【衝撃の正体】
レッド・ツェッペリン ”Nobody’s fault but mine (俺の罪)”終奏の衝撃。
この曲の骨である、ギターのリフに切り込んでくるボンゾとジョン・ポール・ジョーンズのドラムとベースの、このリズム!
・動画5分40秒過ぎからです。
https://youtu.be/gqQelCIGYMI
え?なんなん、この譜割り、
嘘やろ、うおぉ信じられへん、
カッコいいーーー!!
初めて聴いた時の衝撃、忘れられない。
私の「カッコいいーーー!!」の正体。
それは、別次元から切り込んでくる、アイデア。
え、何これ→聞いたことない→すごい→カッコいい!の順番で私は音楽を感じる。このとき「カッコいい」よりも前に「聞いたことない、すごい」がくる。
私の音楽体験が築いてきた私なりの聞き方をひっくり返してくれたアイデアの力。私にとっての音楽の価値を押し広げてくれたアイデアの力。
人間って、ほんまにすごい。
アイデアに震える。アイデアを具体化してくれた努力に心から感謝する。
アイデアは、音楽の技量と分離しては発想できないと言う人もいる。アイデアと表現の技量はどっちが先か?ニワトリと卵のロジック。そもそもそれを具体化できる技量がないとアイデア自体が生まれないよね、という話。
その話、わかる。
だからミュージシャンは日々練習し技量を磨くのだ。
それを分かった上で、私は技量よりアイデア推し。(練習は不要だと言っているわけではまったくない)
なぜなら私は、音楽とは作曲のことで、音楽とは新たな創造のことだと思ってるから。
そして作曲とはトライアンドエラーの過程を経て音楽的アイデアを集約&推敲していくことであり、新たな音楽的創造のエンジンはアイデアだと思っているから。アイデアがないと音楽が進まない。
藤崎は何を堅苦しいことを/おかしなことを言っているんや、と思われるかも知れない。
でも今の私はこんな音楽の捉え方しか出来ないし、この感じ方が一番しっくりくる。喜びがある。
だから私の作曲はこのような考えに価値を置いてやっている。皆さんが私の音楽をどう感じてくださるかは分からないけれど、私は自分の喜びが増す方へ進むことしかできない。
大晦日にこれを書けてよかった。
ここに書いた私の音楽的価値の気付きは、先日ある方のレッド・ツェッペリンについてのfacebook投稿に返信したことがきっかけとなって起こった。
このように、人との繋がり&やりとりの中で私は私をより知ることができる。繋がり&やりとりの中で、昨日よりほんの少し豊かになろうとして考えることができる。
このことに深く感謝しつつ、今夜は二つの年の区切りをまたぐことができそうです。
いつもありがとうございます。
皆さま、良い年をお迎え下さい。
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#わたしが私として生きるためのエッセイ 36
#息をするように音楽をする
#日常は日常のままで別次元
#遅く生きる
#嬉しい作曲
#fujisakihirokazu
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