源の両親
たまに読んでいるkuさんのブログ。
記事タイトルの、
《道が無い、それが道だ》
その言葉。
すっごくスムーズに入って来た〜。
kuさん。
ありがとうございます😊
この記事を読んでじゃあないけど、読んだ後ふと、「わたし、ジェットコースターから降りたかなぁ?」と感じました。
妹亡くなる時までの歩みの流れが、それまでの人生ジェットコースターに乗車中の走行中で。何度も何度もコースを周回していたのかもなぁって思いました。
同じコース。
似たようなコース。
飽き飽きしていたのにも関わらずに降りられず…。
降りようとせず…ずっと乗り続け。
ここに誕生してからずっとジェットコースターに乗車して走り続けていた前の世等と同様なコースを終える合図が…今世の妹の死だったのじゃあないのかなって感じました。
妹が、
『もう自分、ひかりに帰ろう。果たす役目は終えた。自分の地球人生の旅、目的は終了した。感慨深い。悔いはない。』
そうきっと決めてあったんだろう。
そして、ふたりそれぞれが乗ったジェットコースターから降りられる様に動いて行ったんだと思いました。
…たまには観覧車やメリーゴーランドにも乗ったのかな?🎡🎠🎢雰囲気だけ味わったかも☺️ひとときの休息、癒しはしていたよね。
✦✦✦
妹が帰るーその道のりのお手伝いをわたしはサポートして…妹とわたしがそれぞれ向き合うことから逃げずに真正面に対応、取り組みして、ふたりが決めたある目的をちゃんとやり尽くせる様に、妹は道を繋いで行ってくれたんだと思いました。
もちろん。妹にも必要な道だったけども、わたしにもかなり過酷な道の味わいになりました。
どっちか死なないと(肉体のね)その目的は終わらない…様にも感じていました。
母の時に感じた想いがまだありました。(母に対してではなく自分の中の燃焼していなかった想いでした。)残っていたのが妹の事に取り組む内に出て来ていました。
妹とわたしの今世のライフレッスンをペンデュラムリーディングした時に【喪失】と反応出ていたのは、お互いの喪失ってことじゃなくて、親の喪失ってことだったのかな?と今思いました。
🪷🪷🪷 🪷🪷🪷
親って【親】かな〜と感じてみたけど。なにかちょっと違う雰囲気がありました。
偉大な親。壮大な親。底しれぬ親。
半端なくどでかい姿の親。
見ることの出来ない状態の親。
威厳あり威圧も感じる。
あたたかく潤いがありやわらかく美しく優しく眩しく神々と光輝いている姿。
得体の知れない様子も感じ取れるような…親。。
この【親】は一体・・・
この親なのかも知れない。
この親への喪失のものが、人生の様々な場面に現れて出でて。
適材適所に相応しい人物が登場して、その親への喪失のものを生み出しカタチにして自分の目の前に差し出してくれていたのかもしれない。。
【喪失】は喪失ではなかった。
それは、自分の本を手繰り寄せる鍵の様なもの。
ジェットコースターに乗っていた自分は…
今は、急ぐことはない旅を、のんびりと。ゆったりと。寛いで。
何処が終点かは分からないけど目的地に向かう列車に乗って、ゆらりゆらりと心地よく気持ちよく、笑顔で在りながら、列車の進む道の流れに委ねて、途中寄り道もしながら終点までを連れて行ってもらっているような感覚です。
ありがとうございます😊💕 愛巡り巡り無限に愛エネルギーが流れ湧き湧き満ち溢れますように✨️✨️✨️