【「重ねる」に触れて、拓いた】
『重ねる』展@自在空間ArtStep を訪れた。
観た順に記す。作品の写真は一切ない。
萩原朔美さんの写真。重ねるというより執拗に整然と連ねられた膨大な数の丸窓に目眩。覗き見とは何か、覗き見する主体の心情はどんなものか、考えさせられた。
宮﨑みよしさんの造形「21世紀 光と闇」。作品の天地をひっくり返したり、鳥瞰したり、をひとしきり脳内で楽しんでから、色遣いと素材に意識をシフトした。白が壁面の多くを占めていたが、白が光とは限らない、白こそが闇かも知れない、という言葉が浮かんだ。既成概念の足元すくいは、好きだ。表現に触発されると、これが発動する。
私をこの場所にお誘い下さった小池照男さんの映像『多重奏』。TVモニターから放たれる「24分割多重奏」が出色。この映像のノイズに脳を侵食された。24分割された画面の一つひとつから別々の多重奏が同時に流れると、それはノイズ。心地よいノイズ。瞬間瞬間に耳に飛び込んでくる輪郭のある音像たちが、これまた美しく面白く聞こえた。
身体表現者ますみともさんの「言葉を重ねる」。昨年9月から今年1月まで毎日重ねられた肉筆の言葉の洪水。時折、意図的に文から主語が落とされ、脳内が「?」で満たされる。こんな日本語があるのか! 一見端正で全く破綻していないようであるのに、読めば読むほどハテナで満たされ、同時に幸福を感じるという反則技。特に、12月8日に書かれた一節が脳に刺さって暫く抜けなかった。
在廊されていた宮﨑みよしさん、ArtStepの高野さんと三人で、ひとしきりお話させていただき、2時間ほどゆっくりと過ごさせていただいた。
自分の目と耳と言葉を使って作品と交わり、お二人とお話しし、とても豊かなひとときだった。
その場所には人がいる。人と会うと何かが増す。私の中の何かが確実に拓かれた。
いまのような情勢であっても、行動すると確実に何かが得られる。何かが変わる。表現に触れて、人とお会いして、また一つ喜びが増した今日の午後だった。
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#わたしが私として生きるためのエッセイ 53
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