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ふさわしくないこの世の下敷きを返却した話

小学校6年生のクラスメイトのさちこは、私とは全く逆のキャラだった。兄弟多め長女の、どちらかというと優等生真面目キャラな私に対し、一人っ子、ちょっと甘えん坊、時に感情爆発おませさんキャラさちこ。
思春期入り口ということもあり、自分とは全く違う彼女が新鮮だった。
さちこは当時は珍しかったひとりっ子ゆえ、いろんなものを買い与えられ、物には困っていなかった。
おませさんキャラで、読んでる漫画も「なかよし」や「りぼん」のひとつ上のお姉さん対象くらいの漫画だった。
さちこはある日、その漫画の付録の下敷きをくれた。

ワタクシの記憶が正しければ

黒い革ジャンの男子と
ちょっと薄着のかわいい女子が
バイクに2ケツで結構密着気味に座ってる

そんな画だった。
よく漫画の表紙にありそうな。

家に持ち帰ると、母が
「ふさわしくないから返しなさい」

宗教上の視点から、

不道徳で
ふさわしくない
この世のもの

らしい。
ほとんどのモノはアウトである。
婚外の色恋ものなんぞアウトの極み。

何と説明してさちこにその不道徳な下敷きを返したのかは思い出せないが、あの頃は母の言うことは絶対だと思っていた。
給食の鯨のしぐれ煮(血を多く含むため)も避けるように言われたし、青少年赤十字の名簿にも名前をのせなかった。
交通事故にあって輸血が必要になったら困るから、車にも気をつけた。

小学生くらいまではいいのだ。
中学生くらいから学力が伸び始め「おのれの頭」でものを考えるようになり、自我が芽生えると、「教えていることは良いことなのかもしれないけど、そのやり方じゃなくていいのでは?」と思うようになる。

私が低学年の頃、我が家の懲らしめ「愛のムチ」はベルトだったのだが、まだ幼い弟が泣き叫ぶのを襖越しに聞いていた。
集会中に静かにしなかったから、って。
4〜5歳のやんちゃ盛りに、2時間黙って座って人の話聴く… ソレ、無理よ。

母の顔、目を見て、
「お母さんはこれを本当に理解して、やってない」
と子供ながらに気づいていた。

子供でも、「洗脳」されていて自らの意思で動いていない人間の見分けはつく。

兄弟誰ひとり信者として残らなかったのだが、子供の頃に受けた影響は大人になっても残っている。
弟は反動で不倫を繰り返した。(父の遺伝もあるが)
本人も言っていたが、「性がタブー視され過ぎていた」のも一因らしい。
抑制され過ぎて、弾け散らしている。

教えから離れてかなり経つが、神は信じるけど、なんかコレ違うよね?って本気で思い始めたのは、私でさえもつい最近である。
提供される本を100パーセント信じて、自分で考えないのは楽だと思う。
言われたことに従う方が断然、楽。
神の導きで全てがおこるのであれば、そう信じた者勝ち。誰かに委ねる。安らかである。
真面目でピュアな人ほど染まりやすい。そこに頑固さが加わると最強である。
若いうちの洗脳は抜群に効く。我が家は母だけだったが、両親共に信者の場合、子供達は疑問の余地ゼロに近いため、純粋培養されやすい。
疑問を感じ、気付き、考えるのは面倒くさいし、時に苦しい。
特に大人になって組織から出た人が精神的に苦しんだりするのは、おそらく「依存症」から抜ける時と同じような状況にあるからではないか。それまで自分が信じていたものが違っていたと知る、とてつもない空虚感。他者による浮気などの裏切りよりもダメージは大きい。

学歴に重きをおかない(むしろ布教活動に時間を捧げることがよしとされる)ため、学校の成績に母は無関心だった。評定平均や偏差値をガンガンあげようが、褒めてもらえない。逆に成績悪くとも何も言わない。(父はそこそこ成績に興味はあったのがせめてもの救い)
母は穏やかで愛情深く良い母なのだが、それでもやはり宗教No. 1なのだ。
子供ながらも、彼女の優先順位には気が付いていた。
今でも彼女の生活の大部分を宗教が占めている、逆に宗教があるからこそ、あの父に対応出来ている部分もある。強い人であるのは確かだ。

もう50年近く信仰してきたソレを、今更「違うんじゃないですか?」とは言えない。
今までずっと構築してきた礎を叩き壊すことなど。
このまま、母が生きている間はずっと「自分の信じてきたことは正しい」と思っていて欲しい。
「楽園が来るから」と信じたまま、心安らかに逝って欲しいと思う。

私は、そして弟や妹もおそらく、「母の趣味」としてやってくれたらいいわ、程度にとらえている。
好きなんだからしょうがないじゃない。



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