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聖典の中より

 
18章、700詩節以上あるBhagavadgitaを、サンスクリット語から読解したり、根幹にあるヴェーダーンタの教えとして伝統的に教授していただいています。
最初は、言葉についていくのが精いっぱいでしたが、この頃は文法もひも解けるようになり、ヴェーダーンタの教えとして、自分を知ること、自分の生活の仕方、人生の目的とゴールの指標として学んでいます。
物語好きな少女時代から、壮大な物語は大好きです。
が、ギーターやラーマーヤナは、聖典の分野に入るということも知り、物語の筋を楽しむというより、その一語一語に込められた先人の教えの深さに、ただただ感動します。
 
毎日のように、感動するシュローカ(詩節)に出会いますが、今日は少し時間があるので、ギーターから好きなシュローカを一節。また、昨日のラーマーヤナのクラスで学んだ面白い詩節をご紹介します。
 
अर्जुन उवाच ।
कथं भीष्ममहं सङ्ख्ये द्रोणं च मधुसूदन ।
इषुभिः प्रतियोत्स्यामि पूजार्हावरिसूदन ॥२.४॥
 
これは、ギーターから。
2章の4節ですが、いわゆるクリシュナによる教えが始まる(2章11節から始まる)前に、アルジュナが嘆き悲しみ、どうして?どうして?なぜ戦わなくてはならないの?おじいちゃんや弓の先生が相手の軍にいるのに!と感傷的になり涙にくれ、立ち上がれず、クリシュナに向かって混乱状態であるシーン。
痛々しいほどの描写の中で、「おじいちゃんビーシュマ、弓の先生ドローナは、わたしが弓を向ける相手じゃない。プージャーに値する人なんです。」と嘆き悲しみながらクリシュナに言う、そのセリフが上記です。
 
わたしが攻撃する相手でなく、尊敬に値する人。
日常でも、この場面はわたしはよく経験します。
特に家族、そして仕事仲間、そして友人。
そういったときに、アルジュナのこの言葉を思い出します。
 
ただ、このあと、クリシュナは、それでも戦いなさいと教えを繰り広げます。
ここを忘れないように。
なぜ、そのようにクリシュナは言い続けるのか。
その大事なことは、本で読むと自分の解釈が入ってしまうので、ぜひ先生のクラスで理解されたほうがいいです。
 
そして、毎週土曜日のラーマーヤナを読むクラス。
ダシャラタ王(ラーマの父王)のもとに,聖人Visyuwamittraが訪ねてきます。
聖人をほめたたえるシュローカが長く続きます。
比喩が面白いのですが、18章の56節ではこのように称賛します。
 
तदद्भुतमिदं ब्रह्मन् पवित्रं परमं मम ।
शुभक्षेत्रगतश्चाहं तव सन्दर्शनात्प्रभो ॥१-१८-५६॥
 
「聖者の訪れは、わたしを浄化させた、驚いた。
あなたの訪れは、わたしを(巡礼地をめぐらなくとも)巡礼したものにした。」
 
というのです。そんな訪問者が我が家にも来てほしいですね。巡礼しなくても、この人が来ただけで、巡礼に値する吉兆なご利益があるなんて。
 
とにかく、神さまをほめる、聖者をほめる、王さまをほめる、その称え方がとても壮大で、
そこは文化的背景もあるので教わらないとわかりませんが、感動ばかりです。
 
感謝と感動、奇跡ばかりの毎日です。
 


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