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『死』の隣で遊ぶインドの少年
テレビニュースや新聞で、毎日いろんなことが報じられるけれど、死体を映したり、無惨な死について細かく伝えたりはしない。
映画でもドラマでも、『死』を生々しく、そのままま現すシーンはない気がする。
普段生きていく中で、死を意識することがあまりなかった。
大学四年生。インドのガンジス川に行った。
伊坂幸太郎の寝台特急に魅せられて、親友と向かったガンジス川。
本の通り、川岸にはいくつもの(多分)焼却施設があって、もくもくと灰色の煙が天に向かって登っていっている。
人が運ばれてくる様子は見なかったけれど、隠すこともなく、剥き出しの焼却場。
そばには山積みの木材。
その隣で、インドの少年たちがはしゃいでいた。
インド人の死に関する考え方を本で読んだ。
人口の約80%を占めるヒンドゥ教徒の死生観。
それは輪廻転生。
命は無くなることなく永遠に回る。死は無でも終わりでもないこと。
素敵だなと思った。死を恐れず、だけど死の時期までを全うして生きる。
常に長く先が見えない人生を歩むよりも、いくぶんかは死を意識して歩んだ方が、いい時もあると思う。
初めてガンジス川を間近で見たその時はそんな考えには至らず、ただ天に登る灰色の煙をキョトンと眺め、少年たちを眺めた。
死の隣で生きる少年たちは、20年近く生きた私よりも生き生きと、今を懸命に生きているように見えた。
今日もニュースでは、事故や事件、災害や新型コロナで人が亡くなったと伝える。
インドから帰って少し経った日、ケータイのメモ機能を活用して簡単な『遺書』をしたためた。
Facebookは私が死んだ後は父にその利用権利を許すという設定も認めた。
いつ訪れるかわからないその日のために、後悔しないように今を生きたい。
そう考えると、明日の嫌なこと、心配事も小さくなった。
インドの少年を見習い、今をはしゃぎ生きたい。