生きる#39 地域で生きていく時に覚悟したこと
覚悟していたはずだ。
今年に入って、お世話になった方々をたくさん見送っている。
親族だけでなく、仕事で関わった親世代の方々も。
仕事と言っても、島根に移住してからはワークとライフがごちゃまぜで、人生の先輩方には生き方や地域の暮らしについてたくさん教えてもらってきた。
もはや『仕事上の付き合い』だけで割り切れない人達ばかりだ。
そして、団塊の世代以上の人達の活力は凄まじい。
農業も狩猟も現役、地域活動でも重要な役割を担ってる方々。
そういった方が立て続けに亡くなられ、最近は焦燥感と未来への不安が強くなっている。
『バトンを受け取った私たちはどうしていくか?』
食も農業も狩猟も、文化そのものを維持することさえ難しくなっている。
正直、焦っている。
一方で、自然を目の前にしたとき、私一人が焦ったところでせいぜい知れてるよな、という諦めにも似た感情と、
命ある生き物はいつか死に、文化も歴史も時代に合わせて変わっていくという『諸行無常』の念と。
そもそも、この地に足を付けて生きていくことを決めたのだから、それなりに覚悟はしていたはずだった。
数日前、協力隊として移住した当初からお世話になったある方の訃報が入った。
「わたしもお線香あげに行って大丈夫ですかね?」
同じ地域の先輩猟師のMさんに恐る恐る電話して訊ねた。
「当たり前だぁね。来てくれたら喜ぶわね。」
その言葉に、封印してた感情がどっと押し寄せ、涙が溢れて止まらなくなった。
「Mさん、さみしいねぇ。さみしいよぅ…」
この地域に受け入れてもらえてること。
親族のように大切な人達ができたこと。
そして、
それはわたしにとってお金には変えられない、かけがえのないものであること。
そのことに気付いたからだ。
「さみしい」という感情だけではない、あたたかな涙がとめどなく流れた。
できることなら、ずっとこのまま時が止まってほしい。
誰も歳を取らずに、ずっと一緒に笑い合えたらいいのに。
こんなこと無理だって分かってるし、誰かに慰めて欲しいわけでもない。
でも、どこかに吐き出したくて。
このnoteはわたしの自由にしていいことにしてるので、ここに記録しておきます。
先のことを考えても誰も正解がわからないし、不安ばかり大きくなる。
今は、『今のわたし』の気持ちを大切にしてあげようと思います。