴか光る鼠色の和服を着て、風呂敷に包んだ菓子折りを持って、玄関に立っていた。

 「まあ、どうしたの、冴子さん。そんな恰好で」とびっくりする彬子を押しのけて、亘の母親、冴子はすたすた上がりこんで居間に直行し、絨毯の上に正座して両手をつき、深々と頭を下げた。

 「この度は亘が大変失礼なことを申し上げまして」としゃべり始めたので、夏実は、例の求婚を取り下げに来たのだろうとほっとした。だが、「主人とも相談しまして、夏美さんさえよろしければ、喜んで平野家にお迎えしたいと思い、本日参上いたしました」と続けたのだ。

 「まあ、冴子さん、そんな変な言い方しなくても。普通にしゃべってよ」と彬子が言うと、冴子は、体を崩して立ち上がり、「そうよね、ああ、肩が凝った」とソファに座りなおした。

 「亘がね、この間お宅から帰ってきて、いきなり夏実ちゃんと結婚する、と言い出した時はびっくりしたけど、でもね、よく考えたら、こんないい話はないのよ。夏実ちゃんはいい子だし、何しろ幼稚園の年長さんのころから知っているし、紀美子の友達だったし。亘は、ね、ああいう変わった子だからこの先いい結婚相手が見つかるとも思えないし。夏実ちゃん、亘と結婚して。おばさん、紀美子の代わりだと思って大事にするから」

 「でも、冴子さん、夏実は亘君より十歳も年上なのよ。おまけに家事なんてまるっきりできないし」

 「まあ、彬子さん、歳の差なんて、案外古いこと言うのね。今時そんなのどうでもいいのよ。二十も三十も離れているわけじゃなし。家事だって、私がばっちり仕込んであげるから、大丈夫よ」

 冴子の持ってきた羊羹を切り分けて皿に入れ、お茶をいれた夏実は、二人のそばに座り、黙って聞いていた。自分の意志には関係なく、話がどんどん進んでいるのが不思議だった。冴子は彬子に、「夏実ちゃんがその気になるまで、こちらは待つつもりよ。亘だってまだ学生だし、まあ、いざとなったら薬局を継げばいいし。お金については何も心配することないわ。彬子さんが麻布に行ったら、そうそう、ついに森さんと籍をいれたそうで、おめでとうございます、そうなったら、ここで若い女の子が一人暮らしをするなんて、本当に心配だわ」

 彬子はにこにこ笑って聞いているだけで、夏実の結婚に関しては何も言わず、「虎屋の羊羹、やっぱりおいしいわね。冴子さん、奮発したわね」と、二切れ目を口に入れた。

 「ねえ、彬子さん、亘との結婚に賛成してよ。そしたら、私たち、親戚になるのよ、めでたいじゃない」

 彬子はまじめな顔になり、「夏実がそうしたいと言えば、私は反対しないわ。夏実次第よ」と答えたので、冴子は夏実に向き直り、「夏実ちゃん、どおお、亘との結婚、前向きに考えてみて。おばさん、あなたの気がすむまで待つからね」と、夏実の手をしっかり握った。夏実は、冴子のまるまるとした指の感触に、ああ、これは紀美子の母親の手だ、紀美子と同じ血が流れている手だ、と思い、奇妙な気分になった。

 それから冴子は、亘がアルバイト先で失敗したことやら何やら面白おかしく一時間ほどしゃべって、帰っていった。帰り際に玄関の三和土で草履に白足袋を突っ込みながら、「あなたが来てくれたら、おばさん、どんなにうれしいかしれないんだけど」と夏実にささやいた。


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